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【夢幻の大陸詩】 砂上の堕天使  作者: 水城杏楠
三章  捨てられた楽土
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「まぁ、綺麗だわ」

 森の中から現われた大きな湖は、月を反射してきらきらと、まるでこの世界のものとは思えない優美を秘めて輝いていた。

 この荒野は恐ろしい場所だとラピカは言っていたけれど、この湖を見る限りエファイテュイアはその言葉を忘れても大丈夫だと思った。

「……なんて幻想的。兄様みたい」

 湖に近づき、その縁に腰を下ろした。手を伸ばして水面に少しだけ触れてみる。この大地を流れる風のように驚くほど冷たかったが、それが不快にはならない。透明すぎる蒼色が、まるで兄ディルザードの瞳に似ていると思った。

「なんだ……野次馬か?」

 突然背後からかかった無愛想な声に、近くには誰もいないと信じていたエファイテュイアは、びくりと肩を震わせる。驚愕の色を浮かべたものの、恐怖はない。振り向いて立ち上がると、黒い影が見えた。

 もちろん警護の一人ではないことだけは彼女にもわかる。こんな端的な、素っ気無い言葉を向けられたことなど一度もないからだ。

「似合わぬ感想を……」

 呆れたような語調。だが、言われた意味がわからず、エファイテュイアはじっとその影を見た。

 背は兄ディルザードよりも高いだろうか。男の右肩にはエファイテュイアが見たこともないような、大きな鳥が止まっていた。

 右手に手綱を引いている。濃い赤の毛並みを持つ馬だ。ディルザードの白馬のように鞍などはついておらず、ただ手綱だけが首につけてあった。

 ゆっくりと近づいてくるその影に、おもわず両手に抱えた剣を握り締めた。その剣さえあれば、何があっても大丈夫だと信じられたから。

「猛々しい娘。だがここでは無用心な言葉は避けるがよかろう」

 月明かりの中、その影の顔だちがゆっくりと浮かび上がる。頭には無造作に赤色の布を巻きつけてあって、そこから長い金色の髪がこぼれ落ちていた。金色といっても、ほとんど手入れもしていないのだろう、エファイテュイアのような艶はまったくなく、色褪せ、どちらかというと薄茶色に近い色合いだった。服装も質素で、ところどころ破けているようだ。

 そして、頭部を覆う布は彼の右眼をも隠している。

「……あ」

 思わず息を呑んだ。

 遠い海のような色をした瞳。深い緑は、エファイテュイアのアクセサリによく使われる翠玉に似ている。

「……あの、ときの」

 エファイテュイアはしばしその瞳を凝視した。数日前に会ったのをまだ覚えている。馬車の中から見えたその瞳は、恐ろしいほどに強烈な光を放っていたから。

「なんだ? あのときの貴族の女か……」

 さほど興味がないというようにそっけなく、青年は言う。覚えられていたことが意外だった。彼らはデリトナ荒野を通過するあらゆる馬車を襲っては金品を手に入れているのだとラピカが言っていたから、彼らにとっては日常のことであり誰でもよかったのだろうと思っていたのだ。

 ディルザードでさえいまだに捕らえることができない蛮族。それが今、エファイテュイアの眼前に、いる。

 伸ばせば触れることができるほど、近くに。

「どうしてここに貴方がいるの?」

「オアシスは我らのものだ」

 即座に、澱みなく言い返された。くだらない質問にいらいらしているような含みがあった。

 その怒りを表わすかのように、肩に乗っていた鳥がばさっと翼を広げた。だがーーー片方だけ。

「……その、鳥」

「静かに」

「きゃ」

 言いかけたところで突然、彼の腕が伸びてエファイテュイアの唇をふさいだ。小さく悲鳴を上げたが、それももう青年には届いていなかっただろう。叫びたくとも、これでは声を出すことも出来ない。

 しばらくは、閑寂だけが時を支配した。

「ーーーまずいな」

 エファイテュイアの耳元でそんな、冷静な声が聞こえた。反問するより先に、彼は素早い行動に出た。

「……な、なに、を」

「黙れ」

 青年がエファイテュイアの腰に手を当てたかと思うと軽々と持ち上げ、赤毛の裸馬の背に乱暴に乗せた。続いて彼もエファイテュイアの後ろに勢いよく跨る。

 馬に乗ったことなどないエファイテュイアである。その目線の高さに呆然として声も出せないでいる間に、青年は馬の腹を蹴り、二人を乗せてそれは走り出した。どうやって座ったらいいのかわからないエファイテュイアはずるりと落ちかけたが、男がその腰に手をまわしてずっと押さえつけていた。

 次第にオアシスから遠ざかる。

(怖い怖い怖い怖いーーー兄様……っ!)

 騒ぐこともできない少女は、初めて覚える恐怖の中でぼんやりとそんなことを考えていた。


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