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VR空間を支えるサーバーが完成に近づくと、その機器の群れはすっかり街のように膨れ上がっていた。
推定数百万人に及ぶ全人類の活動をリアルタイムで計算し、まるで現実と変わらないように世界は振る舞う。
そのためにはこれだけ巨大な設備が必要なのだが、それにしてはコンパクトに収まったと思う。
僕のささやかな力と、他の担当者の大いなる協力のおかげで小さなサイズで完成を迎えたというのもあるが、それよりも気温の低下の影響が大きい。
莫大な計算により大量に発生する熱も、太陽の不調には敵わないらしく常にフルスロットルで稼働できる。
後は霜の問題だが、それは自動で処理する機能が盛り込み済で、溶かした排水は勝手に設備の外へ流れるようになっている。
高層ビルの地下に水都の如く水が流れ、その街を丸ごとドームで蓋をする。
こんなにとてつもないものが、人が動けるうちに施工できたのは行幸だろう。
「実際にこの目で見ると、流石に壮観ね。アオ、感想はどう?」
サーバーの壁の間に、カーディガンを羽織った彼女が天を仰いでいた。
「僕はイブさんに言われた通りにしただけだからね。ハード担当者の恨み辛みを聞かせてあげたいよ」
「貴方が間に入ってくれて助かった。そういうのって本当に面倒なのよね」
僕が知っている限り、イブは本当に僕としか喋っていない。
体のいい通訳を手に入れた彼女は、他者との関係性を完全に断ち切ろうとしているように思える。
別にそれが悪いことではない。
こんな環境なのだから、好き勝手に生きればいい。
だけどこんな調子で、VR空間でどうやって過ごすのだろうか。
いくら彼女が好きに作った理想の世界だといっても、彼女一人だけのものではない。
生き残った全人類が集う場所だ。
きっと、この五月蠅い稼働音を奏でるサーバー群よりもやかましい場所になる。
新天地にも、それを維持する技術者が必要だ。
僕もイブもVR空間内で仕事に追われることになるだろう。
孤独を好む彼女は、本当にそれでよかったのだろうか。
今の内に目一杯働いておいて、名誉除隊でも掴み取ろうとしているのだろうか。
「それにしても寒くなってきた。本当に間に合ってよかったわ」
両手を抱えたイブはぶるっと身震いする。
近頃は気温の低下も加速度的に増していく。
地表が雪でコーティングされてしまっては、弱弱しい太陽光も反射し熱は逃げていくばかりだ。
火山の近場でなんとか施設をこしらえたが、ここ一帯も間もなく氷の景色になってしまうだろう。
僕も似合わないイヤーマフがないと、とても外を歩く気にならない。
「君はやっぱりおかしいよ。そんな薄着で平気そうにしている。地球最後の日まで生き残れるんじゃないの」
「それは無理だって研究結果が出てたでしょう。このままいくと肉体改造が必要になる。これから担当者を選別して手術していくそうよ」
「僕は勘弁してほしいな。明日の試験運用開始が上手くいけば僕の仕事はなくなるし、その必要はないかな」
「私は正式稼働直前までチューニングしないと」
「そうか……ごめん」
イブももう仕事が終わったのかと思っていたので、僕は自分の軽口を悔やんだ。
「別に。望んでしていることだから」
イブはサーバーの切っ先へと視線を向ける。
その目はドームを超えた死にかけの太陽を睨んでいるように見えた。
全人類のために闘っている。
この人には報われてほしいと、僕の頭の中はその願いで占拠されてしまった。
研究員を被験者としたVR空間稼働テストが始まると、冷え切ったプロジェクトラボにも少しは活気を取り戻していく。
足りない機能、アルゴリズムの修正、インターフェイスの改良。
問題点が明らかになり、仕事量が激増し、少しだけ皆の顔付きが変わった気がする。
ゴールが見えてきたのだ。
