四、遺されたもの
『水の国の貴き者よ、愛しき者と手を合わせ、この海なる石を繋ぐ回路を成せ。魔の循環はあるべき姿を眼前に現すだろう』
城が沈んでいると思しき海に向かって右手側の崖の手前に、人の腰ほどの高さの二つの青い石柱、そしてその手前に青味がかった黒の、無地のプレートがある。フィルがプレートに近づくと、表面にその文字が淡く光るように浮かび上がった。
フィルもリサも、この文面からはヤーラックから聞いた話とは違うニュアンスを感じる。――それは、二人の関係が近づいたためにそう意識してしまうだけなのかも知れないが。
ともあれ、その感覚は、二人にとっては心強いものだった。『水に愛されし者』に必要な『愛』が、水からのものではなく、女王からのものであるように思えたから。そして、それは、今の二人にとって、どんなものよりも信じられるものだったから。
フィルは右手を、リサは左手を、石柱の上部に宛がう。
そして互いに見つめ合い、空いている手の指を絡め合う。
繋いだ手は、優しく、でも力強く。そして、リサがフィルを見て頷き、フィルも頷き返す。二人の表情は、穏やかなまま。
フィルが魔力を流し込むと、柱は光を放ち、そして透き通る。と同時に、二人の置いた手が柱の中へと沈み込む。それはまるで柱が突然融解を始めたようだったが、柱はその形を崩してはいない。二人の表情には僅かに驚きが見られるだけなので、高熱を発していたりするわけでもないようだ。
すると間もなく、フィル達は耳鳴りを感じ始める。イレブンがどこか嫌そうな感じを見せているので、人間には音としては聞こえにくい高音が響いているのか。
そして――、それは海の中から、ゆっくりと、静かに現れた。
長年海に沈んでいたとは思えない純白が、朝の陽の光を浴びて輝く。
その柱に、壁面に、施された意匠は、決して強い主張をしているようには見えないのに、気がつけば目を奪われ、心に『美しい』という感情を刻みつけられている。
そうしていたのはどれほどの時間だったのか。感覚としては僅かな時間だったように思えるが、しかし、気がつけば城はその全容を海の上に既に現していた。
フィルとリサが柱から手を引き抜くと、柱は元の様子を取り戻す。そして間もなく、海の上の城門へと続く道もまた、浮上して現れたのだった。
相変わらず工房に入り浸りのネクスを除いた四人で城へと踏み入れる。
城の中の様子も外観と同じく、長年海の底にあったとは思えないほど綺麗な姿を見せていた。しかし、床にはまだ跳ねている魚の姿がいくつか見える。完全に外界と隔離されていたわけでもないようだ。
入り口から続く通路を真っ直ぐ進むと、すぐに巨大なホールに出る。正面に巨大な扉。左右の手前側に通路が、奥側には二階へ続く緩やかに湾曲した階段が見える。正面と右手側の通路は扉が閉まっているが、左手側は扉が開いている。そういえば正面の門も初めから開いていた。或いは何者かの侵入の形跡かも知れないので、一行は警戒を密にし、まずは開いている通路を進むことにした。
突き当たりを右折し、さらに直進。ここまでの扉は全て閉じている。一応いくつかの扉を開いてみようとしたが、どれも鍵が掛かっているようで開かなかった。
そのまま行くと、右手に二階から降りてくる階段が見えた。正面の大きめの扉は開いている。階段の下から見上げると、その先への扉が手前側に開いているのが上部だけ見ることが出来た。だが、まずは一階の探索を済ませることにする。
扉の先は、先ほどの通路よりはやや狭くなっていて、左右には扉は見当たらない。百メートルも進まない所で次の扉があり、この扉も開いたままだ。フィル達はそのまま歩を進める。
その扉の先はかなり広い部屋になっていて、天井も高い。壁際には何らかの操作を行うコンソールと思しきパネルや、ボートらしき物の姿が見える。どうやらここは、城の裏手側にある格納庫のようだった。
