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二人が中庭の北側にある貴人専用の出入り口へ着くと、何人もの侍女によってすぐさま椅子が用意された。
白木で出来た頑丈で大きな椅子の背もたれと腰掛けに、細かい刺繍の施された布が幾重にも重ねて掛けられており、二人は柔らかな座り心地のそれらに各々腰掛ける。ちょうど向かい合う形となった。
「お前は毎日上達するのだな。剣使いとしてもうどこへ出しても申し分ないよ」
暖かい眼差しに笑みを宿して、ディルザードは妹のエファイテュイアを見つめた。
彼らが腰を下ろしたと同時に、複数の召し人が彼らの靴を動きやすいものから儀礼的なブーツへと召し変えていく。腰の剣を武芸用から装飾用の軽い細剣へ佩き変えさせる。エファルテュイアと同じほどの年齢の少女が、束ねた彼女の髪を解き、ブラシで梳いていく。ディルザードの背後にはライルと呼ばれた三十代前半の男が控えた。
「本当ですかっ」
「本当だとも。私がお前に嘘などつくものか」
「幸せっ。キトでいちばんの剣使いである兄様に認められるなんて」
彼の深い空の色にも似た瞳に、エファイテュイアは嘘の色は微塵も見出していない。彼女は兄を心底から信じているのだから。
身内の世辞や贔屓目はかなりあるのだろう。さらに言えば、二十三歳のこの兄は八歳年下の妹姫にひどく甘いときている。兄の言葉を真に受けて、素直に歓喜を露わにする少女があまりに愛らしく、ディルザードはくすくすと忍び笑いを洩らした。
「なぁに? 兄様」
「いや。お前はかわいいなと思っただけだ」
「あら。今ごろ知ったのですか」
「おや」
兄の言葉を真似て切り替えし、さすがの彼もしばし驚いた瞳を向けて沈黙する。そして同時に二人声を上げて笑った。無言で作業を続ける召し人たちも笑みを堪えているのがわかる。
彼女たちと直接会話を許されているのは、この城ではかなり限られているのだ。召し人たちの声を代弁するかのように、エファイテュイアの髪を梳いていた少女が口を開く。
「さすがの若君様も姫様には敵わぬようでございますね」
「ええ、そうなのラピカ。ディルザード兄様はわたしにはぜったい敵わないのよ」
胸を張って嬉しそうに答えるエファイテュイアに、ディルザードは頭を小突く真似をした。幼い少女の、だが凛とした瑠璃の瞳を見つめ、彼は眩しそうに双眸を軽く細める。
「……まったくお前は」
そうは言っても、彼とて彼女の弁を否定はしなかった。愛らしい妹姫は、兄の心情を知ってか知らずかきらきらと輝くようによく笑う。そのくせ剣を持ったときの表情は、一流の剣使いにも似た、鋭く隙のない光を放つのだ。その変貌が彼女を一層魅力的に見せているのだと知っているからこそ、彼は少女でありながら兄の真似をして剣を持ったエファイテュイアを否定せず、剣の扱い方を教えてきた。
「ーーーそういえば、今日はレキ=アードから御使者が来られるのでしょう? どのようなご用かしら?」
「さてね。父上は何もおっしゃらないのだから、私たちにはあまり関わりのないことだろうさ」
ちらりと彼は背後のライルを横目で一瞥した。執事の嫡男であり、幼いころのディルザードの教育係であった彼は、先ほどまでは無言でディルザードの背後に控えていたが、今は侍女と小声で話していた。話し終えると、ディルザードの視線に気づき、すぐに彼に近づく。
「ーーー若君様」
少し腰をかがませてディルザードの耳元に何事かを告げた。それを聞いた彼の表情がわずかにしかめられたことに気づき、エファイテュイアは怪訝な表情を浮かべた。
「兄様?」
「すまないな。今日の朝食はお供できそうにない。父上がお呼びらしい」
「えぇ~! 兄様ぁ」
毎朝の日課をこうも簡単に覆され、エファイテュイアは先ほどよりもさらに拗ねた瞳で兄を見つめた。彼にはそれが縋るような瞳に思えて胸が痛んだが、それを隠すかのように苦笑してみせた。
「万年新婚夫婦のようなお二人の朝食の席に呼ばれたのだ。行かぬわけにはいくまいよ」
だが、エファイテュイアはそんな言葉がほしいのではない。納得がいかないというように、あいかわらず恨めしそうに兄を見つめ続けている。
「お父様もお母様も、わたしを一人にしてばっかり!」
そこまで言われては何も言い返せない。ディルザードはすぐに折れた。怒った表情も可愛らしいとも思うのだが、いつまでも機嫌を損ねられても辛い。
「……わかったよ。あとで部屋を訪れよう。そんな顔をするな」
「ーーーはいっ!」
立ち上がり、エファイテュイアの頭を軽く撫ぜてそんな妥協策を提案すると、まるで羽根が風に舞うように感情の揺れ動きが激しい妹姫は、すぐに機嫌を直し満面の笑みで頷いた。
ディルザードは、腰をかがめて妹姫の前髪を少しかきあげる。陶器のように白く滑らかな額に軽く唇を当てると、彼女に手を差し出した。洗練された優雅な仕草は静かな時を生み出し、エファイテュイアもその中の一部になる。
差し出された彼の手に自らの手を添えて立ち上がった。瞳は見つめあったまま。
こうしていると兄妹というよりはまるで高貴な恋人たちのようだった。
「早く着替えて朝食をお食べ。ザッカリアのアイスクリームがお前に会えるのを待っているよ」
「ええ!」
そしてやはり、兄は妹の機嫌を取る方法を熟知しているのだった。