01---ギフテッド(1)
『この世界で、一体どれほどの人間がこの世の終わりについて考えたことがあるだろうか。地球が誕生してから―――』
テレビから流れる音。鳥の声。コーヒーの香り。
ピピ、と音が鳴って、コーヒーメーカーからカップを取り出した。それを璃玖の前、テーブルの上に置くと「さんきゅ」と笑みを向けられる。どうやら電子新聞を読んでいたらしい。ちらりと画面が見えたけれど、俺には到底理解できそうもない―――というか読めもしないような言語が並んでいた。
自社ブランドを中心に雑誌モデルをしている璃玖は、コンセプトに合わせて髪色を変えることが多々ある。今回も例に違わず、数日前に青い色に染めたばかりだ。似合わないとは言わないけれど、いつもの璃玖とは雰囲気が違ってなんだかこちらの方が落ち着かない。社長であり同居人である真紘さんもまた「璃玖っぽくない色味だね」と言っていたほどだ。
とはいえ、璃玖は顔が良い。スタイルもいい。ついでに言うと性格もいい。いや、最後に関しては全く関係のない話だけれど。兎に角、髪色が奇抜だろうが普段と違う雰囲気だろうが、それを上手く利用して自分の物にしてしまうのだから羨ましい気持ちと、自慢したい気持ちと。
璃玖と真紘さんと俺。会社を立ち上げてから約五年。それと同時にルームシェアも始めたから、今では『会社の同僚』以上の関係だと思っている。家族と言っても過言じゃないほどの人間がこんなにも優れているのだから、自慢したくなる気持ちも理解してほしい。
ピピ―、と今度は炊飯器の音が鳴った。どうやらご飯が炊けたらしい。三人分のご飯を盛り付けて、少し前に出来上がったスクランブルエッグとサラダも一緒にテーブルへと並べていく。ここに来るまではそこまで料理のスキルが無かったような俺が、まさか璃玖のためにドレッシングまで手作りするようになるなんて。過去の俺が知っても信じてもらえないだろう。
「璃玖、納豆もあるけど食べる?」
「んや、今はいいや。真紘さん食うんじゃねぇの?」
「いるって答えると思ったか?」
ぎろり、真紘さんの目が細められて、璃玖がけらけらと笑う。真紘さんの納豆嫌いなどもはや常識と化していて、俺も今更食べるかどうかなんて聞かなくなってしまった。真紘さん曰く、何か大切なものを守る時は食べる、らしい。もしもいつか『納豆を食べたらこいつの命を救ってやってもいいぜ?』なんていうコメディドラマさながらの相手に出くわしたら、俺や璃玖のために納豆を食べてくれるはずだ。多分。
「そんなに納豆を食べてほしいなら、夜はきのこパーティーにしてもらうけど?」
「残念ながら俺がキッチンに立つ限りきのこの提供はありません」
「だってさ」
肩を竦めて見せる真紘さんに、璃玖はまたしてもけらけらと笑った。
生憎、俺も璃玖もきのこは殆ど食べない。我慢して食べることはできるけれど、日々の食事で『我慢』なんて必要ないだろ、と璃玖に言われて以来、きのこの類は一切使わなくなってしまった。真紘さんには申し訳ないけれど、どうしてもきのこが食べたい時は外食してもらっている。
テレビを消し、いただきます、と三人揃って手を合わせた。会話をしながらゆっくりと過ごす朝の時間。朝から晩まで一緒に過ごしているはずなのに、何年経っても話が尽きない。そのくせ、スクランブルエッグにかけようと思ったケチャップは、言葉が無いままに俺の手元へと届けられるのだからおもしろい。少し前、仕事の関係者に「三人って熟年夫婦みたいですよね」なんて言われたのを思い出して、ふ、と笑みが零れた。
「そういえば、今年も『華』で特集雑誌出すって」
不意に思い出したのだろう。璃玖は手に持っていた箸を置いて、その代わりにマグカップへと手を伸ばした。
「……つーか、なんで俺コーヒー飲んでんだっけ?」
「知らないよ。璃玖が飲みたいって言ったから。今日米だよって言ったのに」
「あー……? まぁいっか」
コーヒーの話はさて置き。
俺たちの会社『華の小径』は、璃玖の親が経営している華吹グループの子会社。その仕事の半分は親会社である『華ーhanaー』のもので、モデルの仕事も『華』ブランドの服がメインになっている。今回の仕事はモデルとしてではなく、華吹グループの子会社としての仕事だ。
毎年恒例となっている『華の小径』の周年特集雑誌。一周年の時に璃玖のお母さんである真白さんが思い付きで作り―――我が子を溺愛する真白さんを誰も止められなかったらしい―――それが思いのほか売れてしまったのだ。それ以来、周年の度に特集雑誌を出すことになり、今年で五冊目。年々売り上げが伸び続け、璃玖のサイン入り雑誌にはプレミア価格が付けられているらしい。
正直、今まで庶民として生きてきた俺には眩しすぎる話だ。プレミア価格は調べないでおこう、と心に決めている。知ってしまったら俺の中で何かが崩れそうな気がするから。
雑誌の内容は一年間の活動内容や、活動時のちょっとした裏話。それから読者からの質問に答えるコーナーだとか、最近のおすすめアイテムだとか。ファンに向けた特別雑誌、というコンセプトの通り、世のオタクたちが騒ぎ立てるような『情報』が詰まっている。俺もオタク気質だから、こういう雑誌をファンが欲しがる気持ちはよく分かる。
とはいえ、雑誌で特集されるのは璃玖だけじゃない。真紘さんや俺も『華の小径』のメンバーである以上、璃玖と同じように記事にされるのだ。
