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あの計画は、準備が大変だと思っていた。
いくら僕がシステム系に精通しているといっても、申し訳程度のセキュリティを突破するのにも、かなりの労を要するからだ。
だからイブが餞別代りに突破口を与えてくれたことは、正に渡りに船だった。
ノート型デバイスに全ての仕込みを打ち込み、何度も入力情報を確認する。
無事に実行に移せるのか。
そして思い通りの結果が得られるのか。
何よりも、本当にこんなことが自分のやりたかったことなのか。
誰も喜ばない暴虐が、一体何を生み出すというのだろう。
いや、もう迷ってはいられない。
独りで凍死するイブの姿を脳裏に投影させる。
そんなことを僕は許せない。
そんな強い決意とともに、最悪なアルゴリズムをタイプしていった。
最初に異変に気が付いたのは誰だか知らないが、一番先に騒ぎ出したのはやはりザイトだったようだ。
どたどたと大きな足音が、僕の隠れ家みたいなブースに接近してきた。
「おい、アオ、VR空間が大変なんだ! お前も手伝えぇ!」
叫び声を置き去りにして、ザイトは何処かへと走っていく。
きっと今残っている全員に作業させるつもりなんだろう。
もう僕が何をしようが結果は変わらない。
それなら成果確認のために、既に立ち上がっているであろう緊急対策本部に向かうとするか。
十数人のエンジニアが一斉に見つめているのは、会議室中央の巨大モニターだ。
そこにはVR空間内部、特権階級用の高級住宅街予定地エリア――だったものが煙幕とともに無残な姿を晒していた。
「なんでこんなことになるんだぁ? あそこは解禁するまでロックがかかっていただろうが」
全人類の移住が完了するまで、未使用のエリアは作るだけ作っておいて放置してあった。
そこで変なことが起きないように、ロックされていて末端のエンジニアには手出しできないようになっていたが、僕にはあまり関係なかった。
あの鍵を使ってセキュリティホールを生み出し、爆薬オブジェクトを電子でできた高級マンションや立派な駅ビルの中に仕込んでいく。
そして物理演算の通りに崩壊させるのに、あまり苦労することもなく終わった。
だけど、あのオブジェクトの数々はイブが仕様書を書いて生み出したものだった。
それを無残に電子の海の泡にするのは、少しだけ心が痛んだ。
「おい、さっきロールバックしろって言っただろうが! 本当にできねぇのか」
そんな容易に元に戻せるようなことを僕はわざわざ実行しないし、できるならここに皆を集めるはずもない。
ザイトに心の中で返答すると、ロールバック用のデータも上書きされているという報告が、どこからか聞こえてくる。
「データは、まあ最悪作り直せばいい……それよりも、VR空間内部の犯行なのか、どうかが問題だ」
ザイトがログデータの群れを高速でチェックして、事件の全容を掴もうとする。
無駄な大捜索が始まる前に自首した方がいいか。
だけどその前に、本当に僕が望む結果になるのか見届けないといけない。
「人がいない未使用エリアだったからよかったものの……誰かいたら洒落にならねぇぞ」
ザイトが吠えながら、解析作業を進めていく。
僕は言われた通りに手を動かすふりをしてタイミングを計った。
いくらなんでも僕だって、人を殺すつもりはない。
VR空間では一定以上の痛覚をオフにできるとはいえ、リアルに計算された爆発エフェクトに巻き込まれたら、精神にどんな影響が出るか分かったものではない。
VR空間そのものがアドリブの技術の塊のようなものだ。
臨床試験のついでに実用稼働している状況で、本当に人体に悪影響が出ないかなんて何も立証されていない。
映像だけで人を殺せるというのだから、むしろリアルを追求したあの仮想世界は十分凶器になりえるのだろう。
だから、僕は人のいないエリアを犯行現場に選んだ。
「なに……これ……」
腕に包帯を巻きつけたイブがよろよろと、中央スクリーンに歩み寄っていく。
そしてすぐに僕の方を睨んだ。
彼女には犯人がだれかすぐに分かったらしい。
僕はまだ無言でやり過ごそうとする。
「おおイブ、悪ぃな、手術ばっかりのときに来てもらってよ。早速だが、この街のオブジェクトを復元できねぇか? ここはな、お偉いさんが住む予定のエリアなんだよ、全く」
イブが手持ちのデバイスを起動してデータを見た瞬間、彼女の元々白い顔が更に色素を失ったように見えた。
「復元データが、ない……これは、個人用機器に残っているデータをかき集めても、相当時間がかかる……」
「作り直すこともできねぇのか?」
「あの街は、3Dモデラーの職人技で成り立っているところもあったので……その人も、もういません……私が作業するとなると、かなりかかります」
「他にそういうのが上手いやつ、いねぇのか?」
「私が、一番ですね」
イブは事実を淡々と言う。
その響きにはどこか諦観めいたものが含まれていた。
焦げ付いた鉄筋のオブジェクト。
粉々になったコンクリートの塊のオブジェクト。
そんなものをサーバーは丁寧に挙動を計算して描画している。
そしてそれをイブは単に見つめていた。
「このことを上に報告しなきゃならねぇ。そしたらよ、命令されることは決まっているぜ」
イブは俯いて、ザイトが繰り出すであろう指示を待った。
「イブのかき氷作業は中止だ。街データの作成はVR空間内部からでもできる。そっちをやってくれ。まあ工事の現場監督みたいなもんだ」
「……いえ、私が残ります」
弱弱しくかすれた声を、イブは何とか吐き出していた。
彼女の意志の強さには感服するが、それでもこんなところで孤独死させる人材ではないと、僕は強く思う。
「駄目だ」
「私がやらなければ、誰がやるの」
「砕氷についてはよぉ、デアイサーの練習をさせれば誰でもできる。だけどな、壊れた街をすぐ直せそうなのは、イブ、お前しかいない」
イブはもう言葉を発することはなかった。
よし。これで彼女の重すぎる責任感から解放できたのではないか。
イブはイブの作った理想の世界へと旅立つことができる。
そしてその代役だが、勿論誰かに押し付ける気はない。
ここまでしでかしたんだ。責任の取り方は一つしかない。
デバイスから手を放し、一呼吸する。
そして、ザイトに向かって背筋を伸ばし立ち上がった。
「ザイトさん」
「あ? 今忙しいんだ。それとも犯人見つかったか?」
どこかへ通話するためのインカムを複数手に持ち、ザイトは体だけ僕の方に向ける。
「そうです」
「……なんだと? 誰だこんな馬鹿野郎は?!」
「僕です。僕がやりました。死刑にしてください」
他の作業者はぴたりと手を止める。
ザイトはインカムを床に落として口を馬鹿みたいに大きく開く。
イブは、何も表情を変えなかった。




