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余りに動揺したせいで、寒さの震えが更に上乗せされて体が揺らぐ。
今更自分が向こうに行ってどうするというのだ。
家族なんて皆死んだ。
自分だけじゃない。
皆大切な人を失って新天地へと向かっている。
そもそも、自分のような人間がVR空間で受け入られるわけがない。
『この通信は俺しか聞いてねぇし、傍受もされてない。さっきの無駄な時間のおかげで、他のやつらは帰ったしな。ログはすぐに消しておく』
先ほどの作業の意味は、人払いの時間稼ぎだと分かったが、最早自分の頭はそれどころではなかった。
『いや、しかし、最終確認はしないと』
『その作業に大した意味はないんだよ。お前だって分かってるだろ。お前が変な気を起こしていないか確証を得たいだけだ。モニターの数値と、計算上分かっている数字が合っているかどうかを見るだけ。そうしたらVRのやつらは安心して万年のときを過ごせる。本当にそれだけなんだよ』
『だからこそ、大事な任務です』
『だとしてもだ、お前が犠牲になる必要はねぇ』
『サーバーが予測より長持ちするんですよね? だったら砕氷作業を続ければ、もっと世界は永遠に続く。そのために、自分はここに残ります』
本音の半分を込めながら、デアイサーの操作トリガーを強く握りしめた。
『五千年が一万年に変わってもしょうがねぇだろ。本質はそこじゃねぇ』
そういったところは、VR空間の稼働前に散々議論されたことだ。
そこでよく言われていたのは、永遠を生きる人間はいないだろうということ。
十分過ぎる時間が流れた後は、自殺者が続出すると予測されている。
だから、本当に久遠のときを用意する必要はない。
『なあ、アオ、こっちに来い』
最終加速までサーバーを保守するために、デアイサーを操作する。
それだけが自分の仕事で、全てだったはずだ。
そんなこと何度も覚悟をして、この機体に乗り込んでいる。
だというのに、違うものの影が脳裏を横切り、自分の鼓動を高めていく。
『……取り合えず、今日の砕氷作業をしてきます』
まともな返事もできなくなった自分は、この場から逃げることを選んだ。
『そうか……今日の分はまだだったか。まあ、考えておけ。俺が全部なんとかしてやる』
『必要ありません』
甘言に唆される前に、踏み留まろうと考えこむ。
そもそも自分がここから逃げ出せば、ザイトに迷惑がかかる。
どうやって他の運営スタッフの目を逸らすつもりなのか分からないが、具体策を言わない以上、無計画の可能性すらある。
ザイトはそんな人だ。
もしかしたら全ての責任を背負い込むつもりなのかもしれない。
ならば、自分はあの提案に乗っては駄目だ。
『予測よりましとはいえ、これからもっと寒くなる。そのとき、気が変わったらでいい』
『そんなことはありえません』
『アオ、そう言うがなぁ、お前会いたい奴とかいないのか?』
金色の髪の少女が、椅子の上で足をばたつかせながら、調べものに励む姿が目に浮かんだ。
『……そんな人がいたとしても、ウィンドウ越しに会えます』
『だが、それももう厳しいだろ。お前が一呼吸する間に、こっちは月を跨ぐようになるんだぞ』
『分かっていますよ。そもそもそんな人いませんから』
『……そうか。だけどこれだけは憶えておけ。デアイサーの中でもログインできるからな。シートの後ろにケーブルがある。通信が生きている間なら何とかなるはずだ。だから、最終加速の前に』
『これ以上遅れると危険ですから、排水溝に向かいます。それでは失礼します』
ザイトの言葉を遮るために、自分はデアイサーを駆動させ通話ウィンドウを閉じた。
その瞬間、肩をすくめる彼の姿が見えた気がした。
ザイトは見た目に似合わず優しい。
自分だけをこの地獄に置き去りにしていることに、やりきれない思いを持っている。
自分も誰かを犠牲にする辛さは分かっているつもりだ。
だから自分は正しいと思ったことをした。
そして過ちに気がついたから、この道を歩むことになった。
後悔よりも虚無感の方が大きい。
恐らく最後になるであろう砕氷作業を終わらせるとする。
VR空間の加速が上限に達したら、必要以上にサーバーを守る必要もない。
明日は何のために生き残ろうか。
トリガーを引き、巨大なアームを振り上げる。
排水溝に発生した氷山に向かって、何も考えず鋭いツメを叩きつけると、音とともに氷の礫が無数に舞う。
キャノピーの強化アクリルに大きな塊が何度もぶつかるが、ただ煩いなと思うだけだった。
水の通りがよくなり、サーバー群は本日も順調に稼働できる。
明日も自分が生きていたら様子を見に来てやろう。
だがその後は?
ザイトの話に乗っても、その内自分は捕まるだけだろう。
無限の人生残り全てを逃亡生活に捧げるつもりもない。
だとしたら自分の居場所は、やはり現実にしかないのだ。
加速試験が始まるまで、AIのふりをしてクレームの処理をこなした。
毎日、寒さに凍えながら砕氷作業も行った。
だが、これからは何もない。
いや、そう思ったが、自分にはたった一つの約束が残っていた。
現実のことを何も知らない少女。
そんな彼女が本当の自分自身を見ておきたいと言う。
この本物の世界から別れを告げる前に、できることなら叶えてあげたい。
自分には、もうそれしか残っていない。
デアイサーを急かせて、ドームの出口に向かう。
そのとき、ちらりと目に入った気温ログのせいで嫌な予感がする。
入口の門が少し開いただけで、予感が的中したことを悟ってしまう。
猛吹雪に迎え入れられたデアイサーが雪に埋もれないよう、一歩一歩確実に前進させる。
これくらいなら、まだ倉庫に帰ることができそうだが、これ以上悪化するとどうにもならなくなるだろう。
キャノピーの除雪機構が機能しなくなると、視界不良で何もできなくなる。
その前に、倉庫に戻って充電しなければ、待つのは確実な死だけだ。
今日はもう無理だ。早くメアリに連絡しよう。
《【アオ】/メアリさん、申し訳ありません。天候が悪化したので、当分安置所には行けそうにありません》
テキストメッセージを送ると、間髪入れずに彼女からの返事がやってくる。
気にしないで、明日でもいいです、といった文言が入っていたが、こちらの明日が、向こうの何日後か理解しているのだろうか。
二十四時間後の天候がどうなるかなんて誰にも分からない。
VR空間と違って、環境の操作などできないのだから。
明日、ついに明日か。
不凍液フィルターのせいで自分の最期が分かっている。
恐怖、孤独、それよりも別のものが胸の中を往来した。
「イブさん、どういう気持ちでこの日を迎えようとしていたんだ」
久しぶりに独り言を漏らして、肺の中を冷気で一杯にしてしまった。




