3月31日(土) お2
そうして、稲森美和と紫はビオランテ出版を後にした。また、会社に戻ってくるとのことだったので、スーツケースは置いていくことにする。まずは賃貸のプレスタール春日山に行って、新居の鍵を取りに行く。
「紫さん、今日はエコ地下キップ買った?」
「買いましたよ。美和さんが買うように言われたから」
「このキップは、五百円で一日中、地下鉄が乗り放題になる便利なキップなんですよ」
それで買うよう言っていた訳か…。エコ地下キップなんてシャレた名前をつけずに、一日乗車券と言ってくれた方が、よその地域から来た人には分かりやすいだろうに…と思いながら。
先ほど、地下鉄を降りた博多駅から再び地下鉄に乗り、まずは天神駅へと向かった。それから、美和に地下鉄を乗り換えると言われて、天神地下街を南へと歩く。
「紫さん、ここが天神地下街ですよ。この前はここへ来れんかったでしょう?」
「この前は時間がなかったからね…」
そう言いながら、天神南駅にたどり着いた。美和の話では先ほどの路線は空港線で、これから乗るのが七隈線とのこと。天神南駅は七隈線の始発駅である。ここから賃貸のプレスタール春日山のある六本松へと向かう。
「福岡は、地下鉄が三路線しかないから、地下鉄沿線沿いに移動すれば、まず迷わんけん。しっかり覚えてね!」
「美和ちゃん、ありがとう。私、方向音痴だけど、それなら何とかなりそう」
「それに万が一迷っても、福岡の人は必ず道を教えてくれるから大丈夫ばい」
前の出張の時とは打って変わって、博多弁を全面に出して話している美和を見て、紫は福岡の人の距離感の縮め方に弱冠戸惑いを感じる。まあ、様子を見ながらじわじわと距離を縮める東京都民に比べると、この気さくさは異質な者にすら感じられる。しかし、人としての暖かみは明らかに福岡の方が上である。
六本松に着き、地下から地上に出ると、大きな空き地が広がっているのに驚いた。
「ここは昔、九大の教養部があったんばってん、数年前に九大が伊都に移ってしまってさ…。これから、ここは再開発されて家庭裁判所などが移るらしいよ」
「へえ、そうなんだ」
「それでは不動産屋へ行きますよ!」
賃貸のプレスタール春日山は六本松駅から一分の好立地にあった。駅前の交差点から、不動産屋の看板が見えている。賃貸のプレスタール春日山は雑居ビルの三階にある。前来た時は車で来たから気付かなかったが、これほどの好立地にあったとは…。さすがは不動産屋である。
「この辺りは、地下鉄が開通する前から便利な所だったけど、地下鉄ができてから増々便利になったちゃん。地価も上がったちゃんね」
そんなうんちくを言いながら歩く美和の横で、紫は見知らぬ街をキョロキョロと見渡していた。




