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3 おでかけまえに

 鏡の中に映る自分の姿は、他人からみたそれとは違う。いつだったか、瞑夜が通っていた大学の教授から問われたことがある。


 鏡の中の自分は、左右対称。本人とは別のものである。

 では、なぜ鏡は左右対称なのか?


 鏡を前に考えた。

 瞑夜は立っている自分の軸が縦だから左右対称になると答えた。


 ではなぜ鏡は上下対称ではないのか?


 教授の質問に当時の瞑夜は答えに詰まった。

 たとえば自分が体を真横にして水平に立ったとしても(現実にはありえなくても)、それでも鏡は瞑夜に対して左右対称だ。


「鏡の世界は反転世界。反転する軸はどこにある?」


 ふと、教授との会話を思い出した瞑夜がぽつりとつぶやいた。

 朝ごはんを食べ終えて、鏡を前にして瞑夜は襟元を整えて出かける準備をしている。

 瞑夜の艶やかな黒髪の後ろがはねているのを直してやりながら、少し考えてから晧暎は答えた。


「自分の中、とか?」

「なかなかロマンチックな答えだね。晧暎がそんなふうに答えるとは思わなかったなあ」


 くすりと笑う瞑夜は自分の後ろに立つ晧暎を鏡越しに見た。


「まあ、正しい答えは、『鏡は前後を反転させるもの。左右対称とか上下対称というのは、重力に引っ張られて生活しているひとの概念にとらわれている結果、そう感じられるもの』なんだって」


 かつて教授が教えてくれたことだ。目に見えるものと自分の感覚はすでに目に見えないものに影響されている、と。

 鏡は単純に光学的に反射しているだけで、物体との距離を前後させているにすぎない。


「へえ、そうなのか。ちょっと面白いなそれ。鏡を見て、やっぱり自分を中心に左右とか上下とか考えちゃうもんな普通は」


 晧暎の感心した声に、瞑夜は満足そうに頷いた。


「晧暎も、やっぱりそう思った?」


 にまにまと笑みを浮かべる瞑夜は嬉しそうだ。


「ああ。思った。ごく自然に、ごく普通に、そう思ったよ」


 晧暎の返答にさらに笑みを濃くして、瞑夜は体をくるりと反転させて晧暎に抱きついた。そしてそのまま自分の額を晧暎の肩にすりつけるようにした。


 猫のように甘えてくる瞑夜を、晧暎は嫌がるふうでもなく息をついて軽く肩を叩いた。


「わかってるから。こんなことで瞑夜が喜ぶわけも、俺はちゃんとわかってるから。な、だからいい加減そろそろでかけような? このまま抱きつかれてたら動けないからな。今日は瞑夜の買い食い癖を治せるようにするんだったよな?」

「うん」


 返事はするものの回した腕を緩めない。肩に寄せた額を離し、至近距離で俺を見つめる。


「よしわかった。瞑夜に動く気がないならこっちにも策がある。あと5秒以内に外に出なければ、今日の夕飯は水だけだ! 5! 4! 3! 2!」

「むっ、夕飯を人質にするなんて外道だ!」


 文句を言いながらも、瞑夜はぱっと手を離して玄関へと走って行く。

 やれやれ、と嘆息した俺は、けれども口元に優しい笑みを浮かべる。

 俺が外に出るようになってから、いろいろなことを学んだ。今までは瞑夜の生活の世話だけしていればよかったのだが、次第にそれでは物足りなくなてきた。

 いろんな人と出会い、会話し、触れることで、瞑夜の知らなかった顔が明らかになっていく。そんな中で俺は、なんとなく、瞑夜が俺を外に連れ出した理由がわかってきた。

 それは、<モノ>である人形(ドール)から<ひと>へ近づけるためのプロセスだったんじゃないかと思う。

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