1.ノッカー・アップ――フィンの朝
とある国の、とある小さな町。
まだ日も上がりきっていない早朝に長い棒を肩にかけ、鼻歌を歌いながら歩く少年がいた。
少年の名はフィン。短く揃えられた赤毛に人懐っこそうなくりっとした瞳、小さな鼻には星屑を散らしたような愛嬌がある。
「おうフィン、おはようさん。今日も元気そうだな」
「ベンさん、おはよー! お陰様でね」
「ははっ、俺のパンのお陰だな。今日も帰り寄ってけよ」
「うん、ありがとう!」
皆がまだ寝静まっている時間から仕込みを始めているパン屋のベンとは、毎朝顔を合わせて挨拶をする仲である。
豪快な性格をしているが、朝の売れ残りや失敗してしまったパンなどを安く譲ってくれる、優しいおっちゃんだ。
「――さて、まずは一軒目」
一軒のアパートメントの前で足を止めそう呟くと、棒を肩から下ろし二階の窓を棒で軽く叩く。鼻歌に合わせ、リズミカルに。
コン、コン、ココンッ、コン、コン、ココンッ
それを何度か繰り返していると、窓の向こう側にあるカーテンが開けられる。ボサボサのおかしな髪型に半分しか開いていない瞼と、どこから見ても寝起きの風貌で窓を開けたのは、大工見習いのエドだ。
「エドさーんっ おはよーございまーす」
「おお……フィン、はよ……」
「目ぇ覚めましたかー?」
「ああ、覚めた……覚めた、から耳元で大声出すのはやめてくれ」
そう言ってエドが手で追いやったのは、フィンが持っている長い棒の先端についている鳥の形をした魔道具。大きな声を出して無関係の人を起こしてしまわないように、風魔法を駆使して作った『オハヨードリ』という便利道具である。声を送っている時は嘴を動かし、羽をパタパタさせるという遊び心のおまけつきだ。
「二度寝しないでくださいねー?」
「わかってるよ。今日もありがとうな」
「いいえー。また明日ー」
そう言って笑顔でエドに手を振り、次の依頼主の元へと向かう。
「次は――アンばあちゃんか。今日はどうかな」
アンは、平屋の一軒家に一人で住んでいる老女。
齢九十を超えているため、いつ朝を迎えられなくなってもおかしくはない状態だ。
ノッカー・アップ――毎朝決められた時間に依頼された家の窓を叩き、依頼人を起こすことを生業としているフィンだが、その中には老人の生存確認も含まれている。
アンのように、夫に先立たれたり子供たちが王都などの都会に引っ越してしまった単身世帯がこの町には多い。
小さな町だけあって近所の繋がりは濃い方だとは思うが、気づかない内に孤独死してしまい、死後数日が経過していた……ということも珍しくはないからだ。
コン、コン、コンッ
「アンばあちゃーん」
手の届く位置に窓があるため、今度は棒を使わずに手で窓をノックする。
コン、コン、コンッ
「アンばあちゃーん、朝だよー。……起きない、か。ちょっとごめんね、失礼しまーす」
家の中からの返事がないことを確認したフィンは、首からぶら下げていた金色の鍵を取り出す。
そこに魔力を通すと鍵の先端が光り、小さな蝶の形に変わる。その蝶が窓の隙間から内側へと入り込み、解錠した。ノッカーアップの依頼時に交わされる契約の中には、声がけをして応答がない場合や依頼主が拒絶した場合に行使される、『強制解錠』の権利が与えられているのだ。
「お邪魔しまーす……」
窓を開け、足元に風をまとわせひょいっと窓枠へと乗り上げると、静かに室内へと入る。
すると、窓のすぐ横にあるベッドではアンが気持ち良さそうに眠っていた。
ベッドの脇にある椅子に腰を下ろし、胸元が上下している様子に安堵すると、フィンは静かに歌を口ずさむ。――今日も朝が来たよ。朝を運んでくれる太陽の光に感謝しよう。今日も僕が来たよ。あらゆる恵みを共に感じられる喜び、生きられる喜びを伝えに。
「……ん。あら、フィンちゃん?」
「アンばあちゃん、おはよぉ。返事がないからお邪魔しちゃってたよ」
目を覚ましたアンに、フィンが優しく声をかけた。背中を支え起き上がる手助けをし、枕元に置いてあった水差しの水をグラスに入れ、その弱々しい手にそっと渡す。
「ありがとう、フィンちゃん。ちょっと寝坊してしまったわね」
「ううん、アンばあちゃんは早起きすぎるくらいなんだよ。明日からはもう少し遅い時間に起こしに来ようか?」
「いいえ。もうずっとこの時間に起きていたんだもの、今更変えたくないわ」
「そう? 無理していない?」
「大丈夫よ。それに、これ以上眠っていたら身体が痛くなっちゃう。……フィンちゃんには、お手間をかけちゃうけれど」
そう、申し訳なさそうに言うアンに、フィンはニカッと笑った。
「手間なんかじゃないよ。またお寝坊さんしたら、こうして起こすから安心してね」
「……ええ、ありがとう。頼りにしてるわ、フィンちゃん」
アンの覚醒を確認し、フィンは次の依頼者の元へと急ぐ。
牛乳配達のアルバイトをする少年。早朝にしかない薬草を取りに行くという、素材採取家の女性。最近親の代から農地を引き継いだばかりの倅と朝番の門兵の男。
時に強めに窓を叩き、時にオハヨードリを窓の中に忍ばせ耳元でさえずらせ。フィンは一人ずつ、それぞれに合った目覚めを与えた。
そして、本日最後の依頼相手は――領主の一人息子、アルベルトだ。
決して裕福とは言えないフィンは、領主を遠目から見たことがあるだけで息子には会ったことがない。今回の依頼も、執事を通してのものだった。
「――上手く、やれるかな」
少しだけ足取り重く、町で一番大きな屋敷へと向かうのだった。
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