第二十二話 遠雷の空に轟け、打ち上げ花火
二十二話を投稿します。よろしくお願いします。
「暇だぁあああ!!!」
夏休み中旬、エアコンの効いた室内で早坂陽一は叫ぶ。いつもの光景である。文月智花はそれを見て、パタンと本を閉じ、こう一言。
「読書したらいいじゃない。暇も潰せるわよ。」
「それお前は暇潰せるかもしんないけどさあ!!」
便利屋ユイ一行の四人、文月智花と早坂陽一と糸瀬優依と桜真白は今日のボランティア活動を終えて、部室棟の一角で各自、暇を潰していた。
誰にも気づかれなさそうな校舎の片隅に彼らの青春はあった。
真白は依然としてパソコンばっかりいじっている。
「パソコンはいいですよ、さ、一緒にゲーム制作やりませんか」
「俺そういうのはちょっと……」
陽一はもう一人の少女のところへ振り向き。
「めちゃくちゃ暇じゃね?なあ糸瀬……?」
「あら、そうでもないみたいよ?」
糸瀬優依は真剣に裁縫と向き合っている。
「何だよ!!全員趣味持ちかよぉ!!」
「あんただってサッカーがあるじゃない。外でやってきたら?後輩もいるんでしょ?」
「だって暑いじゃん!!、別に俺メインじゃねえし!!」
「利己的ねぇ……」
「ったくよお、長いよな、高校生活ってさ……」
そのときガラガラと扉が開く音。
「あの、ここって『便利屋ユイ』であってますか?」
「ええ、みんなの悩み相談の場よ。今日はどういったご用で?」
「私を、夏祭りにつれてってください!!」
机をくっつけただけの簡素なテーブルに座る面々。
それに対するは依頼主。
「ど、どうぞ」
優依がお茶をコトン、と置く。
机をくっつけただけの簡素なテーブルに乗るお茶。
「ふーん、ここに行きたいんだ、宮下さんは」
宮下真津梨、高校二年生。
眼鏡の奥で視線を落としたまま、制服の襟がきっちり調えられている。
まつりという派手そうな名前の印象とは裏腹に伸ばした前髪が特徴的な暗いイメージの少女だった。
「はい、そこは母との思い出の場所なんです。でも私引っ込み思案でどっかに行く友達とかもあんまり居なくて……」
「これって結構近くの川でやる祭りじゃね?」
「そうなんです」
(こうやって部室に来る人って結構少ない気がするなあ)
と、優依は真津梨さんのくれた夏祭りのビラを見ながら思っていた。
『むむむ……』
(あ、唯さん、どうしたんですか?)
“久遠唯”。私にだけ見える守護霊的存在。何やら難しい顔をしている。
『優依。何かこの子からはやばい雰囲気を感じるぞ』
(やばいって……?)
『この前トンネルで感じたあの雰囲気に似てる』
「夏祭りかー。ちょっと急には難しいかな。ごめんね」
智花はカレンダーを気にしつつ、そう言った。
一応明日にもボランティアの予定は入っている、補修の予定や個人的な旅行の準備の予定もある。
「そうですよね……」
真津梨さんは口惜しそうに頭を下げた。
「……?」
その瞬間、一瞬何かが床の影から立ち上がるように伸びていったようにみえた。
優依の奥で“久遠唯”が反応した。
『まずいな……やっぱりだ。あのときの怪異の気配だ。彼女の中の未練に寄ってきている。ほっといたら最悪、――死ぬぞ』
(えええ!?)
優依は帰ろうとする前にこう言ってみた。言わざるを得なかった。
「えっと、せっかくだしさ、受けてみない?」
「でも祭りって結構やることあるわよ?浴衣着たり、移動だって……」
「行きたくてもいけない。これ、未練だよね?」
智花は一瞬驚いた顔をした。この前のトンネル事件を彼女も思い出したみたいだ。
「そ、そうね。言われてみればそうか」
「よし!!じゃあみんな夏祭り、行くわよ!!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――
というわけで、次の日一行は、近くの比較的大きな川で行われる祭りまで来ていた。川辺に下げられた提灯と人々の流れ。そして屋台の焼きそばの匂いが夏の空気に溶けている。
「うおおおお!!!祭りだあ!!!」
「はしゃぎすぎ」
「懐かしいです。この道を歩いたの、今も覚えてます」
真津梨は辺りを眺めている。
「お母さんと通ったんだ?」
「ええ。幼い頃に離婚しちゃって、今もう会えないんですけど。ははは、あの頃は楽しかったなあ……」
遠い目をする少女。その先には夏祭りの風景。
(唯さん。影の調子はどう?)
