竜と領主と悪役令嬢と
かつてマンバナ村の領主の館とは、館とは名ばかりの周囲よりも大きいだけの家だった。だが王都から戻ったダボン達にはルナ家から多くの職人が随伴し、またたく間に屋敷を建てて帰って行った。そこには館と言っても恥ずかしくない建物が立っている。もちろん田舎の村故に不相応に大きなものではない。ダボン達の部屋に食堂、執務室、応接間、客間など、横に広い二階建ての建物だ。離れには使用人のための部屋もある。
そんな真新しい執務室でダボンは難しい顔をして鼻を鳴らす。その原因は今しがた西の集落から来た知らせだ。辺境にあるマンバナ村は四つの集落から成り立っている。目の前にいる戦士は、その中でも最も西にある、つまり魔獣の巣窟と言われる大山脈に最も近い集落からやって来た。
「地響きのような咆哮、空を飛ぶ大きな影か」
「おう、そうだ。そうとう距離があるのに、はっきりと目に見ることが出来たから、近づけばもっともっとデカいはずだ」
簡素な服に身を包んだ男の胸には紫色の首飾りがつけられていた。ダボンに負けぬほどの大柄で、右腕が左腕と比べて不釣り合いに太い。名はザガと言い、西の集落の戦士長を務めている男だった。
「他にも見た者はいるのかな?」
「ああ、哨戒に出た戦士達が何人かだ。鳴き声だけなら俺も聞いたぜ」
「そうか……面倒そうだなぁ」
「まぁ、そんときは俺の弓に任せな」
「分かった。そのときはザガに頼むよ」
ザガは豪快に笑い、それにつられるようにダボンも相好を崩す。マンバナ村で一番の弓の使い手であるザガはダボンの兄貴分でもあるのだ。
その後にダボンはいくつか質問してから「そうか」と呟くと、ザガを労い下がらせた。
執務室に残るのはダボンの他には二人。その内の一人。黒髪の美女がダボンに問いかけた。ダボンの妻になる予定の、対外的にはすでに妻として認識されているシルフィー・ルナだ。
「大きな魔物が出たのよね?」
「そうみたいですね。それにしても空を飛ぶ魔物か……厄介だな」
「ダボンでも勝てないの?」
糸のように細い目をさらに細めたダボンを見てシルフィーは驚いた。王都でのダボンの強さを目の当たりにした彼女にとって、ダボンが勝てない相手など想像が出来なかったからだ。
(まさか本当に嫌な予感が当たるなんて……)
馬鹿なことを口にしてしまったと不安になるシルフィーであるが、そんな彼女にダボンは至極あっさりと答えた。
「いえ? 勝てますが?」
「そ……そうなのね」
安堵とともに拍子抜けする。するとダボンは苦笑しながら答えた。
「はい、もちろんです。ああ、厄介だと言ったのは、空を飛ぶ魔物はその前に撃ち落とす必要があるので、それが厄介だと言ったんです。大きさにもよりますが、空を飛ぶ魔物は一撃で落とせないと逃げられることが多いんです。ただ……今回の魔物は特に大きいようだから、それが気になると言えば気になりますね」
ダボンは頭の中で魔物を狩るための算段をつけているのか、丸太のように太い腕を組んで考え込む。
その時シルフィーは部屋の中にいたもう一人。マンバナ村領主家の家令であるバンが神妙な顔をしていることに気がついた。
「バン、どうかしたの?」
「ああ、いえ……少し気になることが」
「気になること」
「はい。先ほどの“地響きのような咆哮”という言葉なのですが……」
「ずいぶん大きな魔物なんでしょうね」
シルフィーの相槌にバンは「恐らくは」と首肯する。その後、彼の口から出てきた言葉は彼女にとって考えてもいない言葉だった。
「ひょっとしたら竜王かもしれません」
「竜王?」
鸚鵡返しに問い返す。竜は魔物の中で最も強い種族だ。その中でも特に強力な個体を竜王は呼ばれていた。滅多に現れることはなく、現れれば災害をもたらす。おとぎ話に出てくるような怪物だ。
聞けばバン自身は知らないが、その祖父の代に竜王が現れ、当時の戦士達がそれを退治したことがあるらしい。
「そういえばお兄様に聞いたことがあるわね。80年近く前の話だったと思うけど、どんな様子だったのかしら?」
「さすがに詳しくは伝わっていませんが、祖父の話では大きな魔石が採れて、ルナ家から旨い酒をもらったと言っていましたから、ひょっとしたらルナ家には何か記録が残っているかもしれません」
「そうね……なら、連絡を取った方がいいのかもしれないわ」
ダボンの前にある執務机に視線を向ける。その引き出しの中には通信用の魔道具が納められている。ダボンがルナ家の一員に迎えられた際に当主であるザカードから渡されたものだ。これまではマンバナ村からルナの都までは馬車で1週間かかっていたのだが、有事の際に連絡が取れるようにとの配慮だった。そんな通信魔道具であるが、ダボンは存外に難色を示した。
