第一話
夏が暑いからいけないのよ・・・言い訳
だって、出来心ですから(;'∀')
「お前の名は何という?」
花の咲き乱れる庭園の一角で、ヒロインの手を取る自信に溢れる眼差しと、不敵な笑顔の美男子。藍色の髪と黒い目……。
スタートさせることが難易度エベレスト級と言われた、皇太子ルートの始まりを告げるスチルが、私の目の前に展開している。
―――これ引き出すの面倒だったのよね……。
そんな声が心の中で聞こえ、混乱するわたくしの意識が現実に呼び戻された。
「あっあの……」
「名は?」
「フローラと申します。ケヴィン・バロー・ヒメネスの娘にございます」
慌てて視線を下げてアレクシア皇太子の質問に答えたわたくしですが、混乱は収まりません!
「ヒメネス侯爵家ゆかりの者だな」
「そうでございます」
「覚えておこう」
「ありがたきお言葉、光栄にっ!」
握られていた手が強く曳かれ、気が付いた時には腕の中にいた……。
―――ちょっと!展開早い!!!
「形式ばった受け答えはつまらん、これからは気さくに話せ」
「はっはぅ……」
「また会おうフローラ!」
混乱に混乱が重なったわたくしは失礼なことに言葉を失い、妙な言葉にもならない音を発する以外何もできず……。
そんなわたくしを唐突に放して、嵐は去って行ったのです。
「なっ何これぇ~~~」
放置され背を見送ったわたくしは、高価な絹をふんだんに使ったドレスの裾が汚れるのも構わず、地面にへたり込み……。
悪漢無頼な皇太子殿下の振舞に混乱して、無作法に叫んだのも仕方ない事だと思います。
フローラ・ヒメネスがわたくしの名前。八歳で父ケヴィンに引き取られてからは、男爵家の長女として育てられました。
ヒメネス侯爵領で最大規模を誇るラモス商会の会頭マロン・ラモスの孫であり、母オリーブの若気の至りで出来た子供。
母が侯爵家の三男の子を身ごもったことで、急きょ後を継がせるつもりで修業させていた義父と結婚させ、わたくしは商人の娘として育ちました。
このまま何の問題もなく生涯を終える予定だったのに、父の我がままで引き取られて、男爵令嬢として恥ずかしくない立ち居振る舞いを身に着ける羽目に陥ったのです……。
別に商会の娘が無教養で無作法な振る舞いな訳ではございません。ルールが違うのです!
そのルールを八歳から改めて身に着けたわたくしですが、結局のところ巨大な猫を背負っているに過ぎません。
あと少しの辛抱だと頑張っているわたくし、フローラ・ヒメネス男爵令嬢。十五歳の春に降って湧いた大事件です!
「ありえないわ!何で『フロエタ』のフローラになってんの?」
そう、私は知っている。
フローラ・ヒメネスも皇太子アレクシアの事も……。それは散々ハマった乙女ゲームの一つ、『フローラル・エターナル~恋の花は永遠に~』のヒロインと最難関攻略対象の名前だ!
「私……『フロエタ』の世界に生まれ変わったの?」
何で?
何でそんな漫画か小説みたいなことに?
何で?
何で最難関の相手が向こうから来て、勝手にルートがスタートしてるの?
ありえない、絶対ありえない事が続いているのに、悲しいかなこれは現実のようです……。
乙女ゲーとその手の漫画や小説が大好きだったアラサーの私が、それこそ読んでいた転生モノの様な展開に身を置くことになるなんて……それなんて悪夢?
いけません、前世知識が蘇った事で、ラノベ的な言い回しまで思い出してしまいました。令嬢としては、はしたない言葉遣いですわね。
それにしても、どうしたら良いのでしょうか……。
このまま行ったら皇太子妃に、なってしまいかねません。
――それだけは絶対に嫌!
これが生まれながらの男爵令嬢だったなら、ひょっとすると頑張ってみようかなんて思ってしまったかもしれません。
でも八歳から貴族令嬢教育を受けた猫かぶりのわたくしは、どう頑張ってももう一匹猫を、それも特大サイズの妃猫を被る未来は絶対に回避したいのです。
被った先が幸せならばまだ良いでしょう。報われます。
ですが苦労して育てた猫を被り、肩の凝る思いに耐えて、溺れるほどの誹謗中傷を浴びせかけられた挙句に、取らねばならない手はアレです。
こちらの都合なんか一切考えずに思うまま振舞、混乱する乙女を放置して立ち去る常識も配慮もない俺様王子との結婚なんて、全力で回避したいに決まっているではありませんか!
しかも、今はまだ王侯貴族の力が強いこの国ですが、中流層が力をつけ発言力の増した現在を、その先の不安定化するだろう未来を、アノ王子が上手く乗り越えられるとは到底思えません。
頑張って猫を育て侮辱に耐えた先が破滅とか、冗談じゃありませんわ!
わたくしはラモス家と共に発展できる商人か実業家と結婚して、貴族社会とは距離を置く予定で生きているんです。
ヒメネス侯爵家と縁が持てる事を期待して、わたくしを嫁に求める貴族が存在することも分かっています。
もちろん、全力スルーで行きますわ!