『安定しているな。おそらく彼女の未練が夏祭りを通じて消えかけているのだろう』
(よかったぁ……)
「本当に来られてよかったです。父も忙しくて基本的に私一人なので」
「喜んでもらえてよかったわ」
智花も安心して居るみたいだ。
「ええっと……二十時から花火大会あるみたいだから、それまで適当に回るか」
「はい!!」
「何か回ってみたいところはある?」
「そうですね……」
真津梨さんは辺りを見回した。ふと、綿菓子屋が目についた。
「綿菓子……懐かしいな……」
綿菓子を真津梨さんはしばらく見つめたままだった。
ふわふわしたそれを見ている目は少しだけ遠くを見ていた。
「家族で来たときに、私が駄々こねて買ってもらったんだっけ……」
その言葉に、綿菓子の白が少しだけ揺れて見えた気がした。
「いいですね、そういうの」
軽く返したつもりだったが、真津梨さんは綿菓子の屋台から目を離さないまま、ほんの少しだけ微笑んだ。
「……母が、好きだったんです。こういう祭りが」
「お母さんが?」
「はい。派手なものとか、楽しいことが好きで。毎年、無理やり連れて来られてました」
その“無理やり”という言葉に、智花が小さく笑う。
「でも、嫌ではなかったんですね」
真津梨さんは一拍おいてから、静かに頷いた。
「たぶん……嫌じゃなかったんだと思います。綿菓子も、金魚すくいも、全部……今思うと、あれが普通の時間だったんだなって」
綿菓子屋の前を、浴衣姿の子どもたちがはしゃぎながら通り過ぎていく。白い砂糖の雲が風に揺れて、ほんのり甘い匂いが漂った。
「じゃあ、買ってみますか?」
思わずそう言うと、真津梨さんは少しだけ驚いた顔をしたあと、小さく首を振った。
「……いえ。今日はいいです」
その代わりに、綿菓子の白い塊をもう一度だけ見つめて、ふっと息を吐く。
「見てるだけで、十分思い出せるので」
その言い方が少しだけ優しくて、智花も黙って頷いた。
「そろそろ行こうか。花火、場所取りもあるし」
「はい」
三人は屋台の並ぶ通りをゆっくりと歩き出した。
足元では、焼きそばの匂い、かき氷のシロップの甘さ、遠くの太鼓の音が混ざり合って、祭りの空気を作っている。
やがて通りを抜けると、人の流れが同じ方向へとまとまり始めた。浴衣の群れの先、少し開けた場所の向こうに、川沿いの堤防が見える。
「……あそこが会場ですか?」
真津梨さんが少しだけ目を細める。
「うん。あそこから花火が上がるはず」
川面にはすでに小さな灯りがいくつも浮かんでいて、夜の始まりを静かに知らせていた。
「……母にも、見せてあげたかったな」
その一言は風に溶けるみたいに小さかったけれど、確かにそこに残ったままだった。
屋台通りを抜け、堤防に出た。
ざわざわ……
「すごい……」
「これ全部人かよぉ1!」
人、人、人―――視界の端から端まで、浴衣と提灯と話し声で満たされている。屋台の明かりが川面に揺れて、まるで夜そのものが別世界のようだった。
智花の誘導につられて歩く一行。
左右にはびっしりと人が並び、レジャーシートを広げる家族連れ。肩を寄せ合うカップル。
スマホを掲げる人々。誰もがこれから起こる夏の風物詩を楽しみに待っていた。
「ここ空いてる!!」
智花が立ち止まった場所は、堤防の少し開けた一角だった。人の流れの隙間をうまく拾ったような、わずかな空白。そこにだけ、かろうじて夜風が通っている。
一行は肩を寄せるようにしてその場に腰を下ろした。
すぐ目の前には、川面が広がっている。提灯の光が揺れて、水面に細い金色の筋を引いていた。遠くでは屋台の呼び込みの声がまだ響いていて、近くでは誰かの笑い声が弾けている。
「……ほんとに、すごいですね」
真津梨さんがぽつりと呟いた。
その声は、周囲のざわめきに溶けそうでいて、なぜかはっきりと耳に残る。
堤防いっぱいに広がる浴衣の色、提灯の揺れる光、焼きそばの匂いと、遠くで響く太鼓の音。それらが混ざり合い、夜そのものを熱で満たしている。
普段のこの辺の静けさを知っているからこそ、その差は余計に際立っていた。
まるで、別の街に迷い込んだみたいだ。
「冷てっ……ん?水?」
