西の戦士長ザガ
西の集落はマンバナ村で最も危険な場所だ。そこからさらに西を仰げば魔物の巣窟である大山脈がある。人間の匂いにつられた魔物たちが集落に向かい押し寄せ、毎日のように狩りが行われる。本来なら貴人が訪れるような場所ではない。疲れを知らぬゴーレム馬に引かれた馬車は徒歩よりもはるかに早いものの、御者から西の集落が見えたことを伝えられレンドは胸を撫でおろした。
「やれやれ、ようやくか。シルフィーは何度か来ているんだろ?」
「ええ、ダボンと一緒に二度ほど」
「そうか。凄いな」
これまでの道中を思い出しレンドの顔色が青くなる。ダボンの屋敷がある中の集落から丸一日。幾度となく魔物に襲われたのだ。もちろんレンドも精鋭を護衛として連れてきてくるのだが、彼らの出番はほとんどない。ダボンから借り受けたマンバナ村の戦士達が難なくそれを片付けていくのだ。ダボンに遠く及ばないものの十分に強い。護衛につれて来た青牙騎士団と遜色のない実力者達だった。
「ここもまた王国の一部なのだね」
随分と輪郭のくっきりと見えるようになった大山脈を見て呟く。
「この一日で随分と度胸がついてきたよ。しかしこんなに近くで見たのは初めてだが、やはり魔物というのは恐ろしいね。こんな危険なところで戦っているマンバナ村の戦士達に改めて敬意を払いたくなってきたよ」
「そうですか。よろしければ西の集落の戦士達にも伝えてあげてください」
「もちろんだとも」
欺瞞抜きで応える。ルナ家の嫡男として高度な教育を受け、成人してからは海千山千の社交界を渡って来た身だが、ここ数日でずいぶんと世間が広がって気がする。
(父もこういう景色を見たのかもしれないな……)
かつて幼いダボンが戦う姿を見た父のことを考える。レンドはかつて荒くれ者の辺境の戦士達と交渉し、大氾濫を治めて見せた。もちろん元々はマンバナ村の方から援軍の申し出があったことは知っている。その後に手厚い援助を行い、そのためにどれだけの金額が費やされたのかも知っている。
(書面や数字の上では知っている。僕が知りたいのは、その外にあることだ)
西の集落の入り口をくぐり中へと迎えられる。レンドは西の集落の入り口にある広場を見渡した。同じマンバナ村である中の集落と違い、その容貌は砦のようだった。中の集落の周辺には畑が広がっているが、西の集落は全て平原だ。その中にぽつんと集落がある。周囲はぐるりと塀で囲まれていた。杭で組まれた身長よりも高い頑強な塀だ。
背後の入口はすでに閉じられている。その事実にレンドは深く安堵し、茜色に染まった空を見上げてから苦笑した。そうしてシルフィーを見て「さぁ、案内を頼むよ」そう言おうとした時だ。
「シルフィー様っ!」
太い声とともに一人の男が現れた。ダボンにも劣らぬ体躯を誇り、右腕が左腕に比べて異様に太い異形の男だ。
武人でないレンドであるが、一目で理解した。
(なるほど、この男がザガか)
ダボンに次ぐ実力者ということだが、その佇まいが明らかに周囲の戦士達と違う。大きく、分厚く、太い。そういった印象の男だった。そんな益荒男が驚いた顔でシルフィーに駆け寄ってくる。
「急にやってくるなんざ、何かありましたかい?」
「ええ、急に来てごめんなさい。どうしても会わせたい人がいたのよ」
「会わせたい? ひょっとしてこちらの御仁ですかい?」
「ええ」
シルフィーに促されレンドは名乗る。するとザガは居住まいを正して頭を下げた。
「ルナの若様でしたか。こいつは失礼を」
「いや、急に来たのはこちらだからね」
「この時期に来たということは竜がらみの話ですかい?」
「まぁ、そんなところだ。ダボンから話を聞いて、ぜひ一度会っておきたくなったんだよ」
「俺に?」
「ああ、キミに重要な仕事を任せたい。6日後にダボンの元に来ることは知っていたが、それより先にキミに会っていた方がいいと助言されてね」
「……ああ、なるほど。ダダンさんかグンガのヤツがゴネてるんですね」
