黒猫姫
ゲームは男の子のものだと思われていたのは過去の話である。
最近のMMORPGでは女性のプレイヤーも増え、そうした女性プレイヤー獲得を狙った可愛らしいキャラクターデザインを売りとした作品も多い。しかし、増えたと言ってもプレイヤーの中で女性が占める割合はいまだに2~3割程度であり、女性が少ないことに変わりない。
そうした男女比率の不均衡もあってか、MMORPGでは男性プレイヤーが女性プレイヤーをもてはやすことが、ままある。
それはチャットでの対応やパーティー参加を優遇するなどにとどまらず、ゲーム内通貨や貴重なアイテムを貢ぐことも珍しくはないのだ。
中にはそうした女性厚遇を嫌がり、性別を偽って男性プレイヤーを演じる「ネナベ」になる者もいれば、逆に自ら女性であることをアピールして、周囲の男性からもてはやされようとする人もいる。
そのような男性プレイヤーたちからもてはやされ、ちやほやされる「お姫様扱い」を求めるプレイヤーのことをネットゲームでは「姫」と呼んでいる。
そして、レドリックたちの〈月下庭園〉に所属するプリースト系ロウ属性シークレット職セイントの黒猫姫は、この『ミュステーリオン・オンライン』において「姫」として有名なプレイヤーだった。
「黒猫は、たぶんこの世界にいると思う」
夢の世界で待っていたエイラは開口一番に、こう言った。
「どうして、そう思うの?」
「あたしは、あいつと狩りに行く約束をしてたの。それをブチ破ってログインしなかったんで、文句を言ってやろうと思っていたんだけど、それからログインしないし、あたしのほうもこの世界のこととかあって、すっかり忘れてた。それを思い出した」
エイラと黒猫姫の関係は、レドリックからしてみれば奇妙なものだった。
典型的な姫キャラである黒猫姫に対して、逆にエイラは、そうした女性優遇を嫌うタイプである。「ネナベ」まではやらないが、理由もなくアイテムを貢ごうとするような相手には、逆に強烈な肘鉄を食らわしている。
それなのに、当時から「姫」として有名だった黒猫姫をギルドに勧誘したのは、どういうわけかエイラだった。
そして、どうしても加入当初はギルドで浮いていた黒猫姫をギルドチャットでは毒舌を交えながらだがギルドメンバーの狩りに誘い、何とか彼女がギルドに溶け込めるように骨を折っていたこともレドリックは知っている。
「あいつがログインしなくなったのは、あたしたちがこの夢を見るようになった翌日からに間違いない。ログインしなくなった日が、この夢が始まった翌日からっていうのは絶対に何かあると思う」
「でも、俺も黒猫姫をフレンド登録しているけど、オフライン状態のままだよ?」
フレンド登録とは、親しい人や連絡をこまめに取りたい相手の状況を簡単に確認するためのシステムだ。両者の合意の上でフレンド登録をすると、フレンドウインドウを開けば、その人のログイン状況やゲーム内での居場所などの情報が一目でわかるようになっている。
「馬鹿ね。オプション設定で、ログイン非公開にすればログインしていてもフレンド・リスト上ではオフライン状態になるでしょ?」
エイラの言うとおり、ゲーム開始のオプション設定でログイン非公開のチェックボックスにチェックを入れると、ログインしてもフレンド検索や通常のキャラクター名による検索を行っても、ログアウトしたままでいるように見えるようになっている。
「ギルドメンバーのリストで、黒猫を探してみて」
レドリックはギルドウインドウを開いた。基本設定の状態では、ギルドメンバーの欄にはログインしたメンバーだけが表示される。今もギルドメンバーとして表示されているのは、レドリックとエイラの名前だけだ。
レドリックは「オフライン状態も表示」というチェックボックスにチェックを入れると、まだ夢の中に来ていないギルドメンバーやそれぞれのサブキャラクターなど数十名分の名前まで一気に表示された。
レドリックは上から下まで順に目を通して黒猫姫の名前を探したが、見つからぬまま一番下までいってしまった。途中で見落としたのかと思い、再度上から順に名前を探していくが、やはり見つからない。
「黒猫の名前がないでしょ?」
すでに調べていたらしいエイラは、そう言った。
「これって、どういうこと?」
少なくとも現実のゲームの中では、黒猫姫がギルドから抜けたようなことはなかったはずだ。それなのに彼女の名前が夢の世界では消えているというのはおかしな話である。
「もし、レドリックがゲームの中で誰にも見つかりたくないのに、絶対ログインしなくちゃいけなくなったらどうする?」
「それは……」