「毎年思うけど、俺の特集ページとか要らなくない?」
「はぁ? 環さんファンがどれだけ増えてると思ってんだよ。俺のマネージャーとして仕事も出来るし、美味い料理作れるし、でもゲーム好きでオタクなところが親近感。って認知度も好感度もすげぇ上がってんだから」
「それ殆ど璃玖のせいだよね?」
「嘘吐いてねぇし」
元はと言えば、璃玖がインタビューで俺や真紘さんのことを褒めたのが原因だ。良いところは素直に褒める、という璃玖の性格の良さがこの現状を生み出してしまった。
俺は決してプロの料理人じゃない。料理が上手いと璃玖は言うけれど、自分では特別美味しいわけじゃないと思っている。強いて言えば、璃玖と真紘さんが美味しく食べられるように愛情をたっぷり注いでいるくらいで。仕事だって、俺よりもバリバリ働いている人間は五万といる。璃玖に褒めてもらえるのは嬉しいけれど、そこまで優れた人間じゃないのに。
それでも璃玖は自分の意見を曲げる気などさらさら無いようで「あとで雑誌の方のスケジュール確認すっから」と。真白さんの意見を誰も止められなかったように、璃玖の意見を止められる人間もここにはいない。同志であるはずの真紘さんも、一周年の時に「とっくに腹を括ってるから」と言っていた。五年経ってもごねている俺と、五年経っても折れない璃玖。真紘さんには想定の範囲内なのかもしれない。
「まぁ雑誌の件はいいとして、今週も来週もスケジュールぎっしりだけど大丈夫?」
問うて、ご飯を咀嚼しながら璃玖のスケジュールを頭の中に並べる。今日は『華』ブランドの新作撮影。明日は『華の小径』として新作を作るために朝から夜まで各所とミーティング。明後日はバラエティ番組の収録で、その後にショートドラマの撮影。その次の日はオフだけれど、新作のミーティングが長引いた場合はそこに入れることになっている。
来週からは短編ドラマの撮影に参加することになっていて、脇役だけれど一週間ちかく撮影することになると言われているのだ。本当は断るつもりの依頼だったけれど、璃玖の知り合いからの頼みだから仕方がなく。
「別に大丈夫だけど?」
「環、聞くだけ無駄だよ」
「ですよね……、」
「はぁ?」
何食わぬ顔で答える璃玖に、俺と真紘さんの溜息が重なった。俺たちがどれほど心配しても、璃玖に響く日は来ないのかもしれない。或いは全て分かった上で、尚、隠し事をやめないつもりなのだろうか。どちらにしても質が悪い。璃玖の一番厄介なところだ。
華吹璃玖という人間はプライドが高い。生きている環境や、生まれ持ったスキル、そして華吹という地位がそうさせてしまったのだろう。人に弱みを見せるのが極端に下手くそで、そのせいで何度も苦しんでいる璃玖を見てきた。
その気持ちを理解できないわけじゃない。俺を含め、誰だって人に弱みを見せるのは勇気がいるから。けれども璃玖のソレはあまりにも度が過ぎているのだ。頭脳も運動神経も美貌も持ち合わせているというのに、プライドという高い壁の前では何の役にも経たないらしい。俺と真紘さんの説教がその壁を打ち砕けないのと同じように。
華吹璃玖は体が弱い。
璃玖のこと、よく見ておいて。
朝食の片付けをしている最中、真紘さんが俺に小さく耳打ちをした。今日は真紘さんは別件の予定が入っていて、何時に帰ってこられるか分からないらしい。真紘さんが別件で呼ばれるのはよくあることだけれど、わざわざ俺にそう言うあたり『嫌な予感』がしているのだろう。何となく、俺もそう思う。これは一緒に過ごしてきた人間としての勘だ。
真紘さん曰く、璃玖が体調を崩す原因は主にストレスらしい。小学生の頃、行事が楽しみすぎて熱を出す子どもがクラスに一人は居た。璃玖はまさにそういうタイプなのだ。それが良いことだろうと悪いことだろうと関係ない。肝心なのは心にかかる負荷の方なのだとか。
この仕事が好きだという璃玖にとって『心に負担をかけない』なんてことは不可能。そこに華吹として避けて通れないような難解な仕事も加われば、喜怒哀楽のジェットコースターだけで簡単に体調を崩してしまう、と。更に、璃玖の素直で感受性豊かなところがそれに拍車をかけていると俺は思っている。
仕事や立場の都合で人と接することも多いから、どこかの誰かから菌を貰ってきてしまったり、他にも様々な理由で体調を崩すことがあるのだけれど。それにしても体調を崩すことが多すぎる。一気に熱が出て次の日にはけろりとしている、なんてのはまだ良い方で、先月は一週間近く寝込んでいたように思う。
「いつもの通り、自分から言い出すか、本当に無理そうになるまでは様子見で」
「わかりました」
小さく頷いて、何事もなかったかのように片付けを進めていく。時間の都合で先に家を出る真紘さんに「いってらっしゃい」と声を掛ければ、璃玖も同じように「いってらっしゃい」と紡いだ。今のところは大丈夫、のはず。
璃玖が寝込むことになる一番の原因は、そのプライドの高さ故に限界が来るまで黙ってやり過ごそうとすることだ。いつものように笑って、いつものように涼しい顔で仕事をして、誰もいない所でこっそり膝を抱えている。長いこと一緒にいる俺たちでも気付けないほどに嘘が上手いのだから、ドラマのキャストとして声がかかるのも頷ける。
今の俺にできることと言えば、全てが杞憂に終わるように祈ることくらいだ。
(260507)