短いやり取りの中で見事に要点を言い当てる。そんな察しの良さに感心する。噂の通り優秀な男のようだった。
(村の有力者。この男からも協力を取り付けないとな)
この村に来た表向きの目的は竜王狩りのためだが、レンドの本当の目的はその後だ。
竜王は強い。だが倒せない相手ではない。勝つことが前提だ。彼にとって本当に大切なのはその後であり、そのための根回しなのだ。
すでに日は落ちかけているので、今日中に中の集落に戻ることは難しい。レンドとシルフィーが案内されたのは城であるなら本丸と言ったところだろう。集落の中央にある一番大きな家だった。
「あまり人を迎えられるような所じゃないんですがね」
「構わないよ。ここが最前線基地だということはシルフィーからも聞いている。それにこれも良い経験だ」
「そう言っていただけると助かりますね」
ザガは太い笑みを浮かべる。しかしその笑みがあるものを見た途端に苦々しい笑みに変わった。視線の先には人だかりだ。全員が男性で、それが大勢集まっているのだからむさ苦しい。そんな男どもがシルフィーの顔を見た途端に熱狂した。レンドはそれを見て少し驚くのだが、当の彼女自身は慌てる素振りもなくニコリとほほ笑み軽く手を振る。
男どもは奇声を上げて熱狂した。
「まったく馬鹿野郎どもが……おい、お前ら。シルフィー様や若様の前で情けない真似をするんじゃねえっ!!」
ザガはため息を吐くと、大声を上げて集まった戦士達を追い散らした。
「コイツはとんだ失礼を」
「いや、構わない。ああいうのも懐かしいな。何だか学園時代を思い出したよ」
自分もかつて通っていた王都の学園を思い出す。レンドもそこで派閥作りや根回しの仕方を学んだ。そうして培った人脈は今でも彼を助けてくれている。あの時の自分も遠巻きに見る支持者に向かって、ああして手を振ったものだった。
(辺境とはいえ、我が妹は良くやっているようだね)
『学園』という言葉に一瞬だけ露骨に嫌そうな顔をしたシルフィーを見て、レンドは改めて自分の仕事を思い出した。
その後、ささやかながら酒宴が開かれ、振舞われた温い粟酒の器を傾けた。ダダンの件があって、ルナ家の人間が厭われているのかとも思ったが、集落の様子は思った以上にレンドに好意的だった。それは単に自分が四大貴族であるルナ家の嫡男だからというだけではない。
(これも聖女様の威光ということか)
本人が聞けば嫌悪感を露わにするのもちろん口にはしない。先ほどの熱烈な歓迎を見た通り、マンバナ村の聖女の雷鳴は絶大だ。集落に入ってから少し歩いただけであるが、ここには女性がほとんどいない。そんな中で戦士を癒す聖女が訪れる。しかも大輪の薔薇のような美女。それだけでもう大いに喜ばれるだろう。
国の中央に出入りする身としては今のシルフィーの立ち振る舞いは隙が多い。歩き方も少々ガサツになっているし、言葉選びもからも雅さが薄れているし、何よりも素直過ぎる。だが問題ない。もはや中央で生きれぬ身であれど、今の彼女はの田舎の村の女王なのだ。
「何でしょうか?」
「いや、何でもないよ。改めて良い仕事をしてくれていると思っただけさ。大したものだ」
「え?」
率直な物言いにシルフィーは目を丸くする。幼い頃から優秀だったシルフィーだが、母以外からはあまり褒められたことがない。父や次兄であるミルムからは特にそうだし、物腰の柔らかい長兄のレンドにもだ。
「あ、ありがとうございます」
だからこそ驚き、思わず頬を緩めてしまう。そんな妹を見てレンドはもう一度褒めながらも考える。
(やはり素直過ぎるか……だが、今の彼女にはこの方がいいみたいだね)
これまで可愛がるつもりで色々とちょっかいをかけて来たつもりだったが、もう試したり、考えさせたりする必要もないだろう。そう判断した。そうしてこの砦の主である異形の巨漢に目を向けた。怪我でもしたのかザガの背は少しだが歪に曲がっている。もしもまっすぐに伸ばせばダボンよりも背が高いのかもしれない。
(ダボンが手本にしている男だということだが、少し聞いていた印象が違うな。本人もあまり上手に真似出来ていないと言っていたが……)
