九、逃走
役所の職員に案内されて、奥への道を歩く、フィル、リサ、ネクス。さほど広くはない廊下に、他の人影は見当たらない。
「魔子コンピュータへの侵入が簡単なら、別のコンピュータでそこへ入ってから帝国のデータを盗む、っていうのはダメなの?」
「無理だろうね。魔子コンピュータへのアプローチの時点で帝国側に察知されるだろうし、そうなればそこで対策を始められてしまう。たとえすぐに帝国のデータベースから情報を引き出すことに成功しても、その僅かなタイムロスで引き出せるデータの量と価値を大きく損なってしまう可能性がある以上、危険でもこっちの方法を選ばないと」
リサの今更の疑問にはフィルが答える。案内する職員は協力者であるとは言え、敵地なので小声だ。
そんなやりとりをしつつしばらく進み、大会優勝者が招かれて手続きを行う部屋が近づく。
「もうそろそろですよ」
その職員の言葉に、三人は表情を引き締める。
と、同時に照明が落ちる。
窓の無い廊下は一瞬暗闇に包まれるが、照明はすぐに復旧。
明かりの戻った廊下には職員一人だけが佇んでいた。
予定通り次の協力者とコンタクトした三人は、変装をして何食わぬ顔で廊下を歩く。
いくつかの扉や部屋を通り抜けて、たどり着いた頑丈そうな扉の前。
「この扉の向こうに目的の物はあります。侵入がバレた後も管理室や制御室の仲間がなんとかしてくれるとは思いますが、荒事を避けられない可能性もありますので覚悟はしておいてください」
「そんなものはとっくに済んでる。お前も無事に逃げ切れよ」
「はい。ネクスさんもどうかご無事で。……それでは」
セキュリティをパスするためのカードを手渡して戻っていく男を一瞥したネクスが振り返ると、三人はそれぞれが無言のまま目線だけで決意を伝え、頷き合う。
そして、後戻りできない道への扉が開いた――。
魔子コンピュータの操作端末のスロットへ用意しておいたデバイスを差し込むと、自動的にハックプログラムが走る。
量子コンピュータのメインシステムをはじめとした複数のターゲットへのアタックを囮にし、並行してデータベースから目的のキーワードを含むデータを手当たり次第にサルベージ。
量子コンピュータの対処が完了して接続がシャットダウンされるまでの間は僅か二十秒にも満たない時間だったが、回線が超高速だったためにそれなりに大きなデータサイズを得ることが出来た。
部屋を出る前に設計者からの願いを果たすため、魔子コンピュータを構成するノード群の中でも異質な一角へ。それら筐体を破壊するのは難しいので、各種コードと共に生命維持に必要なあれこれを循環させているだろうチューブ類も悉く切断。これで文字通り“頭脳”が魔子コンピュータから失われ、その機能を止めた。
ここにしかない魔子コンピュータからのアタックであるため、侵入のことは既にバレているはずなので急いで出口を目指す三人だが、辺りは不気味なほどに静かだ。
先ほど量子コンピュータの性能を目の当たりにしたばかりということもあって、仲間がうまくやってくれているのだ、という楽観は全くできない。
急ぎながらも慎重に戻り、一般職員達も働くエリアへ。しかし、そこにも人影は無い。
おそらく職員達は避難をしているのであろうし、それはやはり侵入がバレて対応がされているという事だろうから、外での待ち伏せなども覚悟して三人は飛び出す。
そして、そこに待っていたのは想像し得る中でも最悪と言える事態、最悪の相手だった。
その漆黒の全身鎧に包まれた体躯は魁偉で、言いようのない不安感を与える雰囲気を纏っている。
黒騎士団。
それは帝国最強の戦力として知られるが、その総勢は僅か十人程度だと言われている。
それでいて最強と呼ばれると言うことは即ち、一人当たりの戦闘力の高さを物語っている。
事実、彼らの標的になって無事に戻った者は、これまで一人としていないという。
その黒騎士の一人が今、フィル達の前に立ちはだかっていた。
「逃げろ!!」
その姿を見た途端、迷い無く叫んだフィルの号令を受け、リサとネクスも躊躇無く走りだす。
幸い、役所入り口の周りは塀なども無い広場であり、逃走には有利だ。
二人を庇うように位置取ったフィルは黒騎士を牽制して二人の逃走のフォローをしつつ、自らの逃走のチャンスを窺う。
しかし。
(速いっ!!)