陽一がつぶやいた瞬間、ぽつりぽつりと冷たい水滴が頬を撃つ。
堤防に満ちていた熱気が、一気に方向を失った。
サァァアアア……と強さを増していく。
「雨だ!!」
さっきまで肩を寄せ合い、笑い合っていた人々が、今は一斉に動き出している。レジャーシートを畳む音、傘を探す声、濡れた浴衣を押さえながら走る足音。
そこにあったのは、祭りの統一感ではなかった。
失望と焦りが、ばらばらに散っていく光景だった。
サアアアア……
「うわ、最悪……」
舌打ちする智花。
その隣で、真津梨さんは濡れていく頬をそのままに、空を見ていた。
「花火、見たかったなあ……」
そのとき、優依の中でもう一つの意識が息をのんだ。
『優依……見えるか。あの向こうの黒い渦が』
(え?唯さん。どうしたの?うわっ!!何あれ……)
『これだけの連中が望んでいる花火だ。さぞ相当量の未練が溜まっているのだろう』
雨に混ざるように目には見えない何かが堆積していく感覚がある。
ざわめき、失望、焦り、落胆。
『楽しみにしていた分、失望もより深いということだろうな』
「……っ!!」
気づいたときには優依は動き出していた。考えるより先に、身体が反応している。
足に力を込め、堤防の端へ一歩踏み出す。誰にも気づかれないように。
雨はすでに本降りに近い。視界の端で、人々が花火を諦め始めているのが見えた。その感情の揺れが、まるで濃度を増す霧のように空間へ滲んでいく。
(やるなら今だ。未練が形になる前に叩く)
優依は拳に力を込めた。
「はぁっ!!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
一行の空気が沈んでいる。花火を前にして突如降り出した雨。陽一が悔しそうに空を見つめる。
「まじか……運悪りいなあ……」
「まあ、しょうがないわね。見てても雨強くなるだけだし、帰るか……」
智花がそう言いかけた途端、
ドオオオン!!!
――空が鳴った。
「え……?なに、今の音」
夜空に鬱々と垂れ込める雨雲。その中心に大穴が空いている。急に現れたその穴はみるみるうちに広がり、
パアアアアアア……と夜空が開いた。
「え」
「嘘だろ……!?」
その空白を埋めるように、ヒュウウウ……と上がっていく光の線。
一瞬の静寂。
そして――
ドンッ!!という火薬の爆ぜる音。
金色の光が一気に広がり、裂けた雲の縁をなぞるように夜を染め上げる。
「うわ……」
誰かの声は、もはや言葉になっていない。
二発目、三発目と続く花火が、まるで空の傷口から溢れ出す光のように打ち上がっていく。
雲の隙間が完全に開き、そこから覗く夜空は、さっきまでとは別世界だった。
雨で沈んでいた会場が、一瞬で“祝祭”に戻る。
「すげえ……」
「見えた……花火……!」
ざわめきが歓声へ変わる。
そしてその中で、真津梨さんが静かに息を呑んだ。
「……ほんとに、戻ってきた」
真津梨さんの頬を一筋の光が伝った。
花火は止まらない。
空の裂け目から溢れるように、次々と色が咲いていく。
赤、青、金――そのすべてが夜を塗り替えていく中で、真津梨さんは目を逸らさなかった。
まるで、誰かに“見ていてほしい”と言われているかのように。
智花がそっと横を見る。
「……よかったね」
その言葉に、真津梨さんは少しだけ目を細めた。
涙は止まらないまま、それでも静かに頷く。
空に輝く花々を見ながら陽一がつぶやいた。
「こうやって花火見てるとさ、俺たちも最後の夏休みなんだよなって思うよな」
「陽一にしてはナイーブね」
冗談めかして言う智花。うるせえよ、と静かに返したが、陽一は真剣な表情を崩さない。
「……だからさ、暇とか言ってねえで、悔いのないように生きねえとな」
空いっぱいに広がる光が、ほんの一瞬だけ全員の表情を照らす。
真津梨さんは涙を拭わないまま、その光を見つめていた。
智花は小さく息を吐く。
「……後悔は、したくないね」
その一言だけが、夜に静かに沈んでいく。
花火はまだ終わらない。
続く
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