レンドから見てどこか陰湿な印象のあるダボンと違い、ザガは豪放磊落な男だった。言葉は分かりやすく、堂々とした態度で周囲を安心させる。戦士達からも慕われていることは西の集落に入ってからの短いやり取りからも見て取れた。
「しかしマンバナ村の戦士達の力は想像以上だね。我が青牙騎士団の騎士たちと比べても遜色ない。彼らによってルナ領が守られていたのかと、改めて畏敬の念が湧いてくるよ」
「いえ、魔物を狩るのが俺たちの仕事なんで」
「そうは言っても、今回の作戦にはザガ殿の協力が最も必要となるだろうからね。自慢の右腕にも期待しているよ」
「そいつはお任せを。喧嘩じゃもう勝てないが、腕相撲ならまだまだダボンにだって張り合える自慢の右腕なんで」
腕を曲げると二の腕が盛り上がり見事な力こぶが浮かび出る。ダボンからの策を伝えた際にザガは二つ返事で引き受けた。もちろん形式上はダボンの家来なのだから断るはずもないのだが、快く受けてくれるのと嫌々やるのでは意味合いが違う。戦力的にも指揮系統的にも村のナンバー2であるザガが協力してるのであれば、狩りはより容易いものとなるのだ。
「噂通りザガ殿は辺境の傑士だね」
「偉い褒めようですね。ケツが痒くなりそうだ」
「そんなことはないよ。ダボンもキミを見本にしていると言っていたしね」
「俺が見本ですかい?」
「ああ、本人がそう言っていたよ」
「そいつは随分と嬉しい話ですね。グダンダさんに恩返しが出来たってもんだ」
「グダンダというと、2年前に亡くなったというダボンの父君のことかい?」
「ええ、先代は俺の兄貴分だったんですがね、ダボンがまだチビのときに面倒を見るように色々と頼まれたんですよ。俺も昔はごんたくれだったんですが、アイツが変な真似をしないように、俺も随分と言動に気をつけるようになったもんです。そういう意味じゃあ、ダボンが俺の先生みたいなもんですね」
「なるほど、ダボンの父君も優秀な方だったんだね」
「ええ、面倒見のいい人でしたね。あの人のおかげでちっとは大人になれましたよ……まぁ、本当はもっと適任がいたんだろうけど、アイツはガキの時から馬鹿力でね。俺以外のヤツじゃあ、ほとんど敵わなかったんで」
「ああ、そうだろうね……」
以前ダボンが闘技場で赤鱗騎士団を蹂躙した姿を思い出し、レンドの表情が強張る。その様子を見てザガは苦笑した。
「若様もダボンの暴れてるとこを見たんでしたか?」
「ああ、見たよ。あれは本当に心胆寒からしめたね。信じられないような強さだった。言っては何だが、彼は身体は大きいくせにそんなに強そうに見えないからね」
「ああ、そういや、そうですね。最近は外から来る連中が多いんで思い出しましたが、俺たちはもう慣れちまってるんで、すっかり忘れてしまってました。度を越えて強すぎると、ああいう風になっちまうんでしょうね」
「どういうことだい?」
「簡単な理屈ですよ」
ザガは語る。ダボンは構える必要がないのだ。
圧倒的に知覚速度が速いので先手を取られても余裕で対応できる。
圧倒的に速度が速いのでそれどころか先手を取り返すことさえも出来る。
圧倒的に力が強いので万が一先手を取られても簡単に潰すことが出来る。
そもそも圧倒的に硬いので先手を取られても攻撃が通らない。
「身構えたり警戒する必要がないから、傍目にはぼ~っとしてるように見えるんですわ。外から来た連中は武術を極めた達人なら自然体で構えていられるなんていいますが、そんなのは結局凡人の域だ。本当に強いヤツは構えなんてそもそもいらねえってことです」
「なるほどね……」
擬態という訳でもないだろう。命を賭けた戦いの場で弱者を装うなど意味がない。ただ「強すぎて弱く見える」という現象が自分たちの価値観や概念に存在しないだけなのだ。
「そういや、若様。竜王狩りに関して、ひとつ提案があるんですが」
「何だい?」
「傭兵を雇ってみるつもりはありませんかい?」