フィル達がその中へ足を踏み入れると、明かりが点る。それによって、一行は“それ”に気づくこととなった。
小型船などを発進させるためだろう、格納庫の奥側は海へ下るスロープになっている。そしてそこに、夥しい量の、人骨が積み上がっていたのだ。
きっとこれらは、この城の中でこの国と運命を共にした人々のものなのだろう。開いている扉と閉じたままの扉は、海流によってこれらをここに集めるために計算された上で分かれていたのかも知れない。
その光景に、フィルは胸の奥に熱いものが湧き上がってくる感覚を覚える。
――これは怒りではない。リサへの気持ちとも違う熱さだ。敬意? 畏怖? 憧憬? はっきりとは分からないけど、きっと色々な感情がない交ぜになっているのだろう。
そんな感情の中でフィルの頭に浮かんだのは、自分はリサ達と一緒に必ず生きてここへ帰って来る、そんな決意めいた想いだった。
そして一行は、パネルを操作し、奥の隔壁を開放する。
優しく寄せる波に、スロープは海水に埋もれ、返す波が、国を愛して朽ちた人々を母なる海へと還していく。
全ての亡骸が還るまで、一行はただ静かに祈るように、その場に佇んでいた――。
二階へ登り、開いている扉を辿ると、大部屋に行き当たった。部屋の中は階段状になっていて、入り口から見て左手の一番床が低くなっている方に巨大なモニタとサブモニタ群、右手側の最上段には指揮官席と思しき設備がある。どうやら司令室、或いは中央管理室といったところのようだ。
長い間水中にあったはずだが、やはりここのシステムも生きていて、部屋の中へ入ると、電灯やメインモニタなどがスリープから立ち上がる。
明かりに照らされた室内を見回すと、ハード面でも劣化したような様子が見られない。特殊な材料を使っているのか、魔術的な仕掛けがあるのか、どのような理由にせよ、この広大な城中の様子をここからモニタできるのはフィル達にとってはありがたいことだった。
指揮官席に向かうと、そこにあったのは、結んだ紐に通された、二つの指輪。海をそのまま石にしたような揺らめく蒼の宝石が、プラチナに輝くリングに埋め込まれている。
フィルが引き寄せられるように手に取ると、指輪のサイズが変わる。どうやらリング部は微弱な魔力でも変形する魔鉱石を柔軟性のあるプラチナでコーティングしているようだ。
そして、その指輪を暫く見つめたフィルは、そっと側に立つリサの手を取る。
「えっ? えっと、フィル?」
「最後にここに立っていたのはきっと、女王陛下、……母さんなんだと思う。でも、ここには亡骸がない。ということは、この指輪は敢えて持っていかなかったってことなんだと思う。ボクに、ボク達に遺してくれたものなんだって、そう思ったら、これは、こうしないといけないような気がして。……いや、違うか。ボクがそうしたいんだ。顔も見たことない両親だけど、ボクはこの人と一緒に生きていきたいって、ここで報告したい、のかな?」
「……なんで最後は疑問形なの?」
「正直、衝動的に動いてたから。今の考えは、話しながら確認してた感じで。だから最後はハッキリしない感じになっちゃったけど、でもこの指輪をリサに付けて欲しいっていう気持ちは絶対に確かだから。だから、……どうか受け取って下さい」
「……はい。謹んで」
最後は少し戯けたようなやり取り。でも、お互いを見つめる瞳は真剣で。
フィルが指輪をリサの左手薬指に通すと、ぴったりと合うサイズに変化する。続いて、リサからフィルへ。
見つめ合う瞳が潤み、お互いだけを映し合う。二人の顔はゆっくりと近づいて――。
「う、うぉっほん!」
アーリカのわざとらしい咳払いに、バッと音が鳴るような勢いで身を離すフィルとリサ。
「あー、うん、何というか、私はそういうのを否定するわけじゃないんですけどね、状況というものをですね、考慮して頂ければと、思うわけですよ」
