騎士と怪物と人間と
通信用の魔道具を使い連絡がつながったのは、その日の夜のことだった。普段は鏡のような盤面には口ひげを蓄えた黒髪の男が映っている。夜もそろそろふけようという時間でありながら、ルナ家の当主であり、シルフィーの父であるザカード・ルナは妙に上機嫌でダボンに応えた。
「なるほど竜王か」
「はい、まだ確定というわけではないのですが」
「ふむ、さすがはダボンだ。色々と事件の方から寄って来るな」
その表情を見ながら、ダボンの隣に立つシルフィーは形の良い眉を寄せる。彼女の思い出の中にある父は厳格な男でいつも気難しい顔をしていた。だというのに、ダボンを前にすると大抵上機嫌な顔をしているのだ。
(仲が良いのは善いことなんだけど)
色の鈍い盤面に映った父の表情と、隣に立つダボンの丸顔を見比べる。ザカードはダボンのことを気に入っているのは間違いない。
圧倒的なダボンの戦闘力。それをチラつかせることでルナ家は当面の危機をしのぐことが出来た。ダボンの手綱を握るようにシルフィー自身も父から言いつけられている。
「それで対処なのですが――」
竜王という危機に対してダボンとザカードは議論を重ねる。鏡面を挟んで会話する二人の仲は良好に見えた。
◇
「しばらくは様子見ね」
「ええ、まだ本当に竜王なのかも分かりませんから」
ダボンも同意する。
盤面に映っていたザカードの顔が消え、通信魔道具はもとのくすんだ鏡のような姿を取り戻していた。引っくり返して裏面を見れば先ほどまで紫色だった石が石炭のような黒いものに変化している。ここからは確認する手段はないが、ルナの都からマンバナ村までいくつも点在する中継地点の魔道具も同じようになっているだろう。
そうして高価な通信魔導具まで使ったザカードとの話し合いで決まったことはごくごくありふれた結論だった。つまり、まず空を飛ぶ巨大な魔物の正体を探るためマンバナ村から斥候の部隊を編成し大山脈に向かう。その間にルナ家は竜王に関する文献を漁り対策を練る。
「竜王か……攻城兵器も必要になるのかしら? バンの話だと前に竜王を倒したときは、ルナ家の助力はなかったようだけど?」
「以前はどうしたのかわかりませんが、借りれるのなら借りた方がいいでしょう。楽に勝てるに越したことはありません。魔法使いを沢山呼んでもらえると助かりますね。空を飛ぶ敵を撃ち落とすなら、投石や矢よりも魔法の方が楽そうです」
「そ、そうかしら……?」
かつて見たダボンの戦いを思い出す。
投石。
文字通り、ただ石を投げるだけ。
しかしターノス家が誇る赤鱗騎士団を蹂躙したダボンの投げた石の威力は桁違いの威力だった。あれは明らかに下手な魔法よりも殺傷力が上のはずだ。
「数を揃えることに意味があるんですよ」
「数ね……そういえば貴方は以前も数について言及していたわね。確か『武術を研鑽するよりも、数を揃えて囲んだ方が確実だ』だったかしら?」
「ええ。この世の中で最も強い力ですから」
「間違ってはいないでしょうけど貴方が言っても説得力がないわね」
「そうでしょうか?」
「そうよ」
シルフィーは苦笑した。ダボンの言うことは確かに間違ってはいない。より沢山のお金を持っている方が、より広い土地を治めている方が、より多くの兵を扱える方が、強いに決まっている。しかしそれを彼が口にすると途端に滑稽に聞こえてしまう。何しろ目の前にいる樽のような体型をした大男はたった一人で騎士団を壊滅させることが出来るからだ。
「何にしても慎重な所は貴方の良い所だけど、あまり弱気なことは言わないで。それに昔、私に言ってくれたじゃないの。ひょっとしてお忘れかしら?」
それは出会ったばかりの頃「シルフィーの為なら大きな竜も倒してみせる」と言ってのけたことだ。当然のように覚えていたダボンは顔を赤くして即答した。
「もちろん覚えています」
「なら、よろしい。頼りにしてるわよ、私の騎士様」
シルフィーは黒薔薇が咲くように微笑む。それを見てダボンは少し考えてから慣れない仕草で膝を折って騎士の礼を取った。
「い……一命に変えて、あなたをお守りします」
それは彼の愛読書である白薔薇の騎士のワンシーンの再現だ。実のところシルフィーはこの小説があまり好きではないのだが、それでも悪い気はしなかったのか艶然とした仕草で右手を差し出した。
