八、魔子コンピュータ
「魔子コンピュータ?」
聞いたことの無い単語にリサは首をかしげる。
闘技大会を優勝したフィルに与えられた、帝国市民街の一軒家。
この場にいるメンバーは、フィル、リサ、そしてゼノンとフィルに協力しているレジスタンス組織『自由の翼』の主要構成員であるネクスの三人。ネクスは対外的にはフィルの兄として一番身近で協力している。
フィルにはこの後正式な帝国市民登録手続きがあり、その登録に赴くタイミングである作戦を決行する事が決まったのだが、リサが「妻である私を連れて行かないのは不自然に思われかねない!」と言いだして聞かなかったため、結局リサにも動向を許し、その作戦内容を説明しているところだ。
「要は、すごいコンピュータってことさ」
「ネクスさんには聞いてませんから!」
リサは、適当にあしらおうとするネクスにそれだけ言って、フィルへ向き直る。
「ボクも専門家ではないから、自分の理解が正しいという保証は無いけど……」
苦笑いしながらそう言って、フィルはリサに説明を試みる。
この世界には魔素という概念がある。
魔術を使い体内の魔力が失われると、身体の外から中へ何かが流れ込んで魔力が回復する感覚が確かにあるため、その魔力の素と考えられる何かを魔素と呼ぶようになった。
だが、大気中の成分をどれだけ分析しても、魔素として働く物質は検出されなかった。
ゆえに、魔素は波動的な存在ではないかという方向性でその実態を探ろうとする研究が進んだが、その過程で問題も生まれた。
魔素自体が、物質的な振る舞いを見せているように思われたためだ。
大気は標高が高くなるほどその成分の濃度を薄めるが、魔素もまた標高が上がるほどその濃度を薄めているように感じられる為、最初は魔素も気体的な存在だと推測されていた。
だが、中央山脈地帯に魔力を含んだ魔水(その水を飲むと自然に回復を待つよりもずっと早く魔力が回復するため、そう考えられた)が湧き出る事が分かり、この水の成分にもまた魔素と考えられるような物質は見出せなかったため、魔素は液体的にも存在してるのではないかと考えられた。
そして、魔力を流すことでその硬度や有り様を変えたり、発生する魔法現象に干渉したりといった性質を見せる魔鉱石の存在もまた、魔素の固体的存在なのではないか、と。
他にもあるのだが、とにかくそこから発展、或いは飛躍して、魔素が物質的な振る舞いを見せるのなら、その成り立ちもまた物質的な考え方が適用できるのではないか、という視点で、物質界における量子に対応する存在として考え出された概念が、魔子だった。
それとは別に、神の視座からみた極ミクロの存在が人や諸々の物質であり、それと量子力学で言う重ね合わせ的に存在しているのが魔素ではないかというような考え方も生まれたのだが、それはともかく。
しかし、魔子という概念を生み出したところで、そもそも魔素が体験的にその実在が証明されているだけで、実体としては観測できない存在であるのに、さらにそれを構成する存在を観測することなど、まず不可能なはずだった。
にも関わらず、魔子コンピュータは実際に作られ、正しく動作もした。
それは、魔法現象を生む魔素の、人の想像力によってそのあり方を変化させうるという性質によって実現されたのだった。
「うーん、つまり?」
「つまり、人の想像力次第で可能性は無限大、ってところかな?」
「それってなんか、ご都合主義っぽい……」
リサはなんとなくは理解しつつも納得いかない様子ではあったが、「ま、実際に出来ちゃうんなら仕方ないか!」と、気持ちを切り替えていた。
「でも、そんなすごそうなコンピュータの使い方は解るの?」
「『自由の翼』は、旧王国が滅ぼされる前に逃げ出した魔子コンピュータ開発に深く関わった人間を保護している。そのコンピュータの情報もそいつから教わったものだし、使い方というか、必要なプログラムもそいつが作成してくれたよ」
「ふーん、で、それで何をするの?」
その質問には、表情を硬くしたフィルが答える。
「旧女王国首都周辺が帝国によって禁足地として隔離されていることは知っている? ボクはね、まずはそこへたどり着くための情報を求めているんだ」
「旧女王国……」
「そう。ボクは、旧女王国に関する情報なら何でも知りたいと思う。それは、ボクのルーツが旧女王国にあるからだ。なぜ、帝国は旧女王国首都に誰も立ち入らせないのか。なぜ、女王国は滅びなければ、……いや、滅ぼされなければならなかったのか。そして、なぜ帝国は滅びの際に生き延びた王女を探していたのか。……ボクは、それを知らなければ」
それを口にした時のフィルの決意に満ちた顔に、リサはなぜか胸を打たれたような気持ちを感じた。
そしてフィルはその表情を何かやるせないようなものに変えて、続ける。