しばらく考え込んだレドリックは、はっと顔を上げた。
「検索されてもいいようにログインを非公開に設定する。あと、ギルドも抜ける」
いくら自分のログインを非公開にしていても、ギルドに所属していれば、ギルドメンバーにはログインが通知されるシステムだ。それが嫌ならば、ギルドを抜けるしかない。
「黒猫のやつ、どういうつもりかわからないけど、あたしたちから隠れているとしか思えない」
エイラは眉間にしわを寄せて言った。
「でも、黒猫姫さんが俺たちから隠れているって、なぜ?」
少なくともレドリックが知る限り、以前ならばともかく最近の黒猫姫は大きなトラブルを起こすようなこともなく、他のギルドメンバーたちともうまくやっていたはずだ。
しいて言えば、黒猫姫に対しては歯に衣着せぬ物言いをするエイラと、よくギルドチャットで喧嘩しているが、そのくせふたりで狩りをしていたり、相手がいないところでは互いに擁護したり、奇妙だが決して悪い関係ではないと思っている。
「そんなのあいつをとっ捕まえて聞けばいいでしょ!」
「どこにいるかわかっているの?」
「だ・か・ら! それを相談しようっていうの!」
しかし、そういわれてもこの広い世界には、人間一人が隠れようと思えば、いくらでも隠れる場所がある。
それに『ミュステーリオン・オンライン』では料理やお菓子、飲み物は一時的に能力値や回復力を上昇させるアイテムであるため、プレイヤーならばポーションやマジック・スクロールと同様に、たくさんバッグに入れて持ち歩いている。そうした料理や飲み物はバッグから取り出さなければ腐らないどころか、まるで出来立ての料理そのものとして食べたり、飲んだりできるため、いざとなれば人里離れた山の中にずっと隠れていることもできるだろう。
しかし、そこまで考えてからレドリックは、さすがに山の中はないだろうと思った。
野外で使える簡易宿泊アイテムのテントはある。だが、話に聞くと寝心地は馬小屋より多少マシな程度らしく、そこに女性ひとりで何日も寝泊りするのは大変だ。
そうなると、どこかの宿泊施設に泊まるしかないが、人から隠れたい人間がそんな人の出入りが激しいところにいくだろうか?
「そういえば、黒猫って高級住宅街に家を買ってなかったっけ?」
レドリックは、1か月ほど前にギルドチャットで黒猫姫が大喜びで報告していたことを思い出した。
「もし、黒猫姫さんが本気で俺たちから逃げようとしていたなら、出歩くことはないと思う。それなら家に引きこもっているんじゃないかな?」
レドリックの言葉が終わるより先に、エイラは音を立てて椅子から立ち上がった。そして、振り向きもせずにギルドハウスから出て行こうとする。
「ちょっと待って、エイラ! どうしたんだよ!?」
「黒猫の奴を捕まえにいくの!」
「黒猫姫さんの家の場所はわかるの?」
「だいたいの場所しかわからない」
「それじゃあ、どうするのさ?」
「大丈夫。だいたいの場所さえわかれば、すぐに見つかる! あんな悪趣味な家は、そうそうないんだから!」
エイラは辻馬車を捕まえると、飛び乗った。レドリックも慌てて後に続く。
「高級住宅街に行って!」
辻馬車は街中の重要ポイントとなる場所へ短時間に移動するためのシステムだ。夢の世界では、ゲームのように一瞬で移動するわけではないが、移動手段としては便利である。
自由都市の高級住宅街は、海に面した小高い丘の上にある。
「確か、西のはずれ」
馬車から降りたエイラは、高級住宅が立ち並ぶ中をずんずんと歩いていく。
「……あった!」
エイラの視線を追ったレドリックは、なるほどと納得した。確かにエイラが悪趣味というのもよくわかる。
それはお菓子の家だった。屋根や壁はクッキーや板チョコで作られ、窓は薄く延ばされた飴。家の壁のいたるところには、キャンディーやマーブルチョコが飾られ、遠くから見ているだけで歯が虫歯になりそうな甘ったるさだ。
「こらぁー! 黒猫! いるんでしょ!? 出てきなさい!」
エイラは板チョコのドアを殴りつけながら大声を張り上げた。
「ちょ、ちょっと待ってよ、エイラ」
慌ててレドリックは制止するが、エイラは止まらない。その騒ぎを聞きつけた近所に住むNPCたちが何事かと家の外に出てきた。レドリックは、その人たちにひたすらぺこぺこと頭を下げる。
「出てこい、黒猫! 中にいるのはわかっているんだからねっ!!」
殴るだけでは飽き足らなくなったエイラは、ドアに何度も蹴りを食らわし始めた。
それに住人たちの間から「衛兵」という言葉が出始めたのに、レドリックは慌てて後ろから羽交い絞めにして、そのまま抵抗するエイラをその場から連れ出した。
