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【夢幻の大陸詩】 砂上の堕天使  作者: 水城杏楠
四章  遠い日
13/34

 その日の朝、アイルディア公爵家の屋敷は騒然となっていた。

 エファイテュイア行方不明ーーー。

「何ーーー?」

「ラピカ殿は無事。ですが、ディー殿はすでに……亡くなられたと、護衛の者は申しております。中央会議に出席しております公爵様と奥方様にはすでに連絡の馬を用意させました」

 ライルのその先の報告はすでに、ディルザードの耳には入っていなかった。冷静沈着さを脱ぎ捨てて私室を早足で出て行く彼の背を、ライルが追った。

 向かう先は、医務室。

 別棟にあるその部屋は、通常ディルザードのような身分で入る場所ではない。普段は会うことすら叶わない貴人の突然の訪問に、医務室の前で待機していた護衛たちは驚きを隠せない様子で、恐縮しながら扉を開けた。

「早く薬を持てっ、足りんぞ」

「布もですっ!」

「は、はいっ」

「大丈夫ですから、何も心配しないでくださいっ」

 様々な声が飛び交っていた。扉のそばにいた医療師のひとりが、扉の閉まる音を聞いて振り返り、ディルザードの姿を目にして慌ててひれ伏した。

「治療を続けなさい」

 ディルザードの目配せを受けて、ライルが代わりにその医療師へ声をかける。彼は立ち上がり、その言葉に従った。

 医務室には三名の重傷者と八名の医療師たちがいた。あれだけの護衛たちがいながら、残ったのは彼らだけだというのか……。

「若君様!」

 医務室の責任者である中年の男が、ディルザードの姿を見つけて血だらけの服のままかけより、だがあまりそばには寄らずに跪いた。

「このような格好で失礼いたします」

「よい。それより話をできる者はいるか、レン」

 男ーーーレンはディルザードの問いかけに顔をあげ、だがすまなそうに瞳だけ伏せた。

「いえ、今はおりませぬ。全員、回復のために眠らせております」

「ラピカはどこだ?」

 エファイテュイアの側近だ。彼女を責めるつもりはもちろんディルザードになかったのだが、意識せずにきつい口調になるのを押さえることはできなかった。

「それがーーー」

 少し言いにくそうに、レンはしばらく沈黙した。

「……屋敷に着くなり気を失ったそうでございます。今は自室に運ばせまして寝かせております。ーーーずっと姫様のお持ちしていたぬいぐるみをきつく抱きしめたままだそうですが……」

 緊張と自責の念に耐え切れなかったのだろう、ラピカの顔色を直に見たレンはそう推測する。ミリュと命名されたウサギのぬいぐるみを、まるでエファイテュイアの代わりにするかのように必死に抱きしめていた。

 エファイテュイアはキトの街を統治するアイルディア公爵家の令嬢にして、未来の皇妃殿下なのだ。いまや、行方不明で済むような身分ではない。

「レン様……っ! 患者の一人が目を覚ましました!」

 はっと顔を上げて、レンはディルザードを見た。だが、彼の表情はまだ、厳しい。

「話せるかはわかりませんが、こちらへいらしてくださいますか」

「……そうしよう」

 部屋の一番奥にあるベッドに、レンは案内する。ディルザードとライルもそれに続いた。

 ひどい血の匂いがしたが、ディルザードは気にしていない。今は気にならないといったほうが正しいかもしれない。

 三人はベッドを囲んだ。まだ、歳若い青年が横たわっていた。ほぼ全身に傷を負っている。腹部を刺された傷は軽傷で済んだが、肩からの出血がひどかった。

「……こ、ここーーーは」

「大丈夫ですか。ここはアイルディア公爵家の屋敷です。貴方の名は?」

「……ケ、ティル」

 か細いながらもしっかりとした声で青年は答えた。焦点の合わない瞳が、虚空をさまよっているが、取り乱す様子はない。精神的には正常だと、レンはほっと息を吐いた。

「では、ケティル。こちらに若君様がおいでです。姫様のことで存じていることがあれば話して下さい」

「……わ、若、君様……っ!」

 夢うつつであったケティルは、はっと目を見開いた。慌てて起き上がろうとするのをレンの腕が制する。

 その顔に宿ったのは、恐怖と後悔……だろうか。

「あ……あぁ……。わ、わたし……は……っ!」

「興奮しないで。落ち着いてください」

 おそらくディルザードとは顔を合わせたことなどないだろうケティルは、声を震わせながら涙を流した。

 主家の姫を守れなかった……。

「申し訳、ございません……っ! 私が……私たちがいながら……っ」

 おそらくずっと罪の意識に苛まれていたのだろう、ケティルはレンの制止を振り切ってなおも起き上がろうとする。

 ディルザードが静かに声をかけた。

「そのままでよい。ーーー直答できるか?」

 声だけを聞けばひどく冷静だと感じるだろう。冷静すぎる……いや、むしろ冷淡と言うべきか。普段の彼とは異なる語調の欠片を見出し、レンは少し瞳を翳らせた。

 無理もない。たった一人の妹姫なのだから。

 ケティルははっと我に返り、ディルザードの顔を見上げた。あの日のオアシスと同じ色をした瞳、を。

「……は、はい」

 ディルザードの声に、ケティルは水をかけられたかのように大人しくなった。ディルザードの口調は穏やかだったが有無を言わせぬ様子で、それが正気を失いかけたケティルに公爵家に仕える護衛としての自尊心を取り戻させたのかもしれない。取り乱してはならない、と。

「ーーーでは、エファイテュイアは? あの子はどうした?」

 平静を装ってはいるが、ディルザードの声は焦燥感で早口になる。ケティルは一度目を閉じ、再び開いてから説明した。彼とて、ディルザードが何を一番に尋ねたいかはよく知っている。

「姫様、は……夜、お一人で、湖を見たいとおっしゃられ、馬車を出て行かれました。隊長を、ディー殿をお呼びいたしますかと私は恐れ多くも直に申し上げましたが、お一人がよいと……。それ以来、姫様のお姿を拝見した者はおられないと推測いたします」

「なぜだ」

「ほどなくして、蛮族の……奇襲を受けたのでございます」

「では、あの子は争いの只中にはいなかったのか」

「……おそらくは」

 それから先のことはもうあまり覚えていないのだとケティルは語った。誰かが生きて逃げ延び、公爵家に事態を知らさなければならない。誰もが必死だっただろう。隊長であるディーは、仲間たちを逃がすために最期までオアシスで戦ったらしい。そうしてここに辿り着いたのは三人の護衛たちとラピカだけなのだ。

「ライル、オアシスへ調査隊は」

「すでに手配いたしましたが……オアシスまでは速馬でも半日かかる距離なので」

「私も行こう。数人の兵を用意しろ」

「ですがまもなく公爵様と奥方様が」

「父上と母上にはお前から説明しておくがよい」

「かしこまりました……」

 思いとどまらせたいのは山々であったが、エファイテュイアのこととなればディルザードが引き下がらないことをライルは知っていた。

 長い裾を翻し、医務室を出て行く姿を、レンは痛ましい思いを抱えて見送った。


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