そう言うアーリカは、照れているのか顔が赤い。喋り方もおかしいが。
イレブンは何食わぬ顔。だが、どこか今の状況を楽しんでいるようにも見える。このような“お約束”な展開を引き出したのだから、二人に気を遣うのとは別の方向に空気を読んだのだろう。――だって、彼は優秀な狼だもの。
城のモニタ可能な部分を一通りチェックし、不審な点が見当たらないことを確認した後、システムによる強制ロックを解除する。
アドミニストレータ権限はフィルが認証デバイスに触れただけで得られていた。フィルが認証された時に表示された名前は『フィリア』。ゼノンからは本名は別にあるとは聞かされていたが、これまで教えて貰ったことはない。きっとこれが、親が付けてくれた名前なのだろうと、フィルは頭では理解するものの、感慨よりも先にどこか他人事のような感覚が拭えず、戸惑いを感じる。
――フィリアと呼ばれ、王女として振る舞う。フィルは自分のそんな姿を想像しようとしてみるが、上手くいかない。リサも似たようなことを想像したのか、しかしこちらは「ドレス姿のフィル……有りね」などと呟いており、フィルは何故か戦慄を覚えるのだった――。
それはともかく、城の上層奥部には王族専用の領域があり、そこは最高権限を持ってしても管理室からはモニタすることは出来なかったため、実際に足を運ぶしかない。データベースからポータブルストレージへのコピーの完了を待ってから、そちらへ向かうことにした。
その領域への入り口ではフィルが所定の位置に立った途端にスキャンが開始され、何事もなく認証はパスした。入った奥は殆どが居住スペースのようで、かなり広い個室が二つ、それよりはやや劣るがそれでも十分な広さの個室が四つある。他にあるのは倉庫のような部屋と上階への階段。入り口すぐ脇から延びる階段を上ると、上階には書庫や娯楽室と思われる部屋などがあった。
そして、一番奥には一際厳かな雰囲気の扉。この扉の前でも、改めて認証が行われた事から、特別な部屋であることが窺える。中はさほど広くはない部屋で、飾り気もない。その部屋の正面突き当たりは一段高くなっていて、台座が置かれている。
その台座の上に安置されていたのは、大小二振りの刀。
フィルが大刀を手に取り鞘から抜き正眼に構えると、刀身がその長さを変える。先の指輪のように、魔力によって使用者に最適なサイズに変化するようだ。
透明感のある刀身は棟から刃先へ向けて美しいグラデーションを見せ、刃文は波のように揺らめいて見える。これがただ美しいだけでなく、素晴らしい業物であると、手にしたフィルは確信する。ただ切れ味が鋭いだけではない。変化したのは刃渡りだけでなく、重量、重心、握り心地など、あらゆる面で使い手の理想を体現しているように感じられる。先達て得物を失ったばかりのフィルにとって、これ以上ない祖国からの贈り物だった。
その刀を鞘に納めたフィルは、今度は小刀を手にし、そして、リサに差し出す。
「フィル? 私、刀ってあまり上手く使えないと思うんだけど……、万が一の護身用とか?」
「いや。多分だけど、リサが構えればリサにふさわしい形になると思う。試すだけ試してみよう」
「ふぅん……。分かった。やってみる」
リサは鞘から抜いた小刀の柄を両手で握り、自分にとって最も身体に馴染んだ構え、母から教わった槍の構えをとり半身になる。すると、刃渡りはそのままに、柄が変化を見せた。リサの身長よりやや短い程度の長さに伸びたのだ。その先には刀身がそのままに。その姿は槍というよりは薙刀と形容するべきか。
「……すごい」
「どう? 身体に馴染むというか、身体の一部になったというか、そんな感触がある?」
「……うん」
そのリサの返事は、どこか上の空で。そして、その心の中は、これならフィルの力になれる、という喜びが多くを占めていた。