「いいわ、なら私を守ることを許してあげる」
「ありがたき幸せ」
本の中のお姫様ははにかみながら「ありがとう」と言って騎士の名を呼ぶのだが、シルフィーがやるとどうにも路線が違う。しかしダボンにとっては理想のお姫様を守れることに違いはない。歓喜に身を震わせたまま、ダボンは彼女の手の甲にダボンはキスをした。
◇
そうして通信が回復するまでの4日間、大きな事件が起きることもなく日常が過ぎていった。大きな影や地響きのような咆哮が聞こえることもなく、シルフィーは子ども達に勉強を教えつつ、バンと一緒にダボンの執務を手伝った。
通信が回復したことを確認したとき、ダボンも一息ついたのだろう。シルフィーに「外出しないか?」と切り出したのは、そんな時だった。
「なかなか進展しないわね」
屋敷から村の広場へと続く道を二人は歩く。王都やルナの都にいたときは侍従も連れずに外を歩くことなど考えたこともなかったが、田舎暮らしが続けばさすがに慣れる。
シルフィーが手に持つのは串に刺さった肉だ。ダボンとはこうして時おり散歩するのだが、屋台で売っている串肉を食べながらというのが彼女のお気に入りだった。最近ではすっかり食べなれたのかシルフィーは串に刺さった肉を一つずつ口に運ぶ。歩きながら食べるなどお世辞にも上品な行為ではないが、小さな口で器用に食べ、口元を手で隠したりする姿には不思議と気品が見て取れた。身に着けている物も近頃は簡素な服が多いのだが、それでも所作や仕草のおかげか良家の令嬢であることは察して余りあるものだった。
ダボンはシルフィーが唇についたソースをちろりと舐めるのを見て、その唇と舌の赤さにダボンはドキリとする。その後、それを誤魔化すように咳払いして言った。
「正直、このまま何も見つからない方がいいんですけどね」
「そう? 竜王がいるのか、いないのか。ハッキリさせておいた方がいいと思うけど」
「それを言うなら、西の大山脈をくまなく探せばどこかにはいますよ」
人外の領域たる大山脈。そこを探せば老成した竜の一体や二体見つかるだろう。問題は、その竜王が人里にまで下りてきているのか。それが重要なのだ。
「逆にいないものを証明する方法はありません」
「お父様はそうは考えていないでしょうけど」
「でしょうね。バン爺さんの話だと大きな魔石が採れるみたいですから、きっと欲しいんだと思いますよ」
「そうね……」
ダボンの言葉にシルフィーは押し黙る。
自分のせいで多額の負債を負ってしまったルナ家には金が要る。かと言って、そのツケをマンバナ村やダボンに支払わせるのは気が引けた。もちろんマンバナ村はルナ領の一部であり、ダボンも今やルナ家の一員だが、それでもだ。
周囲を見れば広場では市が開かれていた。初めてダボンに村を紹介されたとき、店など串肉を売っている食料品兼雑貨屋の屋台ぐらいのものだったのだが、王都での一見以来明らかに外部からの人の出入りが増えている。大半はルナ家の交易団だが、中には王都の有力な商会や、その護衛。中には傭兵崩れのならず者が混じっているようだった。その中にはまだ年端のいかない少年の姿もあり、シルフィーはため息を吐く。もともと訳ありの人間が流れ着く辺境の村ではあったのだが、その数は数か月前にシルフィーが来てから明らかに増えていた。
「魔石は全てルナ家を通してしか取引できないのに」
「少しでも利益になると感じたら動くのが商人でしょうから。ですが物資の供給が増えるのは助かります。ルナ家との関係性を考えると悩ましいところではありますが……」
マンバナ村は長年、ルナ家の援助の元に成り立っていた。食料、薬、布、その他諸々だ。とはいえ一方的な関係ではなく、マンバナ村は大山脈から発生し続ける魔物を狩ることでルナ領の治安を安定させ、採った魔石をルナ家の供給する。それが長年のルナの繁栄に繋がっていた。だがそこでマンバナ村がルナ家以外の勢力とつながり物資の供給手段を得てしまうと、少々ややこしいことになる。
ルナ家に対して二心あり。
そう判断されれば村の統治にも差支えが起きる。
「正直、人の流入を制限しようかと本気で考えていました」
