8.ノッカー・アップ――フィンの「また明日」
あの後、クロードに「契約終了」のサインと報酬をもらい、フィンは帰路についた。早朝にはまだ薄暗かった道が、昇りきった太陽に照らされている。
「おう、フィン! 遅かったなーもう帰っちまったかと思ったぞ」
「あ、ベンさん。ごめんごめん、今日はちょっと時間かかっちゃって」
ちょうど朝の営業を終わらせたらしいベンが、看板を下げるために外に出ていたところに出くわした。
「帰りに寄る」と約束していたのに随分遅くなってしまったことを、へら、と笑いながら謝ると、ベンが訝しげに顔を覗いてくる。
「ん? 元気ないな、何かあったか?」
「え? ううん、大丈夫だよ! ちょっと疲れてるだけ」
「そうか……? まぁ、もうこんな時間だもんな。飯もまだ食べてないんだろう? ちょっと待ってろ」
そう言って一度店内に戻り、再度出てきたベンの手には紙袋が抱えられていた。
「ほら、今日は出血大サービスだ。麦パンだけでなく、ドライフルーツが入ったのも入れといたぞ」
「わ、ありがとう、ベンさん。待ってお金……」
「今日は俺のおごりだ。朝から頑張ったみたいだしな、いっぱい食べてしっかり休め」
ガハハハッと笑いながらフィンの背中を叩くベンの手は、力強いがとても温かい。
「え!? じゃあ……お言葉に甘えて。ありがとう、すごく嬉しい」
「おうよ。まぁあれだ。何かあったら遠慮なく言ってくるんだぞ?」
「うん。ベンさんのことは、いつも頼りにしてるよ」
「そうかそうか。ならいいんだ。……また明日な」
「うん、また明日」
もらった紙袋を大事に抱え、こみ上げてくる何かを抑えながらベンに手を振り、家路を急いだ。
「ただいまー」
小さな町の端っこにポツンと建っている、木造の小さな家。
フィンは扉を開け一度家の中に入ると、そのまま座り込んでしまった。
「今日は本当に疲れたな……」
いつも通りの顔ぶれと、いつも通りの仕事に、一つだけ紛れ込んだイレギュラー。
思い出すのは立派な屋敷と屈強な門兵。
初めて見るものだらけだった屋敷の中と、穏やかな領主様。
それらに守られている、綺麗な男の子。
「話、ちゃんとできたかな」
誤解は解けただろうか。アルベルトの母親にも、きちんと説明しないといけないだろうに。
「ま、僕には関係ないけど」
ノッカー・アップはあくまでも『目覚まし屋』であり、家庭内の事情に深入りするのは業務外だ。
少し心を落ち着けたフィンは立ち上がり、小さな棚に置いてある髪飾りの前に、パンの袋を置いて手を合わせた。髪飾りの隣には、毎朝フィンが摘んでくる花が添えられている。
「父さん、母さん、今日もみんなを起こしてきたよ。一軒、ちょっと大変な人もいたけどね。パンはね、ベンさんがサービスしてくれたんだ」
そこで一旦言葉を区切り、町の人たちの顔を思い浮かべる。
「みんないい人たちですごく救われてる。アンばあちゃんもまだまだ元気そうだよ」
父の記憶はあまりない。まだフィンが幼い頃に事故で亡くなったと聞いている。
ずっと母と二人で暮らしていたが、その母も、数年前に病で亡くなってしまった。髪飾りは母が昔父にもらったものらしく、生前に一番大切にしていた形見だ。
「一日でも長く生きていてほしいな。――もう、誰かを起こせないのは嫌だから」
母は「少し調子が悪い」と眠りについたきり、目覚めることはなかった。
いつも通り眠っているだけのように見えたのに。翌朝、どれだけ起こしても起きてはくれなかったのだ。
「明日も、みんなを起こしに行くね」
声をかけて、「おはよう」と挨拶をする。
一人で暮らすフィンが、独りぼっちではないと思える瞬間であり、誰かの一日が始まる瞬間でもあるその時間が、フィンはたまらなく大好きだから。
「明日もまた、いい一日になるといいなぁ」
ベンと挨拶を交わし、みんなの顔を見て、帰りにパンを買って帰る。
そんな、何でもない、素敵な一日に。
「“また明日”」
明日の約束が、フィンを生かす。
とある国の、とある小さな町。
そこには、ノッカー・アップという『目覚まし屋』を生業にした、朝を運んでくる少年がいる――
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
少しでも心に残るものがありましたら、下のブクマや評価【☆☆☆☆☆】、リアクションなどで応援いただけると嬉しいです。