あぅ、また前世のはしたない言い回しを使ってしまいました……。
とにかくこのままでは望む未来は得られないと覚悟して、慎重に対処しなければならないでしょう。
――お父様はダメね……
この難局を乗り切るにはわたくし一人の力では到底無理。
皇太子の横槍を跳ね返せる盾を用意しなければならないでしょう……。
――伯父様はどう動かれるかしら……
ゲームではヒメネス侯爵の心情は語られず、単にヒロインの地位を上げる理由付けとして登場しただけの存在でした。現実となれば、彼自身の思惑も絡んでくるでしょう。
姪を養女にして王宮での力を望まれるなら、抗うすべはありません。秘密にするなんて不可能ですわ。
無意識に頭を押さえて、襲ってきた眩暈を堪えます……。
――詰んでますかしら……
そうと決まったわけではありませんわ。
もし伯父上にその手の野心がおありなら、わたくしが生まれた時に動かれていても不思議ではありません。
皇太子の婚約者である悪役令嬢の実家、ゴメス侯爵家。
家格はほとんど同じでも、内陸のゴメス領と海に面したヒメネス領では、当時か
ら力が違っていたはず。王都への鉄道整備も早く整い、植民地からの交易で大きな収益を上げている財力をもってすれば、婚外子の養女を皇太子の婚約者にすることも出来ない話では無かったはずです。
――伯父様は、王家と距離を置こうとしているのかしら?
いえ、祖父の意向が影響しているのかもしれません。
娘を父に嫁がせずに、父の我儘を条件付きで承諾したマロン・ラモス会頭。昨今の常識にとらわれず、母やわたくしに商売のイロハを叩きこんだ昔気質の商人……。
お爺様が望まれないから阻まれた縁談ならば、同じ理由で断ることも可能ですわよね……?
何しろヒメネス領を潤しているのはラモス商会なのですから、侯爵様でさえ無下に扱うことは出来ないはずです。
――まずはお爺様に手紙を書いて、お考えを聞くことが先ですわね
祖父の意向が思っている通りなら、伯父上を動かしていただき王宮の内と外での守りを固めてもらう。これが打てる最善の策でしょうね。
父には当分内緒です。知られたら無邪気に喜ばれてしまう……。
――本当にあの人が、侯爵家の跡取りにならなくてよかった……
仲が宜しかったらしい先代の侯爵夫妻、つまり父方の祖父母は晩年になって最後の子供を、三男になる我が父ケヴィンを儲けました。
その頃にはすでに、嫡男のレナード伯父上は結婚をして居ましたが、生まれるのは女ばかり。女の爵位継承がは好ましく思われていませんので、一時は父を養子に迎えて相続させることで話が進んでいたようなのです。
幸い父が生まれた翌年に跡取りとなる男子が生まれ、父が養子になることはありませんでした。
それでも年老いて生まれた息子をほとんど孫のように可愛がり、兄姉も同様に末の弟を可愛がる。溺愛から歪むことは無かったものの、無邪気で思慮深さに欠ける子供のままに成人し、祖父の遺言で男爵位を与えられて独立したのです。
実兄の養子になり跡取りとしての教育を施されたら、ああは成らなかったかもしれませんが、人間の性格は環境が大きく作用するものの、遺伝による資質も無視できませんから……。
――とにかく部屋に戻って手紙を書いて、当面の対策を練らなくては……。
それにしても私は死んだんですね……。
前世の記憶は曖昧にしか蘇らず、名も思い出せない彼女の死因もあやふやです。おぼろに闇を割く鋭い光が思い出されるあたりで、交通事故だったのではと推察できますが、即死だったのでしょうか?
何か重要な仕事を抱えていた記憶がありますが、今となってはどうすることもできません。かつての同僚に負担を強いてしまった事を申し訳なく、草葉の陰から謝るほかありません。
「それにしてもフロエタとは……」
死にエンド物ではないだけ、良かったと思うべきなんでしょうね……対策の一環として、ゲームの内容を思い返してみましょう。
『フローラル・エターナル~恋の花は永遠に~』は、全年齢向けの恋愛ゲームでしたわね。
強引でカベドン、アゴクイがお約束の皇太子アレクシア。
腹黒とも言われた氷の微笑、公爵令息バーソロミュー。
悪役令嬢の弟でゴメス侯爵令息カール。弟キャラで可愛いのよね……。
野性的でありながら、その癖に思いやりもある辺境伯令息ダニエル。
物静かな優しいほほえみ、癒し系担当の第二王子ユージン。
同じ口説かれるなら、後半の三人でお願いしたい。もちろん学生時代の美しい思い出として、です!
嘘です。リアルでは遠慮しますわ!
ストーリーは貴族が通う学院に、婚外子の主人公が入学するところから始まり、背負った猫を時々剥がしながら王族、公爵、侯爵、辺境伯の子息達と恋愛を繰り広げ、リアルに考えると笑うしかない逆ハーエンドを含めて落としまくる。
――嫌ですわ、はしたない……
幸いなことに悲惨なバッドエンドは無く、ハッピー、トゥルー、フレンドエンドでヤンデレ等の危険なキャラも存在しない。
唯一悲劇に見舞われる悪役令嬢も、新大陸の植民地に送られるにとどまる。
――グロリアーナ侯爵令嬢って、どんな方なのかしら……
生まれた時から決まっていた婚約者に、身の程知らずにも手を出す不埒な娘を排除しようとして、植民地に送られる令嬢……。被害者ですわよね。
何とか誤解されないように誘導しなくては!
初めから皇太子妃に、いずれは王妃になるべく専門の教育を施されたグロリアーナ様こそが、その地位にふさわしいのです。
アレクシア様が彼女にふさわしいかは別ですけどね。
どちらに行っても悲惨な未来しかないなんて、お気の毒です……。
「でも、まずはわが身が可愛いです!」
膝をついたまま憮然と肩を落としていたわたくしは、強くこぶしを握り締めると気合を声に出して立ち上がったのでした。
書きあがるのかすごく不安・・・(´;ω;`)ウッ…