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まだ名もなき怪物達 第3部ー断翼の誓ー  作者: HANA


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第8話 呼吸

蒼真はまた一歩、足をかけた。


ザッ……

雪が崩れる。

踏み込む力が逃げ、わずかに足が滑った。


「……っ」

止める。

体を壁に寄せる。

背中の重みが遅れて引いてくる。

蓮の体温は、ほとんど感じない。

それでも——


「……離すかよ」


小さく呟く。

次の手を伸ばす。

指先で岩の出っ張りを探る。

凍傷予防に残した防寒手袋では掴みにくく、手袋を外して放り投げた。

それでも氷が張り付いていて滑る。


掴み直し力を込めた、その時

「……ゴホッ!!ゴホッ!!」

咳が喉を裂き視界が滲む。


白が揺れる。

だが、手は離さない。


ロープが軋む音が背後から伝わる。

「テンション、少し上げる!」

通信から声が飛ぶ。

蒼真は短く息を吐いた。

「……そのまま」

一歩、引き上げる。

足場に乗る。


ズッ……

沈見込む。


「っ……!」

踏み抜きかけた瞬間、体を横に流す。


膝で押さえる。

崩れた雪が下へ流れていく。

足場は、もう残っていない。


「……クソ」

歯を食いしばる。

上を見る。

距離は、まだある。

「……」

腕に力を込め体を引き上げる。


背中の重みが遅れて持ち上がる。

肩にハーネスが食い込む。

腕が軋む。

指の感覚が薄い。

それでも、離さない。


「……ッ……ハッ!」

息が荒く、肺が焼けつくようだ。

肺の痛みで一瞬、力が抜けた。


ズルッ……

体が落ちる。


「っ——!!」

反射的に肘で引っかけ、体を止める。


ロープが張る。

「止まるな!!」

上から怒鳴り声が届く。


分かってる。

止まらない。


「……落ちねぇ」


低く息を吐いた。

もう一度、手を伸ばし 掴む、 引くを繰り返す。

雪が崩れるたびに体勢を変え足を置く場所を探す。

ないなら、蹴り込み踏み固めそこに乗る。

背中の重みがさらに沈みこんでくる。

それでも——


「……2人で戻る」

小さく、確かに言う。


最後の斜面に差し掛かった。

風が強く、吹き上げられた雪で視界が消える。

何も見えない。

ーそれでも。

上から、手が伸びているのは分かった。


「……来い!!」

白石の声が届いた。

蒼真は最後の力を振り絞り、足をかけ 腕を引き体を押し上げる。


ズッ——

また 雪が崩れ出した。


だが、迷う時間はなく蒼真はそのまま踏み込んだ。

「……っあああッ!!」

蒼真の叫びが轟いた、その瞬間


——ガシッ!!


