復讐者と魔女と困惑と
(どういうこと??)
目の前にいる少年を見てシルフィーは困惑した。
10歳を超えたか超えないかという年齢だろうか。軽装の皮鎧に、腰には小剣を佩はいている。薄い茶髪をした少年。もちろんシルフィーは彼を知っている。リッツ・コーナルル、しばらく前に自分を殺すためにこの村にやって来た少年だった。
彼が突然姿を消してから一週間ほど経つ。最後に見たリッツの後ろ姿から、シルフィーはすでにこの村を出たものだと思い込んでいた。そんな彼の帰還に驚き、困惑し、そしてほんの少しの喜びを感じていた。
そして最後に反省する。
(駄目ね……ダボンのこと少しだけ疑ってしまってたわ)
姿を消したリッツにひょっとしたらという思いを持っていてしまっていたことを彼女は恥じた。だから彼を応接間ではなく自室に招いたのも、彼女なりの覚悟の現れだった。
「それで今日はどうしたのかしら?」
隣にガランが立っていることも影響しているのだろう。幾分安心した様子でシルフィーは尋ねる。しかし返すリッツの言葉に、その表情はさらに困惑することとなった。
「分からない」
「え?」
「分からないけど、来た」
「???」
会話が嚙み合わない。慌ててガランの顔を見るとやはり「よく解らない」という顔をする。しかし代わりに出て来た答えはシルフィーにも理解の出来るものだった。
「コイツさ、村を出て行くんだよ」
「そうなの?」
「…………そうだ」
「そ、そうなのね」
「ああ……」
言葉が出てこない。
喜んでいいのだろうか?
シルフィー自身も良く解らない。
「コイツさ、もう姉ちゃんを狙わねぇってさ」
「そうなの?」
「そ、そんなこと……言ってなぃ」
「ん? さっき言ってなかったか?」
「それは…………」
リッツは押し黙る。これはもう態度で肯定しているようなものだ。だからこそシルフィーの困惑は加速する。
(え……これは、問題が……片付いたの?)
自分を仇と言うリッツが村を出て行く。言葉通りに受け取れば問題は解決したということだ。
だというのに――
(すっきりしないわね)
何故リッツが出て行くのか、その理由が解らない。
きっと誰かが何かをしたはずだ。
ガランが何かしたのかもしれないし、ダボンが何かしたのかもしれない。もちろんリッツが自発的に復讐を諦めたのかもしれない。だが少なくともシルフィー自身が何か出来たような実感がなかった。だからすっきりしない。
「どうして村を出る気になったのかしら?」
「分かんねぇよ」
「そ、そう……」
何を訊いても「分からない」その答えにシルフィーも眉を寄せるしかない。
とにかくすっきりしない。そこでシルフィーはふと数日前のことを思い出した。
彼女は数日前に根回しのために各集落へ向かうレンドに「自分がついて行く」と進言した。きっとレンドは自分の力だけでどうにかしたいという希望があっただろう。しかしそれでは効率が悪いとシルフィーは切り捨てたのだ。
(お兄様のことを笑えないわね)
あのときは内心で「してやったり」という気持ちがあったのだが、今は自分が同じ目に会っている。問題が解決したのはいいのだが、そこに自分の意思が介在していないせいで、すっきりしないし不安なのだ。
しかし問題が解決したのなら、それで納得しなければならない。少なくとも兄はそうしたのだ。だから彼女は飲み下す。
「そう、ならいいわ」
「……………………」
シルフィーもリッツもお互いを睨み合い沈黙する。それはごく短い間だったのだが、二人が納得し合っていないことは容易に想像がついた。だからこそ、ここで声を上げることが出来るのは一人しかいない。
「えっと……じゃあ、二人とももういいのか?」
ガランだ。
「私は……いいわ」
「僕も……いい」
「ふぅ~ん、じゃあいいか」
「あ……いや、待て、やっぱり、この女に一個だけ聞きたいことがある」
シルフィーと違い、幾分未練がましくリッツは言う。そんな様子にシルフィーは自分がほっとしていることに安堵しながら答えた。
「何かしら?」
「兄さんは……兄さんは何で死んだんだ」
