3月12日(月) ÷2÷
西仙石駅に着いてから、自転車に乗ろうとした時であった。学生時代の友人・奥村すみれから突然の電話がかかって来た。何事かととまどいながら、紫は電話を取る。
「もしもし、紫、元気?」
「元気よ! すみれこそ元気そうで何よりだね」
「急で申し訳ないけど、明後日の夜は暇?」
「そうだね。その日は休みだから、暇と言えば、暇だね…」
「それはよかった。急で申し訳ないけど、水曜日に仙石駅前のライブボックスで私のライブをやるんだけど、音響担当がインフルエンザでぶっ倒れてね…。困っているの…。それで音響担当の代役を探しているんだけど、素人ではできないから、経験者に声かけているのよ…」
奥村すみれはバイトで食いつなぎながら、未だにアーティスト活動を続けている。大学卒業してからメジャーデビューを目指して、もう十年以上くすぶっている。最初は学生時代から活躍している軽音部でボーカルをやっていたが、今から五年前に限界を感じたドラムとベースが辞めて、すみれはソロになってしまった。
その後、アコースティックギターを片手に活動するようになった。学生時代に同じゼミだった縁で、紫はグラーノ・ベルデの裏方を何回か手伝った事がある。グラーノ・ベルデとはスペイン語で「未熟な果実」と言う意味ですみれがかつて所属していたバンドの名前だ。
いつかおいしい果実が実りますようにと言う願いを込めて名付けたらしいが、未だに実は未熟なまま…。誰でも簡単に「ゆず」や「いきものがかり」のようになれたら苦労はしない。それでも、すみれがあきめずに続けられるのは熱意や努力だけでなく、親の理解と援助によるものであった。
「ちょっと、紫、聞いているの?」
「あっ、ごめん、ごめん。あまりにも久々だったからさ、ちょっと昔を思いふけってしまって…。なんか、音響担当が懐かしくてね…」
「まあ、十年ぶりに頼めば、そうなるか…。で、どうなの? 引き受けてくれるの?」
「仕方ないな…。いいよ。引き受けてあげる。でも、十年ぶりだから、ちょっと不安だな…」
「大丈夫。紫はちょくちょくライブに来てくれていたでしょう。例の彼氏と一緒に…」
「ああ、あいつとはもう別れたよ…」
「えっ、それはごめん…」
「別にいいよ。では、明後日、楽しみにしているね」
そう言って、紫は電話を切った。そう言えば、すみれは最近、東京ローカルのFM局だが、自分のラジオ番組が持てるようになったと喜んでいた。十数年もバンド活動をやれば、全国区にはなれなくても、地元ではそれなり知名度があるようだ。
その証拠にそれなりにファンがいるようで、日曜の深夜二時半にも関わらず、『すみれ乙女ラジオ』を聞く人は意外と多いらしい。時間が時間だけに、紫は聞きたくても一度も聞けずにいる。
かつての級友からの電話で、紫の胸はさらに暖かくなった。やはり、傷ついた心を確実に癒してくれるのは人との暖かいつながりだけである。紫はじんわりとした気持ちでいつものスーパーへと向かった。