「不本意だけど、帝国のデータベースから情報を引き出すことが出来るとしたら、帝国の量子コンピュータへの直接的なアクセスを除けば、この旧王国の魔子コンピュータだけだろうから、今はそれに頼るしかないんだ」
「ちょっと待って、それって、その魔子コンピュータに侵入するのも難しいんじゃないの?」
「いいや。さっき言った開発に関わったという人間は、魔子コンピュータの基礎設計を一人でこなした、天才だ。自分の設計したシステムに入り込むことなど鍵のついてない自宅の裏口から入るようなものだし、帝国のシステムへの侵入も必ず出来ると言ってのけた。それでも、データ容量が不明だから全てを引き出せるかは判らないとも言われたがな」
フィルに替わって答えたネクスのその説明を聞いて、リサはふと別のことが気になる。
「その天才さんがいるなら、新しく魔子コンピュータを作ればいいんじゃないの?」
「残念だが、それは出来ない。というか、したくない。その開発者も、そもそも魔子コンピュータを実際には完成させたくないからこそ逃げ出したくらいだからな」
「帝国が攻めてきたから逃げたんじゃないの? 何で自分が作ろうとしたものを投げ出したの?」
「頭の中の構想を現実の形にするとなった時、このコンピュータを実現するための要とも言える部品を作るのに強い抵抗を感じて、耐えられなくなったそうだ」
「逃げるくらい耐えられないことって何なの?」
肩をすくめるだけでその質問には答えようとしないネクスに替わって、フィルが口を開いた。
「リサ、帝国に攻め滅ぼされた国のことを、どれだけ知っている?」
「え? ……うーん、そう言われても……、旧国の名前を口にしたら帝国に問答無用で処罰されるって話とか……」
「質問を変えようか。その国々が、なぜ滅ぼされたか知っている?」
「えっと、それを知るために帝国のデータを盗もうとしているんじゃないの?」
「女王国はね。でも、他の国に関しては、その真偽はともかく、なぜ滅ぼされたかはわかっているんだ。女王国もボクが知りたい具体的な内容は隠されているけど、非人道的な実験が原因だと帝国は主張しているようだし。ともかく、旧共和国は、モンスターが約五十年前からその種類と数を急激に増やし始めた事が、帝国が行っている事だと主張して宣戦布告、そして負けた。旧連邦は、人が乗れる飛行機を完成させた後、無人航空機によって発見された“外の世界”への探求を、多数の犠牲を出してもなお続けたことを帝国が非人道的だと非難して対立、そこから結局戦争まで発展して、そして帝国が勝った」
「あいつらは、強制されて命を散らしたわけじゃねえ! 自ら望んで飛んだんだ……。あいつらはただ、新しい世界をその目で見たかった、知りたかっただけなんだ。そして、例え死んでも、データだけでも残せれば、それは同じ想いを持つ奴らの礎になるって。その想いを、非人道的だなんて言いがかりで無かったことにされてたまるかよ!」
突然忌々しげにそうこぼしたネクスに驚いたリサだったが、そこで気付く。
「もしかして『自由の翼』って名前は、そういうこと……? ネクス、貴方は、その、旧連邦の?」
「……そうだ」
それだけを答えて口をつぐんだネクスの心情を慮って、リサは話を戻す。
「……ええっと、旧共和国以外は人道的な正義を帝国が掲げてたってことだよね。この旧王国が滅びた原因も、ってこと?」
「うん、そう。まあ、王国が滅びたのはね、一言で言えば魔子コンピュータが完成したからだ。それがネットワークに繋がってから二日後には王国に帝国の黒騎士団が突然現れて、開発者達はもちろん、指示を出していた王や政に関わっていた人たちがあっという間に消されたと言われている」
「二日って……、情報が帝国に漏れていたと言うこと?」
「わからない。でも、黒騎士が何人も空から降ってきたなんていう嘘みたいな話もあるらしい」
掘ったら見つかるような燃料などはほぼ無いこの大陸では、連邦が実現させた有人飛行機の最新型でも定員は航続距離を犠牲にして三人が限界だ。その上、制約も多い。それが過去のこととなれば尚更、現実的な話と信じられないのも無理はない。
「うーん、それほど徹底したってことは、帝国にとって魔子コンピュータっていうのはそんなに脅威だったから攻撃したってことなの?」
「それもあるのかも知れないけど、国を滅ぼす程の大義名分は多分さっきも言ったとおり、人道的な事だ」
そう言い切るフィルの声には憤りのようなものが感じられる。
「新型のコンピュータを開発することが、なんで人道の話になるの?」
「リサ、さっきの質問の答えだ。なぜ、システム設計者が逃げ出したか。なぜ、帝国が王国を滅ぼしたのか」
「なんで?」
「魔子コンピュータの実現には、人の想像力の関与が不可欠だ。そしてそのために、魔子コンピュータには……、ある生体部品が組み込まれている」
「……生体、部品?」
「脳だけにされて生きている、人間だ」
フィルがその端整な顔立ちを嫌悪感で歪めながら告げた事実に、リサはただ戦慄するのだった――。