「まずいって、エイラ! これ以上は、衛兵を呼ばれるよ!」
「あの、黒猫! あたしを無視しやがって、頭来る!」
そう叫びながら、エイラは近くの木の根元にヤクザキックを連打し始めた。外見は女の子でも、この世界ではLv63のバーバリアンだ。その筋力から繰り出される蹴りに、木は嵐にでもあったように大きく揺れ動く。
「でも、どうしようか? もし家の中に閉じこもっているとしたら、これだけやって出てこないんなら、どう考えても俺たちを避けているとしか思えない」
ようやく気がすんだのか、木を蹴るのをやめたエイラに声をかけた。
しかし、エイラはそんなレドリックの声に気づかぬ様子で、今まで自分が蹴り続けていた木を見上げている。彼女が何の返事も返さないのに、不思議に思っていると、しばらくしてようやくひとりごちるように呟いた。
「やっぱり、この世界って現実のゲームと違うんだね」
「いきなり、どうしたの?」
そう尋ねたレドリックだったが、もとから答えを求めていなかったのか、エイラは再び黒猫姫の家に向かって歩き出していた。
「ちょ、ちょっと待って、エイラ! いったいどうする気だよ!?」
エイラの後ろ姿から、とてつもなく嫌な予感を覚えたレドリックが制止するが、エイラの歩みは止まらない。
「レドリック、さっきあたしはそこの木を蹴っていたでしょ?」
「ああ。それがどうしたのさ?」
「ゲームだと、ああいうオブジェクトは障害物だけど攻撃対象じゃないでしょ?」
エイラの言うとおり、ああした木などは環境オブジェクトと呼ばれるもので障害物として配置されるが、攻撃することはできない。
「でも、この世界だと、ちゃんと攻撃することができるんだね」
「みたいだね。でも、それが……?」
「つまりはね。ゲームなら攻撃できない他のものも、攻撃することが可能なんじゃないかってこと!」
そういうなり、背負っていたグレートアックスを手にし、戦闘態勢になった。
「ま、待って、エイラ!?」
「ビースト・スピリット!!」
レドリックの声を打ち消すようにエイラが叫んだのは、10秒間だけ自分の攻撃力を20%上昇させるバーバリアンの自己強化スキルである。
全身から赤いオーラを噴出させたエイラが狙うのは、黒猫姫の家にある板チョコレートの形をしたドアだ。
ゲームでは環境オブジェクトと同様に、攻撃対象ではない。
しかし、先程の木もゲームなら攻撃できなかい環境オブジェクトなのに、エイラは蹴りを食らわすことができた。それならば――。
「アタック! スラッシュ! トリプル・スラッシュ! シビア・ブローッ!!」
エイラの目にも止まらないスキル攻撃の連続攻撃が、ドアを直撃する。一撃ごとにドアは悲鳴を上げて歪み、砕け、切り裂かれていく。
「ビースト・ラッシュッ!!」
そして、狂ったようなエイラの5連撃を受け、ついにドアは爆砕したように家の中に吹き飛ばされた。
「黒猫ぉー!! もう、逃がさない! 出てこいっ!」
グレートアックスを担いだエイラは、ドアだったがれきを踏み越え、家の中に押し入って行った。
慌ててエイラの後を追って家の中にレドリックも入る。
家の中は外観にも負けないファンシーな内装であった。ピンク色のハートマークで埋め尽くされた壁紙に、ディフォルメさせた動物をかたどった家具類。少女趣味をこれでもかというぐらい全開にした内装だ。
レドリックはそれだけで頭がくらくらとするような空間だ。
「どこだ?! 黒猫、出てこーいっ!」
家の奥で、激しい物音がした。
「そこか、黒猫!」
狙う獲物を見つけた獅子の気迫を伴ったエイラが、物音がした奥の部屋に向かう。
「く、くるなぁー! こないでぇー!」
奥から聞こえたのは、まだ若い女性の声だ。
MMORPGでは、キャラクターが女の子でも、それを操作しているのは中年の男性ということはよくあることだ。
しかし、さすがにこの家のセンスなどから黒猫姫のプレイヤーが若い女の子であったことに、ほっとした。これで中年の男性だとしたら、さすがに対応に困るというものだ。
「そこにいるのかぁ、黒猫ぉ!!」
エイラに続いて、レドリックもあわてて部屋に飛び込んだ。
「来るなぁー! 見ないでぇー!!」
部屋の隅で必死にベッドのシーツを身体に巻きつけて悲鳴をあげていたのは、エイラとレドリックも知る人間だった。
「まさか、あなた……」
「冴木小町……さん?」
ふたりが見つめる先で、頭に黒い猫耳のカチューシャをつけ、フリルのいっぱいついたゴシックロリーターファッションに身を包んだ冴木小町は、雨に打たれた捨て犬のように目を潤ませてプルプルと震えていた。