手が掴まれた。

「離すな!!ロープ引け!!」

雨宮の声と共に一気にロープが引かれた。

蒼真の体が引き上げられる。

背中の重みごと雪の上へ蒼真は崩れ落ちるように倒れ込んだ。


「……っ、はぁ……っ……」

荒い呼吸が整えようとしても止まらない。

「……ゴホッ!!ッゴホッ!…ッ!!」

咳き込みも止まらなかった。


だが——

背中の重みは、まだある。

蒼真はゆっくりと顔を上げると目の前に奏が居た。


「……連れてきたぞ」

「…はいっ!!」

すぐに奏はハーネスとロープを外し、白石と第二の隊員は担架へ蓮を乗せた。

背中の重みが無くなった蒼真は座っている事も出来ず、その場に倒れ込んだ。



山小屋の中は、一気に騒がしくなった。

「担架こっち!!」

「酸素準備!!」

「体温低い、急げ!!」

声が飛び交う。

だがその中心で——

麗華は、一切慌てていなかった。


「ここに置いて」

短く指示すると担架に乗せられた蓮の体を確認する。

顔色は悪く、呼吸は浅い。

呼びかけ、刺激に反応もない。

「……重い低体温」

静かに言う。

「衣類、切る。温め優先」

周囲がすぐに準備に動く。

ハサミが入り濡れた隊服が切り裂かれていく。


「頭部……出血あり」

「頸椎…固定」

「肋骨、変形……骨盤も怪しいな」

処置を手伝う白石が低く言う。

「分かってる」

麗華は短く返した。

その手は止まらない。

その時だった。


「蒼真さん!!」

奏の声が山小屋に響いた。

麗華の視線が奏の声の方へ向いた。

床に倒れ込んだまま、動かない蒼真の姿だった。


「……っ」

踏み出しかけた麗華の足が、一瞬止まった。


「そっちは後」

冷たく言い切った。

自分にも言い聞かせるように。

「今は黒瀬くんが優先」

一切迷いがないその声は医者としての判断だった。


処置が進む中、蓮の胸の動きが止まった。


「……っ……!」

「……呼吸——」

「止まった」


山小屋の空気が凍りついた。


「心臓…止まった…ッ!!」


白石が慌てた声をだした。

「挿管準備、モニターつけて。白石、胸部圧迫開始して」

麗華の声は変わらなかった。


準備された挿管セットに即座に手が動き、挿管をスムーズに成功させる。

「1、2、3、4……!」

リズムよく圧迫が入る。

合間に酸素を送り込む。


「まだ戻る」


言い切る麗華の目は蓮の心拍が映し出されるモニターだけを見ていた。


数秒。

数十秒。

ーピッ。

モニターの音が響いた。


「……戻った」

白石が息を吐き、胸部圧迫を終了する。

「挿管固定、搬送急いで!」

視線を一度だけ落とすと麗華はほっとした表情を見せた。


「次、こっち」

倒れている蒼真へ向かう。

目は細く開かれて蓮を見つめているようだ。

麗華が膝をおろすと、ゆっくりと蒼真の視線は麗華へ移った。


「……冷たい…」


蒼真の手を触った瞬間、漏れた声。

「なんで…防寒手袋…装備もこんなに少ないの…」

蒼真がつけていた手袋は殆ど素手と変わりない、いつものグリップ手袋のみ。

防寒装備も明らかに他の隊員達より薄手のものしか着ていない…1度戻ってきた時は寒冷地仕様の物を着ていたはずだ。

呼吸も浅く弱い蒼真の様子に麗華の声に少しだけ焦りが混じった。


「…登攀の際に脱ぎ捨ててました…2人の体重だけでも140kgを越える…少しでも登攀の成功率を上げるための判断です…」

奏は俯きながら答えた。

その声は震えている。


「SpO2測って!こっちも低体温症疑い!すぐに温めて!」

蒼真の指に機器が当てられ、計られる。

機器に表示されたその数字は90を切っていた。


「……ッ!呼吸不全っ…!」

「酸素マスク取って!」

蒼真の顔に酸素マスクが当てられる。

「ゆっくり呼吸して」

蒼真の意識は、もうほとんどなかった。

けれど、その視線は麗華から外すことはなかった。

「……ゴホッ……」

かすかな咳が聞こえた。

何かいいたげだが、声も出せない程、消耗している。

麗華は、そのままマスクを押さえた。

「……大丈夫」

麗華の声はほんの僅かに震えていて、でも優しく蒼真の耳に響いた。


「……麓にもう1台、搬送車両呼んで!こっちもすぐに搬送!

その一言で、救護班の空気が変わり、バタバタと搬送準備が進められた。

第一、第二特務遊撃隊が二人を麓の車両へと運び届け、麗華は蓮の車両へ、白石が蒼真の車両へ乗り込み病院へと出発した。




白い天井だった。

知らない天井じゃない。

でも、すぐには場所が分からなかった。

音が、規則正しく鳴っている。


機械音。

消毒液の匂い。

喉が、乾いている。

息を吸うたびに、胸が鈍く痛む。



――どれくらい、寝てた。



ゆっくり、視線を動かすとそこに、人影があった。

椅子に座っている。

腕を組んだまま、俯いていて、髪が少し乱れている。

白衣の麗華だった。


「……麗、華……」

かすれた微かな声で十分だった。

麗華の肩が、僅かに揺れた。

顔を上げた麗華と目が合う。

数秒、何も言わない。

いや、

言えない。

「……やっと起きた」

それだけ。

感情を切り分けた声。


いつも通りのはずなのに、

どこか、違う。

蒼真は、ゆっくり瞬きをする。

体は重たくて動かせない。


「……どれくらい」

「3日」

迷いなく麗華は答えた。


その言葉の重さだけが、残る。

蒼真は、一度目を閉じ息を吐く。

長く、思ったよりも、長い。


それでも、

「……全員」

確認するそれだけは外せない。

あの山小屋では声も出せなかった。

遠のく意識の中で横たわる蓮の姿と麗華が傍に来たことだけは覚えている。


麗華は、ほんの一瞬だけ視線を逸らしたあと、

「無事」

麗華は短く答えた。


それでいい。それだけでいい。

蒼真の指が、わずかに動いたが力が入らなかった。

それでも、確かに“生きている”。


静寂が落ちる。

機械音だけが、一定に鳴り続ける。

「……無茶しすぎ」

麗華が淡々と言う。

「体、ボロボロだよ」

責めているわけではなく感情も乗せていない麗華の声に蒼真は、薄く笑った。

「……毎度、申し訳ねぇ」

返しも、弱い。


それでも、いつも通り。

麗華は、何も言わずただ、立ち上がって、

いつも通りの手つきで点滴の確認をする。

完璧な医者の姿だ。でも、その指先だけが、わずかに震えていた。

蒼真は、それに気付いた。


でも、何も言わない。

言わない方がいいと、分かっている。


「……蓮は」

麗華は、手を止めずに答えた。

「状態は安定してる。……意識はまだ戻らない」

「……そっか」

麗華は、少しだけ視線を落とした。

何かを押し込むように。


「でも…生きてんだよな」

「うん、生きてる」

規則正しい機械音だけが部屋に響いていた。


「しばらくは動かないでね」

いつもの麗華の声だった。

蒼真は、目を閉じたまま答える。

「……無理だな」

即答。

間を置かない。

麗華は、ため息を一つ吐いた。

ほんの少しだけ、人間らしい音。

「……知ってる」

短く返す。

言っても止まらないと、分かっているから。



病室は静かだった。

長い時間の後の、

ようやく戻った“呼吸”。

――全員、生きて帰った。

その結果だけが、ここにある。





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