そして僕の仕事もまだまだ終わらないことが判明し、少しづつ体の方も改造していくことになる。
「どうして上手くいかないんだろう」
イブはテストレポートを何度も音読して、文句もついでに発音する。
あれは多分僕に言っているわけではない。
この狭いブースで二人きりでも、互いに独り言を言い合うだけ。
分厚いコートが擦れ合うくらいの距離にいるのに、特に何をするわけでもない。
だけどそれでいいと思った。
僕より深刻な人嫌いの彼女は、きっと必要以上の対話を望まない。
その寂しさがVR空間を作り出す原動力となるならむしろいいことだ。
僕は人のことを言えたものではないし、もっと人と関わりましょうなんてカウンセラーみたいなことを言う資格もない。
「ああ、もう時間がないのに」
彼女に声を荒げさせる要因は、サーバーの処理能力不足にあった。
VR空間はある種夢の世界なのだから、移動について特に制限を設けない方向で仕様は決められていた。
念じただけで好き場所に移動できる。
正にゲーム的であの仮想の世界にお似合いの機能のはずだった。
だが無制限にそんなことができてしまうと、瞬時に切り替わる周囲のデータを高速でロードしなければならない。
全ての人にそんなことをされてしまうと、レスポンスが悪化するどころか、フリーズしかねない。
今からサーバー処理能力の大幅な向上は不可能だ。
何かを妥協する必要がある。
いや、妥協どころか、丸ごと切り落とすべきだ。僕の足みたいに。
「その機能は本当に必要なの」
「さあ。でもできるって言ったのはアオ、貴方よ。前聞いたときには何でもできるって言ったじゃない」
「言ったよ。実際に活動している人が少ない内は、負荷も少なくて何でもできるよ。だけどオブジェクトを増やすと一気に厳しくなるのは予想以上だった」
例えば人が二人近くにいるとそれだけで計算量が跳ね上がる。
聞こえる足音、漂う香水の香り、人の気配といったものを表現するためには様々な演算を必要とする。
「で、無理だからなくせばいいの? 無限ワープ機能」
「そもそもイブさんはそんな機能必要だと思うの」
「……私は、正直どうでもいい。でも後から文句を言われたくないだけ」
グラフィック周りの責任者はイブだが、画像処理にまつわる仕様検討も雪だるま式に押し付けられて、かなり広範囲に仕事をしている。
「文句って、VR空間が稼働してからクレームが来るかもしれないってこと? なら大丈夫じゃない」
「どうしてそう思うの? 移動はどうするの? 世界中の都市や観光地を模したエリアデータを実装したのよ。旅行するときに長距離を一瞬で移動できた方がいいでしょう」
「分かってないな。情緒というものが分かっていない。移動手段は現実と同じく飛行機や車だ。わざとらしくゆっくり移動した方が喜ばれるだろうね」
「何それ。移動中もコンテンツだって言いたいわけ? 私には全く理解できないわ」
「君は絶対に少数派だよ。管理者権限でワープができるようにしておくのはいいけど、一般開放は無理だ。それにそんな現実離れした要素はあまり受け入れてもらえない。これが僕の見解」
「うーん……それだと空港のデータもいるってこと? 今から仕様書作るから、アオ、グラフィックチームに投げておいて」
「はいはい」
イブはすらすらと新しいデータリストを積み上げて、すぐに僕のデバイスに転送してくる。
そのまま別のチームにも送ればいいのに、そうはしたくないらしい。
「君はどうしてそんなに頑張るの。移動手段とか興味がないんだよね。だったらどうでもいいんじゃない」
「何言ってるの。全人類がVR空間に入ったら、二度と現実に戻らないくていいようにする。そのためにはあの世界は楽園でないといけない。それが私の仕事で、願いでもある」
意外な言葉に心底感服した。
「君は優しいな」
「……そうでも、ないわ。むしろ逆よ」
動きを止めた彼女のか細い指が、力を失いデスクに落ちる。その仕草は彼女の口よりも雄弁に思えた。