決して油断はしていなかったフィルではあるが、その巨体からは想像できないような加速を見せて真っ直ぐ接近する黒騎士のショルダータックルを受け、吹き飛ばされる。
咄嗟に後方へ飛んだにも拘わらずかなりの勢いで飛ばされたフィルだったが、水魔術で自分の後方に水のクッションを生み出し、逃げている二人への激突は回避。そこから続けざまに黒騎士の周りの地面を凍りつかせる。そして、再び接近しようとしていた黒騎士がバランスを崩すのを視界の端で確認しつつ、帝国市民街から旧市民街へのゲートを突破するリサとネクスを追いかける。
だがすぐに彼らの後ろから氷がたたき割られる音、そして跳躍する黒い影。
フィルはその黒騎士の力に内心冷や汗をかきながらも、冷静にその空中の黒騎士の軌道に二つの水の塊を作り出す。
一つ目の水の塊はただ腕を交差してガードする黒騎士を濡らすのみで勢いを殺すことも出来ない。
そして二つ目。それに黒騎士の身体が触れた途端、その水の塊は一瞬で氷の塊に変わる。
身体のほぼ前半分を氷の塊に覆われたまま着地した黒騎士は、さすがにそれを一瞬で砕いてしまうようなことまでは出来ず、即座の追跡を免れた三人はなんとか旧市民街の拠点が見えるところまで戻りついた。
だが、その手前に二つの見知らぬ人影が飛び出してきた。
震える両手で長剣を構える女と、自分の身長よりも長い槍を構える少年。
「フィルだな! 夫の仇!!」
その女の言葉で、そしてその子供に見いだせる面影から、フィルは彼らの正体に思い当たる。
フィルがこのまま逃げ出すにあたり、唯一心残りだったこと。それは、ヘイコブから託された手紙。
ネクスに回収して貰ってはいたが、帝国市民手続きが終わるまで旧市民街へ戻ることを禁止されてしまったために届けることが出来ずにいたのだ。
最悪、街の外で協力者に預けて渡して貰うしかないと思っていたが、今目の前にいるのがその手紙を渡すべき相手だった。
だが、今はゆっくりと話し合っていられるような場合ではない。二人をどうするべきか迷うフィル。
そのとき、拠点としていた家屋から飛び出してくる人影。
「フィル!」
「ゼノン!」
ゼノンはそのままヘイコブの家族もフィル達も追い越して刀を構える。すでに道の向こうには黒騎士が見えていたからだ。
「まさか黒騎士とはな……。フィル、急げ!」
そのゼノンの言葉を聞いて、そしてフィル達の向こうに見える影を見て、ヘイコブの家族は恐怖に固まる。
その隙を突いて子供を抱え上げて拠点へ向かうリサを見て、フィルも母親に接近、武器を奪ってから抱え上げ、走る。
「このっ! なにをっ!」
「ヘイコブさんから手紙を預かっている! それを渡すまで、あなたたちを死なせるわけにはいかないんです!」
「なっ!?」
そのまま家の中へ。先に家にたどり着いていたネクスに、すっかり気勢がそがれた母親を預け、フィルは踵を返す。
「おい、フィル! 待てっ!」
ネクスの声を無視して、フィルは黒騎士と対峙するゼノンの元へ。
「フィル! なぜ戻ってくる!」
「いくらゼノンでも、あれとやり合えばただじゃ済まない!」
駄々をこねているようにも聞こえるフィルの声。
「あの通路の先も絶対に安全とは限らんのだ! お前がついていてやれ!」
だが、ゼノンは突き放す。
「フィル、お前にはやらなければいけないことがあるはずだ。お前はもう一人じゃないし、俺に守られるだけの子供でもない」
黒騎士から目を離さず、淡々と諭すゼノン。そして、口元に笑みを浮かべ、付け加える。
「それにお前だって、黒騎士が相手だろうと俺が簡単にやられてしまうとは思わんだろう?」
それはただの強がりだったのかも知れない。
だがフィルは、自分の知るゼノンという男なら、本当に簡単にやられるような事は無いと信じられた。
――だから。
「先に行っているよ、……父さん」
さよならは言わなかった。
ゼノンは思う。
父と呼ばれたのはいつ以来だっただろうか?
自分はフィルに親らしいことなんてしてやれなかった。
そもそも、大事な方々から預かった忘れ形見だ。自分が親を名乗るなど烏滸がましい。
それでも今、父と呼ばれて、この胸に湧き上がる想いは、何をどう言い訳したって、否定できない。
「だったら! 親らしいことの一つくらい! してやらないとな!」
自分に活を入れる為、敢えてそう口に出して叫ぶ。
そして、視界が滲みそうになるのを振り払い、ゼノンは己の全てを懸けて黒騎士へ向かっていった――。