この後、アーリカも試してみたが、刀が変形することはなかった。それどころか、魔力が反発するような感覚があり、まともに使えそうもない、というのがアーリカの感想だった。
因みに、イレブンも何かを期待する目でフィルを見上げていたのだが、リサの反対もあり結局イレブンがその武器を試すことはなかった。これまで狼の常識を軽々と超える姿を見せてきたイレブンに、リサは何らかの危機感を抱いたのかも知れなかった――。
城の探索を終えた五日後、ネクスは移動用の乗り物を完成させていた。
そこにあったのは、大型のオフロード車。そして、四台の小型の乗り物。小型機は、大きめの前輪に風防に囲まれたステップ、そして前輪と比べると小型の後輪。風防内にはハンドルなどが見え、ステップ後方の後輪を覆う部分の上にちょっとしたクッションといった程度ではあるが座席がある。これを敢えて言葉で表現するなら、コンパクトな変則スクータといったところか。
「試運転も兼ねて外を見回ってきたが、城が復活したってのに帝国の影は見当たらん。もしかしたら戦力は中央に集めて待ち構えているのかもしれんな」
「でも、行かないっていう選択肢はないよ。幸い、城の中では凄い武器も見つかったし、防具も良いものが補充できた。ネクスのおかげで移動も予定よりかなり楽になる。大変なのは元より覚悟の上だし、むしろ予想よりいい流れだって、良い方に考えよう」
「ま、油断は出来ないが、ビビりすぎても何も出来ないか。リサやイレブンは何も言わなくてもフィルに付いてくんだろうが、アーリカはどうだ? 怖じ気づいたりしてないか?」
「ネクス、見くびらないで欲しいな。その程度の覚悟なら、付いてきたりはしていない。城の武器庫ではクリスタル製の素晴らしい剣も手に入ったし、私だってこれまで以上に戦いで役に立てる。むしろ本来技術屋のあなたこそ、ここで引くべきでは?」
「俺は自分の目で見聞きしないと納得できない質でな。気になるのに知らないまま悶々とするくらいなら、知って死ぬ方を選ぶさ」
「ネクス。そういう覚悟は結構だけど、ボク達は絶対に全員生きて戻るんだ。どんな状況でも絶対に諦めたりしないでくれよ」
「もちろん。今のはあくまでも例え話だ。俺は諦めも悪いから、こっちは心配せずのお前らは自分達のことを考えてろ」
「ネクスは相変わらず言い方が素直じゃないね。……まあとにかく、全員生き残ることを優先して、改めて気を引き締めていこう」
その後は、一度船まで戻り荷物を車へ運ぶと同時に、洞窟内の数カ所と水の民の村を繋いでいる工事時に設置していた連絡用回線を利用して、村に待機していたレジスタンスメンバに連絡を取る。この回線なら広域ネットワークに接続していないので、帝国に悟られることもないだろう。
思いがけず手に入れた足を加味し、だが最悪の事態も想定して、帝国首都での城内突入の日は、二ヶ月後に決まった。
そうして全ての準備を終えた一行は、一路南へと進む。
帝国による侵略以前から人口の減少によって首都部と発電所周りの特区部への人の集中が起こっていた為に、南へ行くほどかつての人の住処は自然がその生命力を誇示する舞台と成り果てている。
川の北部の森林地帯も、既に大森林地帯と呼ぶ方がふさわしいほどに広がっていた。
だが、森の中でも若い部分は比較的密度に余裕があったし、その奥のかつて帝国と女王国が交流を持っていた時代に整備された森を縦断する大街道も未だうっすらとではあるがその面影を残しており、ネクスの用意したスクータが活躍する場面も少なくなかった。
――因みにだが、さすがのイレブンでもスクータを運転することまでは出来なかったので、彼はフィルの足元に控えている。飛び出したくてうずうずしているように見えるのは、気のせいだろうか?
ともあれ。
やがて一行は川を越える。
遂に踏み入れる帝国に向けて、それぞれが、様々な思いを胸に抱いて。