「それは……」
それはある意味、彼女がもっとも望んでいた問いかけだった。
だからこそ断言した。
「私がディンに仕事を依頼したからよ」
「……本当にそう思っているのか?」
「え?」
「本当にそう思ってるのか? 兄さんを殺したのは王子様なんだろ? 王子様に勝てなかったから死んだんだろ? それだって本当は死ぬはずなくて、事故が起こったせいで死んだんだろ? 兄さんは……」
声は小さいものの血を吐くように言う。恐らくはシルフィーの知らぬところで様々な価値観に触れたのだろう。だからこそシルフィーは少し考えて言った。
「ガランちゃん」
「ん?」
「ゼベにお茶を持ってきて来るように言ってくれないかしら」
「へ? ゼベおばちゃんに?」
「そうよ、お願い。二人ぶんでいいから」
「あ? ああ……うん」
ガランは頷くとすぐにゼベの元へと向かう。戻って来たのはゼベ一人だ。彼女はいつもように流れるような所作でお茶を準備すると静かに一礼して部屋を出た。
「飲みなさい」
先に自分からカップに口をつけてシルフィーは言う。
今度はリッツが困惑する番だったのだが、何か意図が解るのかと思い勧めるままにカップに手を伸ばした。白いカップに金色の縁取りがされたカップを持ち上げると、下に敷いていた皿の中央には薔薇の花があしらわれている。折れそうなほどに細い持ち手の部分は、指をかけてみると意外と持ちやすい。唇をつけるとふくよかな香り。舌で熱さをギリギリ感じる温度は喉に到達することにはほどよい温度になり、口の中に爽やかな香りが残った。
「どうかしら?」
「うまい……」
「そう」
言いながらシルフィーは優雅な所作で一口つける。リッツもそれに倣い再びお茶を飲むと、先ほど同じく豊かな味と香りが口腔に流れこんだ。
「このお茶を淹れてくれたゼベなんだけど、彼女ね……たぶん私の事が嫌いなの」
「え?」
思わぬ方向からの発言にカップを取り落しそうになる。しかし彼女はそんなゼベがお茶を淹れてくれたカップを持ちながら語り続けた。
「もちろん、面と向かって言われたことなんてないわ。それどころか丁寧に接してくれる」
「あ、ああ……?」
「彼女はもともとこの村の人間じゃないのよ。詳しくは知らないけど昔は貴族の元で働いていたみたいね。多分ルナ家に連なる家だったんだと思うわ。でもきっと良い扱いはされなかったんでしょうね」
「ああ……?」
「まぁ、それに私も実はこの村に来たばかりの頃は苛々していて、そのせいで彼女に嫌なところを見せちゃったのよ。今にして思えば、あれも良くなかったんでしょうね」
「……??」
「だけど、私にはちゃんと美味しいお茶を淹れてくれるわ」
「???」
「彼女はプロだから」
「!」
その一言に弾かれたようにカップとシルフィーの顔を見比べた。
「私は自分の目的のためにディンに傭兵として仕事を依頼したわ。その報酬には保証金ももちろん含まれているの」
「それは……」
未だに持ち続けている兄が死んだ際に傭兵団の隊長から渡された、腰に下げた荷物中に入った金貨の袋。それがずしりを重みをました気がした。
「貴方からすればあまり意味はないかもしれないけど、報酬を支払うことが私の責任だし義務だから……だから彼の死に対しても責任を負うわ」
腰に下げた袋が重い。あのとき何故、隊長は自分にこの袋を渡したのだろう。どうしてディンの名を「もう口にするな」と言ったのだろう。どうして兄の遺体が犯罪者ではなく、戦没者として扱われていたのだろう。リッツにはあまりにも考えることが多すぎた。
「それでも……僕はお前が嫌いだ」
だが何とかその言葉だけは搾りだした。
「構わないわ」
「だけど……」
「?」
「だけど、兄さんが何故死んだのかが分かったら、またこの村に来るかもしれない」
「そう、そのときはまた一緒にお茶を飲めるといいわね」
「…………」
リッツはフンと鼻を鳴らし席を立つ。
これでこの話はおしまいだ。贖罪も断罪もないまま、あのときの忌まわしい思い出にひとつの決着がついたのだ。
部屋の外から物音が聞こえたのは、その時だった。