「以前も言ったけど、それはやり過ぎよ」
「そうですね。ですからシルフィーが文官をよこしてくれるようルナ家に掛け合ってくれたので助かりました。それに人が増えたせいでこれまでになかった収入が増えて、どうやって税をかければいいのか途方にくれていましたから」
「バンも四苦八苦してたものね」
「ええ、せっかくガランのヤツが勉強に熱心になってきたのに、また勉強嫌いになったらどうしようかと思いました」
「最近はそんなことはないわよ」
「そうですね。最近は……そんなことはありませんね。だから、どちらかと言うと今、問題なのは他の連中です」
もう一度、傭兵崩れに視線を向ける。彼らは端的に言うと密漁に来ていた。マンバナ村はルナ領の一部であり、その周辺に出没する魔物を狩ることは禁止されていた。だがそこから更に西の奥に進んだ先、大山脈は話が別だ。あの場所はランディール王国自身が国外だと認めており、ルナ領もそれに倣っている。つまりそこまで行けば魔石もお咎めなしで獲り放題ということだ。
「もちろん大山脈まで行ければですが……」
ダボンは困ったように頭を掻く。彼らのほとんどは大山脈まで行かずに魔物狩りをしているはずだ。つまりルナ領の勢力圏内でだ。それでもダボンは彼らを黙認している。何故ならマンバナ村より先にはもはや人里はなく、この村が最後の補給地である。ダボンは彼らに食料や水を高額で販売しているのだ。
「水や食料と違って。魔物や魔石は採ればなくなる資源じゃありませんからね。実際問題として好きにさせてもあまり問題はないんです。それに彼らの半分は途中で力尽きます」
魔物は自動的に沸いては増える災害だ。200年間魔物と戦い続けているマンバナ村の戦士達も、彼らとの戦い方や弱点は研究していても、その詳しい生態は解っていない。
そして外部では力自慢、腕自慢なのかもしれない連中も、大山脈から降りて来る魔物にはうまく対応出来ないのか、大抵は力及ばず屍を晒すはめになっていた。壊滅した彼らのキャンプ跡地からまとめて採れる魔石はマンバナ村のちょっとした臨時収入にもなっているのだ。だからダボンにとって彼らは問題ではない。
「どの道マンバナ村には実害はありません。もちろん魔石の供給バランスが崩れて問題が出るようでしたら、それなりの対処はしますが、幸い僕の代になってからは、そういった事態はありません。だから――」
「ダボン?」
訝んでシルフィーがダボンの視線を追うと、傭兵の一団から四人の男が自分達のもとに近づいてくる。それを見てダボンはため息をついた。彼らの目的に見当がついていたからだ。
腰に剣を佩いた四人の男。それぞれが見事な体躯の持ち主だった。
真ん中の男が口を開く。
「アンタがダボンさんだな?」
「ええ、そうです」
「そうかい。俺はナロク流剣術のレグウェイ。アンタが王国で一番強い、って聞いてな。一手手合わせ願いたいんだ」
同門なのか、それともたまたま道中で知り合ったのか、傭兵崩れの四人の顔を見比べると意見は同じらしい。その申し出にダボンは心の中で「またか」と呟いた。
あの一件以来、この手の手合いが多くなった。だからダボンはいつものように対応する。
「ええ、構いませんよ」
あっさりと了承する。
そしてすぐにレグウェイの言葉を遮った。
「そうか、なら――」
「その代わり、まず兵舎に行って説明を受けて下さい」
「説明?」
「ええ、そこで――」
「騙されるな!」
今度はダボンの声が遮られた。それをなしたのは後から現れた包帯を頭に巻いた五人目の男だ。その男は再び「騙されるな!」と叫び、ダボンの前に立ちはだかった。
「みんな騙されるな。そいつは立ち合いなんてするつもりはない」
口角泡を飛ばしながら男は言う。
「そいつはただの守銭奴だ。俺は昨日そいつに言われて兵舎に行った。そうしたら金を要求されて、この様だ!」
ナロク……皆さん覚えておいででしょうか? 第一章の決闘シーンでダボンに最初にボコられたセイン・ナロク(ネミッサの彼氏です)の実家です。剣術にやたらとプライドを持っていた彼ですが、彼の家は剣術のデカい派閥の一族なのです。
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