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「コーネル。あなたは、悪い人ですか」
掴んだ手に力を込めて、コーネルの目を見つめる。こういうとき、人の身体は口よりも雄弁で。一瞬だけ右上に泳いだ視線に、抱いていた疑惑が確信に変わった。
「アルを侵しているのは、病じゃない」
「……では、何が」
アルが不思議そうに私の名前を呼ぶ声も、お父様とお母様が戸惑いがちに私を諌める声も、どこか遠く聞こえる。ただ掴んだ手からコーネルの魔力を感じとることだけに集中して目を閉じた。清らかな魔力の流れ。そのもっと奥の方、深いところに、隠れて揺れる暗く淀んだ光が一点。瞼を持ち上げて見据えたコーネルの顔は、何か覚悟を決めたかのように落ち着いていた。
「呪い……死に至る黒魔法、ですよね」
私の零した言葉が静まり返った部屋に広がって、その後。沈黙を破ったのはコーネルの静かな声。
「……バレて、しまいましたか」
「お前、何を……?」
いつも落ち着いて振る舞うお父様の顔に、信じられないという絶望混じりの表情が浮かぶ。対してコーネルは何の感情も窺えない表情で冷たく言い放った。
「その黒魔法をかけたのは、私です」
「コーネルッ!? どうして、お前はなんてことをッ……!」
次の瞬間には、お父様がコーネルの胸倉を掴んで声を荒げていた。彼がこんなに取り乱す姿を見るのは初めてだ、なんてどこか他人事のようにぼんやり思った。お母様の驚きに見開かれた瞳から涙が零れ落ちるその様がやけにゆっくり見えた。俯くアルの表情は分からなくて、ただその頭を撫でて抱き寄せた。
嘘つき。信じてたのに、あなたはずっと嘘つきだった。ずっとずっと――今だって。
「嘘つき」
私の情けなく震えた声で、今にも殴りかかりそうだったお父様もピタリと動きを止めた。コーネルの目がやめてくれ、と訴えているように見えたけど、そんなことは知らない。
「コーネルの……嘘つき! ばか! コーネルのばーか!!」
令嬢の欠片もなく叫ぶ私は今ひどく子どもじみているだろうけど、そんなこともどうでもいい。
「あなたはアルが病気だと嘘をついた、でも! ……魔法をかけたのは違う、別の人」
「ッ、いいえ! 確かに私が……!」
取り繕うように発せられたコーネルの声を制したのは、怒りも動揺もすべて押し込めて落ち着きを装ったお父様だった。普段よりも幾分低い声で私に尋ねる。
「ミラ。コーネルじゃないという、根拠は」
促されるままに私が口を開こうとしたそのとき。部屋のドアがゆっくりと押し開けられて、そこには。
「リュケイオン、殿下……!?」
驚愕の表情を浮かべるコーネルから絞り出すように洩らされたその単語は、そのままリュオンその人の立場を表していた。突然の出来事に、いっそうの驚きがその部屋に広がった。
っていうか、あの、リュオンさん……。
「……私が呼んだら来てって、言ったのに」
早いよ、何でもう来ちゃうかな。私の呟きを拾ったらしいリュオンが罰の悪そうな表情を浮かべた。
「いや、なんか叫んでるのとか聞こえるし、居ても立ってもいられなくなったというか……すまない」
「……まあ、冷静さを欠いた私にも非はあるし」
そっと息を吐けば、リュオンの情けなく垂れた眉の皺が和らいだ気がする。そんな私たちのやり取りを見て混乱しつつ言葉を押し出したのはお父様。
「まさか、第二王子の……?」
来訪者の正体を知ったお父様とお母様も動揺を隠せないままに慌てて礼をとろうとするが、それをリュオンが手で制した。表舞台から退いたとはいってもその振る舞いはやはり王族のそれらしく洗練されていて、ああ本当に王子なんだと再確認させられる。
「知らせもなくこうして公爵家に立ち入ったこと、まずはその非礼を詫びさせてくれ」
「いえそれは、構いませんが……」
「殿下ッ、どうしてこちらに!?」
困惑気味に返すお父様が更に続けようとしたのをコーネルの声が遮った。高位の者の言葉を遮るなんて貴族社会では御法度なのに、それだけ彼も動転してるんだろう。自分より取り乱している人を見ると自然と高ぶっていた感情も落ち着いてくる。