「連絡をとるのには賛成です。しかしまだ竜王と決まった訳ではありませんから、連絡はもう少し調べてからでもいいのでは?」
「まだ早いって言うの?」
「はい。相談するにしても、もう少し具体性がないと話もしにくいでしょうし、何よりも魔石の消耗の問題もあります」
「それは……そうだけど」
シルフィーは押し黙る。しかしダボンの意見はもっともだった。便利な通信魔道具ではあるが、いくつも中継地点を置かなければならない上に、魔石の消耗が激しく、一度使えば入れ替える必要がある。もちろんマンバナ村は魔石の産地であるので魔石に問題はない。問題なのは中継地点だ。この中継地点には中継するための魔道具が置いてあり、使うたびに新しい魔石を補充しなければならないのだ。その手間を考えれば、確かに使うのは時期が早い気もする。
「バンはどう思うの?」
助けを求めるように視線をバンに向ける。しかし当の老家令も自信なさげに首を振るばかりだった。
「ワシも竜王のことは祖父から聞いただけですので、確かなことは何とも……」
「そう」
シルフィーとてダボンの言葉が正しいことを理解しているのだが、何と無しに嫌な予感がする。しかし直感よりも理性を重視するダボンの前で「何となく嫌な予感がするから」というのは、どうにも憚られた。
(私だって、ダボンが負けるとは思っていないけど……)
シルフィーもダボンの強さは疑っていない。しかし彼女には「絶対に大丈夫」と万全を敷いたはずの布陣を、不運と偶然によって何度も打ち破られたという苦い経験がある。その時見た恐ろしい少女の影を思い出し、シルフィー無意識に自分の両肘を抱く。
「どうかしましたか?」
「な、何でもないわ……」
「そうですか?」
ダボンは訝んで首を傾げる。そうしてシルフィーの真似をした訳ではないだろうが、太い腕を組み直し、団子鼻から太い息を漏らした。
「そうですね。じゃあ、こうしましょう。ルナ家には連絡を入れます」
「いいの?」
「はい。同時に連絡役をルナの都に向かわせます」
それを聞きシルフィーは得心がいった。
「その連絡役に魔石を補充させるわけね?」
「はい」
「同時にルナ家からも、補充のための人員をマンバナ村に送らせる」
「ええ。双方から補充要員を送れば短い期間で済みます。それでも通信が出来ない期間が出るでしょうが……まぁ、その時はその時です。そんなことを言っていたら道具なんて使えませんし、何か大事が起こってから連絡をしても仕方がありませんから。最善は起こる前に防ぐことです」
ダボンは言わなかったが、送った連絡員はそのまま待機させても良いし、すぐに通信魔道具を使うのなら再び補充用の魔石を持たせて戻らせても良い。頻繁に仕える手段ではないが、非常時やそれに準ずる場面でなら悪くない手段だとシルフィーは首肯する。
「そうね……それなら何か起こったときも対応出来るわね」
「ええ、ただの魔物なら村の者だけで十分ですが、強い魔物ならばルナ家の力を借りた方がいいかもしれません」
ルナ領の外では強力な魔物が現れた場合、騎士団が総出で動くことも珍しくないらしい。ダボンは圧倒的に強いが、その強さで魔物を倒すことに拘ってはいない。彼にとって大切なことはただ勝つことだけなのだ。
その答えにある程度、不安を払拭出来たのだろう。抱いていた両肘から手を離すと、ダボンも同時に組んでいた腕を解く。そのときふと気づく。
「ダボン……貴方、ひょっとして私に気を使ったのかしら?」
自分を安心させるために、必要もないのに意見を採用したのか?
そんな気がしたのだ。
しかしダボンは笑って応える。
「まさか、そんなことはありません」
「本当に?」
「ええ、もちろんです。しっかりと準備する。勝つために最善を尽くすのは善いことだと思います」
「そう……なら、そういう事にしておいてあげるわ。でも、貴方ってば、王都から帰って来たから少し生意気よ」
「そうですか?」
「そうよ」
しかしそれは好ましいものだ。
あれからほんの少しだけではあるのだが、二人の関係は近しいものになったのだ。
この世界では通信技術が意外と発達しています。ただこの通信魔道具、二つ一組で決まった相手にしか通信出来ません。燃費も超悪く、作中での説明のように中継ポイントが必要なので金持ちでもあまり使いません。特にマンバナ村は辺境なのでこの中継ポイントの維持が大変です。こいつをダボンにぽんとあげちゃうくらい(設備維持もルナ家がやってます)ザカードはダボンのことを買っているんですね。
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