軽自動車
まばゆい朝陽の光がウロの内側に差し込み、まどろみながら目を覚ますと、フカフカとした毛並みがわたしの頬を撫でてきます。
「おはよう、私のタツロー。」
ミカさんがそっとわたしの耳元に語りかけてきます。
「おはよう、ミ…ぶぎゅ!」
わたしの返答にご不満なのでしょうか、返事の途中で、わたしの顔面に彼女の前足が乗かってきます。
「『おはようございます、お母さま!』でしょ?」
「…。」
恐らく不機嫌そうな顔をしたミカさんが、彼女の望む挨拶でわたしが答えてくることを待っている事でしょう。
…が、彼女の前足が邪魔をして、わたしは返事のしようがありません。
彼女の住まいにやって来て一週間が経ちました。
栄養状態が改善してきたのでしょうか?
ミカさんは、女性らしい肉付きもよく健康的なスタイルになってきました。
見れば見るほど惚れ惚れとする毛並み…。
なるほど、シェルティの毛並みというのは、かくも美しく、サラサラでフカフカなのですね。
毛並みも勿論なのですが、ミカさんの姿を改めて眺めてみますと、初めて出会った時のわびしそうな雰囲気も無ければ、滲み出る貧相な面影さえも微塵も見当たりません。
というわけで、見た目年齢的にも相当お若くなられて…おっと、これは女性に対しては言ってはいけない禁句の類でしたね。
とにかく、脱オバハン?を達成した彼女は、疲れたかぁちゃんという雰囲気から、見目麗しい高貴なお姉さまになってしまったのです。
「やっぱり、食事って大事ね。」
箱座りから、ゆっくりと起き上がるミカさん。
ようやく、彼女の前足がわたしの顔から離れてくれました。
「でしょ?」
起き抜けの第一声が、何とも間抜けなもので申し訳ないところです。
「栄養バランスは大切なんですよ。
体調が良くなるのは勿論ですし、見た目から毛艶やに至るまで、いろいろと影響しますからね。」
わたしの言葉に、すっかり身体の変化を実感しているミカさんが真顔で頷くのでした。
そんなわたしたちの食生活を養ってくれていたドッグフードたちも、そろそろ心もとない状況になっていました。
かと言って、わたしの狩りの腕前は上達する見込みが立ちません。
もともと、インドア派のワン子に狩りをさせるのが、無謀というものなのです。
さて、草原は今日も快晴です。
わたしたちが食料を求め、草原の散策をしていると、見慣れない銀色の古びた軽自動車が佇んでいます。
昨日は同じ場所で見た記憶がありませんので、昨晩から今朝方にかけて停められたのでしょう。
こんな大自然のど真ん中に奇妙な人工物が鎮座している風景は、何とも歪なものがあります。
軽自動車を遠巻きに眺めている二匹のワン子。
軽やかに風が頬をくすぐった刹那、不意に彼女が軽自動車のほうに向かって吠えだします。
「大変!
大変!」
慌てて彼女の方へ振り返るわたしに、軽自動車の方を見なさいと促してくるミカさん。
「どうしたの?」
改めて軽自動車を眺め、わたしは目を細めてみました。
すると黒衣を纏い、背中には黒い翼の見える少年が、黒い大鎌を携え、今まさに天から軽自動車の上へ降臨しているところでした。
「死んじゃう!
死んじゃう!」
軽自動車の雰囲気に不安を感じたわたしは、吠え続ける彼女を残し、軽自動車へ突進します。
軽自動車へ到着し、ボンネットに飛び乗って車内を覗くと、若い男女が眠ったようにうなだれています。
ボンネットの上で身体をジャンプさせてみますが、その振動に車内の反応は皆無…。
「これはまずい!」
一吠えして、わたしは地面に降り立ち、力任せに全身を運転席ドアにぶつけることにしました。
これでも、わたしは一応の中型犬!多少なりとも車が揺れれば、中の人が気付いてくれるかもしれません。
「待って!
待って!」
ミカさんも近くに走り寄ってきて、黒衣の少年に対して、執拗に吠えています。
恐らく黒衣の少年を思い留まらせようとしているのかもしれない…。
三度目の体当たりで、運転席側でモゾモゾと人の動く音が聞こえてきます。
どうやら、男性が目を覚ましてくれたようです。
車の周りで起こっている騒動でようやく目を覚ました男性が、運転席のドアを開き、フラツキながら降りてきました。
車内の女性の意識はまだ戻っていないようです。
男性の身体の隙間から車内を覗くと、女性の足元には七輪が…。
(!!)
一酸化炭素中毒の危険を察知し、男性の身体をすり抜け車内に飛び込むわたし。
七輪を蹴り倒し、火元を断つべく、おしっこをひっかけました。
「あ、こらっ!」
車内に飛び込んだわたしを見て、男性が大慌てで叫び、彼も車内に飛び込んできます。
わたしと男性が膝に乗った衝撃と、七輪が倒れたショックも重なり、女性も意識を取り戻します。
そして女性が足元を見ると、水浸しの七輪が倒れ、彼女の膝の上には奇妙なワン子と男性の上半身が鎮座しています。
「キャァ~~~!!」
七輪とおしっこ、そしてワン子に驚いた女性は、慌てて外に飛び出し、地べたにへたり込んでしまいました。
いつしか、ミカは吠えるのを止め、人間たちを警戒し始めています。
どうやら、黒衣の少年は立ち去ってくれたようです。
「もぉ、ズボンがベチャベチャ…。」
へたり込んだまま愚痴りだす女性。
男性は無口のまま、女性の傍に立っています。
ミカさんが人間たちを警戒しながら、わたしの傍にやって来ます。
「何?あいつら。」
不機嫌そうな彼女。
「自殺志願者…ですよ。」
「ジサツ??」
「ええ、自らの手で、自分を殺そうとしていたんです。」
「ああ…それで、死神さんが…。」
わたしが答えると、納得できたのでしょう、彼女も残念なモノを見る目になってしまいます。




