四、理由
ベッドの上に、組み敷かれた女。
その上にのしかかる影。
組み敷かれた女は、その身を激しくよじっている。
「ちょっ! ギブ! ギブ!!」
リサは、怒りにまかせてフィルの胸を鷲掴みにしようとしたが、その手をあっさりとひねり上げられ、ベッドに押さえつけられていた――。
「……そろそろ落ち着いたかな?」
「面目次第もございません……」
しばらく鼻息を荒くしていたリサもようやく落ち着いてくれたようなので、フィルはリサをそのままベッドの上で起き上がらせ、自分は椅子を取ってきてリサと向き合った。因みに、リサは正座に移行している。
「色々と聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「はい……」
冷静になると先ほどの自分の行動が恥ずかしかったのか、リサは借りてきた猫のように大人しい。
「まず、この部屋へ来た理由は?」
「最初に申し上げたとおり、貴方のお相手をさせていただくためです」
「ああ、無理に丁寧な言葉遣いをする必要はないよ。……それで、ええと、確か昼間に運営の人が、プレゼントがあるとか言っていたんだけど、それなのかな?」
「そうです、多分」
「それなら、迷惑であれば断っても構わない、というようなことを言われていたはずなんだけど……、君がひどい目に遭わされるというのは、本当?」
「ええと、まあ、貴方に貰ってもらわないとまた同じ事させられるわけで……、私だって、奴隷みたいになっちゃったけど、それでも初めてくらいはせめてカッコイイ人がいいなって言うか……。だから、これを逃したら、次の相手が貴方みたいにカッコイイ人とは限らないわけで……、それって酷いことだと思いません?」
「色々と突っ込み所があるような気もするけど……、なんて言うか、端的に言うとボクと既成事実を作って、今の状況から抜け出そうと企んでいた、ってこと?」
「既成事実というか……。そのー、私みたいなカワイイ子と関係を持っちゃったりしたら、普通の男なら離れられなくなるかなー、……なんて」
(さっき初めてとか言ってたのに、その自信はどこから来るんだろう? ……でも確かに彼女は可愛らしい感じだし、男ってそういうものなのか?)
リサの発言は世間知らず、あるいはただ自信過剰なだけなのだろうが、男ではなく、かといって女としても育てられていないフィルにはわかるはずもない。
「でも、残酷のフィル、なんて呼ばれているボクが、怖くなかったの?」
「全然! そもそも、私、予選決勝の時の! あの斧男のやり方に腹立ってたんですよ! 弱い相手をわざといたぶるようなやり方! 降参しようとしてるのに口や動きを封じて、痛めつけて殺したり! あれを逆に殺ってくれたんだから、怖いと言うよりもむしろ、よくやった!って思いましたよ!」
突然テンションを上げるリサにフィルは気圧されるが、なんとか気を取り直す。
「……うん、でもボクはわざわざ酷い殺し方をしたわけだし」
「……貴方、怒ってましたよね?」
「えっ?」
「あの斧男との試合。始まる前、貴方はそれまで通りにクールにしてたつもりなんだろうけど、私から見たら、なんか怒ってるなって。……まあ、私も怒ってたし、貴方もそう思ってたらいいなって、願望だったのかもだけど。……でも、そう思ったら、貴方ってきっといい人なんだろうな、って思って!」
そう言って可愛らしくウィンクし――てるつもりだが、ただ顔を引き攣らせているようにしか見えないリサに、フィルは一瞬言葉を失い、それから苦笑いで答える。
フィルは驚いていた。自分でもハッキリとは気づいていなかった自分の気持ちが見抜かれていたことに。そして、何度も自分を驚かせる、このリサという子の存在そのものに。
「うん、そうか、ボクは怒っていたんだな……。言われてみたら、そうだったんだろうなって腑に落ちたよ」
「ふふっ、なにそれ? 自分のことなのに。変な人ね」
「それは、男のフリした女なんて、変に決まってるだろう?」
「でもそれは、趣味でやってるわけじゃなくて、理由があるんでしょ? 無理に聞くつもりはないけど」
どうしてこの子はボクのことをそこまで見抜くのだろう? フィルはそう不思議に思うと同時に、嬉しいような気持ちになっている自分の心もまた不思議に思う。
でもその感情を掘り下げることは無意識に回避して、目の前に意識を向ける。
