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この国の名をアージェント大帝国と言い、この街の名をキトと言う。
ちょうど五十年前に国から自治権を獲得して以来、北の帝都レキ=アードと並んで急速な発展と繁栄を続け、いまや第二帝都とまで呼ばれているキト。
大都市が自治権を得て半独立状態になるのは、さほど珍案ではなかった。人々の鮮血で領土を買い上げるような醜い争いを繰り広げるこの群雄割拠時代を利口に生き抜くためには、自治権制度が必要不可欠であり、また利害が一致する策でもあったのだ。キトは自由統治のために、国は大都市から発生する内乱を防ぐ手立てとして。
五十年前、大帝国から自治権獲得の運動を興し、それを見事に成し遂げたのは、今は亡きジェイカリエ・ラレス・アイルディア公爵。そのとき三十八歳であった。以来、キトの政権はアイルディア公爵家に代々受け継がれてきた。
この屋敷は、そのときから変わらずここにある。
* * *
ディルザードが両親の私室へ赴くと、すでに二人は席に座って彼を待っていた。召し人たちが一斉に腰をかがめる中を、彼は優雅な足取りで中央の卓子へ向かった。
「よく来たな、ディルザード」
「遅くなりまして申し訳ありません。父上様」
父ファルアランはかまわんよと言い、嫡男を自分の向かい側に座らせた。給仕の一人が椅子を引き、彼は腰掛ける。
動きやすい簡素な格好からすでに裾の長い礼式用の衣服に身を包んだその身は、きらきらしく華やかでありながら、端正な容姿を一層際立てていた。
フィンガーボールが一人ひとつずつ渡され各々手を洗っている間に、焼きたてのパンと朝の飲み物、トマトのシチューが運ばれてきた。
「今日は突然で申し訳ありませんでしたね。エファイテュイアは怒っていたかしら?」
公爵とその夫人という身分上、彼らは常に多忙な日々を強いられている。母親であるラーキアディナは、寂しがりやのエファイテュイアを気遣って少しすまなそうな瞳をした。
「拗ねられてしまいましたよ」
その表情すら可愛らしく思えるのだから、ディルザードは苦笑してそう答えた。
「あの子もなかなか兄離れしないな」
「あら? 貴方もなかなか子離れしたしませんわね」
会う機会はなかなか作れなくとも、ファルアランが一人娘を溺愛していることは周知の事実だ。ラーキアディナの言葉に反論も出来ず、彼は軽く肩をすくめて降参した。
ファルアランが飲み物を手に取ると、二人もそれに倣う。
「では、今日を祝して」
身分ある人々の朝の飲み物はたいてい、水にレモン汁を加えたものである。それを掲げてファルアランが厳かな声で今日の始まりを告げ、二人も同じようにグラスを掲げた。召し人たちは仕事を中断し、腰をかがめてグラスが降ろされるのを待つ。
今日のメニューは先ほどライルから聞いたとおりだ。それにパンと炒めた野菜、鳥の卵がつく。ザッカリアのデザートはエファイテュイアのための特別メニューであるから、彼らは代わりにアルコール度数の高いリキュールのシャーベットをデザートにする。
「ーーーところで父上様」
食事も中ほどまで進み、子羊の薄焼きソテーが運ばれてきたところで、ディルザードは少し居住まいを正した。
「そろそろ伺ってもよろしいでしょうか。ーーー火急のお話とはなんです?」
端的にそう問い掛けた。ファルアランも表情を改め、フォークを置いた。右手を少しあげると、そばに侍っていた召し人たちが足音も立てずに部屋を出て行った。
最後にパタンと扉が閉じられる小さな音を聞いてから、ファルアランは口を開いた。
「……ディルザード」
「はい」
彼が何かを言い渋るのは珍しい。勇猛果敢な剣使いとしても知られるファルアラン・ネカーナ・アイルディア公爵。一つの地区の統治者として迷いを見せることはほとんどない。
母を見ると、気丈な瞳は翳りを帯びていて、息子の視線を感じて少し目を逸らした。
「……どう言ったらよいものかな」
「ーーーいったいそれは」
「今日、帝都から使者が参られることはお前も知っておろう?」
回りくどい言い方が気になったが、とりあえずディルザードは素直に頷いて答えた。
「はい。先ほどエファイテュイアとも話題にしておりました」
「……そうか」
エファイテュイアの名を出したとき、ファルアランの表情の翳りが一層濃くなったように錯覚した。気のせい……だろうか。
「使者が参られる理由をお前は知らぬな?」
確認するように尋ねられ、ディルザードはまた一つ頷く。
「その理由をやはりお前にも知らせておこうと思って、な」
そして、その理由というのが、いつも涼しげなディルザードの表情をも一変させるには十分すぎるものだったのだ。