「私がお招きしました」
そう言えばまた一斉に私に集まる視線。おかげで気持ちは落ち着いたし、意外とリュオンの登場はいいタイミングだったのかも、なんてひとりで満足してみてもお父様たちは余計に意味が分からない風だった。ただコーネルだけは、何か察したようで難しい顔で俯いてしまっているけど。さて、これからどうすれば――
「王宮での日々に……ただ命を削られていくだけの毎日にうんざりしていたとき」
リュオンの声が聞こえてきて、一度自分の思考にストップをかける。これはもうなるようになれ、だ。閉口して視線を向ければ、一瞬リュオンの紫とアルの空色が交わった気がした。でもそれもすぐに逸らされて、彼は続ける。
「王宮を訪れていた商人から密かに精霊石というものを買い取った。この石に願えば好きな場所に移動できる、そう聞いたから」
先も長くない俺を気にかける人間はあそこにはいなかったし毎日王宮を抜け出すことも簡単だった、そう続けるリュオンの翳った瞳の色が何だか凄く嫌で、私はアルの手を引いたまま彼の傍に寄った。
「ただ、穏やかな場所を願った。――そしてここに来て、ミラメティス嬢と出会った」
「だからミラ、毎日外に……?」
ポツリと零されたお母様の言葉に小さく首肯して、私はまたコーネルに向き合った。
「リュケイオン殿下とアルの症状は同じ。そしてふたりの担当医はコーネル、あなただった」
「ですからッ、全ては私がやったことだと……!」
叫ぶように主張するコーネルの苦しげな表情、アルとリュオンの不安に揺れる瞳。そうさせているのは私だと、痛む心に気付かない振りをする。私は、進まないと。
「二人にこんな高度な黒魔法をかけられるほどあなたの魔力は多くないし、何より魔力の質が違う」
「それ、は……」
沈黙は、肯定と同じ。
「コーネルには、白魔法がよく似合います」
私の師は、あなたです。上手く笑えていたか分からないけど、精一杯の笑顔をコーネルに向ける。アルが私の腰に抱き着いてきたのと、リュオンが私の頭を撫でたのは同時だった。コーネルが私たちにくれたものは大きい。たくさんの嘘の中で、本当のことも確かにあったと信じていたい。暖かい笑顔、優しい手のひら。慈しむような穏やかな瞳。
「……コーネル、答えろ。どうして嘘をついた。黒魔法のことを知っていて言わなかったのは、何故だ」
訊ねるお父様の声は、ともすれば懇願に似た響きをもっていた。コーネルを信じたいと思うのは、お父様もお母様もみんなきっとそう。
「……私、は」
唇を噛み締めて沈黙を落とすコーネルの手は、固く握られて震えていた。嘘つきで、優しい人。その手に触れて、私は繰り返した。大丈夫、大丈夫だよ。
「大丈夫。今頃きっとギルが……」
その言葉の続きは、勢い良く開け放たれた扉の音で掻き消されてしまったけれど。
そこには、何か大きな物体を担いだまま肩で息をするギルの姿。
「……任務完了、だな」
深く息をついた後にそう洩らしたギルの背後から、ふたつの影がそっと顔を覗かせた。彼女らは――。
「アマリア! エリック……!」
その姿を認めた途端、弾かれたようにコーネルが駆け寄って彼女らを抱きすくめた。無事か、怪我はないのかと確かめるように何度も言葉を零すコーネルの瞳からは、ボロボロと雫が流れ落ちている。
「こちらの従者の方が、助けて下さったのです。……あなたも、もう嘘をつかなくて済む」
「父上ッ……よか、った……!」
コーネルの腕の中で、憔悴した顔に安堵の色をのせる彼女らは、きっとコーネルの妻子であり――今回の件の、人質。きっと家族の安全を守るためには、アルとリュオンを蝕む黒魔法について口を噤む他なかったんだろう。
アルとリュオンを害そうとした人間は、コーネルじゃなく別にいる。その人物はまだ分からないけれど、抱き合う三人の姿にとにかく安堵感と同時に涙が押し寄せて仕方がなくて、私は感謝の言葉の代わりにギルの懐に抱き着いた。