「理由と言えば、君はなぜこんなことをする羽目になったのかな? ボクも無理に聞くつもりはないけど」
「話すのは構わないよ。私は別に隠してるわけじゃないからね」
あっさりとそう言って、リサは話し出した――。
リサが物心ついた頃、彼女の家族は母親だけだった。
旧王国領の中でも小さな村、そこに、よそから逃げてきたのだという。
母親が言うには、父親はどこかの偉い人を守る兵士たちの一人で、とても優しくて強い人だったそうだ。母親とリサを安全なところへ逃がし、自分はその偉い人を最期まで守って死んだ、立派な人だと。
だから、幼いリサは強くなろうと思った。父や、母のように、優しくて、大切な人を守れるほど強い人間になろうと。
それからリサは、母親から色々なことを学びながら育った。家事、学問、護身術、などなど。母親もまた、その偉い人のそばで働いていたそうで、沢山のことを知っていて、なおかつ、良い教師でもあった。
そうして月日は流れ、やがてリサは十七歳を迎えた。
そして、それから間もないある日突然、母親が病魔に倒れた。周りの人たちは親身になって助けてくれたし、リサも必死に看病したが、それらの甲斐も無く、母親は亡くなった。
それからひと月もたたぬうちに、領の役人を名乗る者がやってきて、家を明け渡すことを要求してきた。そういう契約だったという話だが、リサにとっては寝耳に水の話だったので、せめて猶予がほしいと頼んだ。だが役人は、すでに長い間待ったのだからこれ以上はもう待てぬと言う。
明後日には取り壊しが始まると言われたリサは、ほぼ問答無用で思い出が蹂躙されると思うと様々な感情が爆発して、キレた。
リサはそのとき何を言ったかは覚えていない。だが、言い合いが続いたところで突然、役員が剣を抜いた。
それを見た瞬間、リサは反射的に戸の脇に立て掛けてあった箒をつかみ、その石突で役人の胸元を突き飛ばした。
役人は倒れたと同時に苦しみだし、そして動かなくなった。――彼は、死んでいた。
リサは逮捕されることになったが、その後の調べで、役人は元々心臓に疾患を持っていた事がわかり、リサが故意に殺害したわけではないことは認められた。
そして、先に剣を抜いたのは役人の方だったことも考慮され極刑は免れたが、リサは過失致死の刑罰として、旧王国首都で開催される闘技大会で選手の慰み者となることを課されたのだった――。
「……と、まあ、そんな感じかな」
リサは何でも無いようにそう言う。
フィルは何をどう言っていいのかわからず、ただ沈黙する。
「正直、変な男に好き放題されるくらいなら、死んだ方がずっとマシだと思ってた」
リサは眉をしかめながらそう言い、すぐに表情を和らげ、続ける。
「でも、私は貴方に割り当てられて、これで刑罰っていうのが申し訳ないな、ってくらいの気持ちになってたんだけど、まさか、女の子だったなんて、ね?」
そんな風に笑いかけられて、でもフィルは苦笑いで返すことしかできなかった。
それからしばしの沈黙の後。
「リサ、ボクは君の恋人や夫のフリをして、君を側に置くことくらいなら構わないとは思っている」
フィルは考えを整理し終えたのか、リサに語りかける。
「でもね、ボクはこの大会に優勝して、市民権を得る。でもそれはある目的のためで、そう遠くないうちにここを離れることになるし、そこから先は安寧な生活なんて望めないと思う。最悪、一生逃げ続けるようなことになるかも知れない。それを理解して貰った上で、……君は、どうしたい?」
「貴方が構わないと言ってくれるなら、もう答えは決まってる。貴方と一緒に行くわ」
危険と隣り合わせの生活になる、そう言われてもリサは迷うそぶりも見せず決断した。
「さっきも言ったけど、変な男に嫌な思いをさせられるくらいなら死んだ方がマシだし、どうせ死ぬなら、自分で道を選んで死にたいもの」
その決然とした表情から、それがただの勢いや後ろ向きな思考から出た言葉ではないことはフィルにも判った。
だから、その選択を受け入れることを、フィルも迷わなかった。
「わかった。いずれ色々なことを話してあげられる時が来るとは思うけど、今はまだそれはしない。だから分からないことでの不安もあるかもしれないけど、ついてきてくれるかな?」
「ええ、もちろん。貴方の力になれるかは分からないけど、せめて足手まといにならないように頑張るわ。よろしくね」
そう言って差し出されたリサの手を、フィルはそっと握った。