【大群】
今から遡ること8年前。ランディール王国のルナ領の北部で魔物の大氾濫が起きた。ルナ領に出没する魔物は獣の形をしたものが多いのだが、それが大量に発生し津波のように押し寄せたのだ。それは圧倒的な暴威を以って村や町を蹂躙し、ルナ領の誇る精鋭、青牙騎士団ですら容易に殲滅することが叶わなかった。
魔物は強く、それ以上に数が多く、物的人的被害は高まり続けた。
それが収まったのは西の果てからやってきた辺境の村の戦士団が傭兵として参戦したからだ。常に魔物との戦闘を続けているその集団の戦闘力は凄まじく、一人で何十頭もの魔物を屠る者が何人も存在した。中でも特に恐ろしい力を持っていたのは10歳にも満たぬ少年だ。鷲獅子の翼をむしり取り、竜の尾を掴んでは振り回し、暴虐を嵐のように巻き起こす、暴力の化身のような少年だった。
「都の戦士は弱っちいな」
「そんなことを言うもんじゃない」
「でも父ちゃん。あいつらあんなに立派な武器を持ってるくせに、四ツ目狼にも苦戦するんだぜ。あ~あ、オレもこんな鉄の棒っきれじゃなくて、あんな格好いい剣を振り回してみて~な~」
「お前は特に力が強いからな。だけどお前も覚えておけ、力が強いだけではどうにもならないものがこの世界には沢山あるんだ」
「そうなのか?」
「そうだ。例えばここにいない村の戦士達は普段、四ツ目狼を倒すときはどうやっている?」
「そりゃ、前後で挟んで同時に槍で突くんじゃん」
「そうだな。なら大牙鰐ならどうだ?」
「正面に囮になる戦士が立って、左右から槍で突く」
「鷲獅子なら?」
「皆でいっせいに矢を放って、動けなくなったら左右から襲う」
「そうだな。自分より強い相手には数を揃えて戦う。ここにはいない戦士達は俺たちがいなくても、そうやって難なく魔物を狩っている。魔物を狩るのに『力が強い』というのは決して必要なことじゃないんだ。もちろん力が強いのが素晴らしいことには変わりはないがな」
そう言って、父親は再び少年の頭を撫でた。
「数というのは最も強力な力のひとつだ」
「でも俺は一人で魔物をやっつけられるぜ」
「そうだな。だがお前は前に甘妖花の毒にやられたことがあったな」
「それは……アイツの花粉のことを知らなかったから」
「だがお前は毒にやられて魔物の群れに突っ込もうとした。あのまま群れの中に一人で突っ込んだらどうなっていたと思う?」
「お……俺ならひとりでもやっつけられたよ」
「そうだな。お前なら大丈夫だろう」
「だろ!」
「だが、そのときお前を止めたのは誰だった」
「うっ……それは」
少年は押し黙る。甘妖花の毒にやられて興奮した彼は父親をはじめとした村の戦士3人がかりで取り押さえられ、その動きを封じられたからだ。
つまり数に負けたのだ。
「でも……絶対に都の戦士よりも俺の方が強いよ……」
「そうだな。1対1ならお前はこの世の誰にも負けない。それだけはよく覚えておけ」
そう言って、父親は少年の頭を乱暴に撫でた。ゴーレム馬車に一緒に乗っている他の戦士達は全員が苦笑しながら少年に言う。
「若、そういうのを騎士達の前で言っちゃ駄目ですぜ。これからその騎士達からたらふくご馳走を食わせてもらうんですから」
「せっかくのメシが台無しになったら、若のせいですね」
戦士達に言われ、少年は慌てて口に手を当てる。もちろんこの馬車に乗っているのは自分達だけなので騎士達には聞こえてなどいない。
「ルナ公のお屋敷でメシを食い終わるまでは静かにしといてくださいね」
「うん……わかった」
少年は頷く。
2年前にあった飢饉で農作業をする村人が大幅に減って、未だにマンバナ村は困窮している。ルナ本家の屋敷で食べれる豪華なご馳走を彼も楽しみにしているのだ。
だがそれでも彼は納得しない。何しろ狩りの前に父親は言っていたのだ「今回の手柄は全て青牙騎士団に譲る。凱旋も後ろに静かについていくだけだ」と、それがどうしても気に入らなかったのだ。
彼は父親のことを尊敬しているので文句を言わないようにしているが、それでも「自分たちの方が強いのに」という思いは隠しきれるものではなかった。
そんな息子の内心を察している父は、彼の頭をくしゃくしゃと撫でながら、もう一度伝えた。
「まずはルナ家が治める街を見てみろ。そうすればお前にも解る」
「お、おう……」
少年は意味も解らず頷く。
そしてその半日後、彼は見た。
初めて見たルナの街。
見たこともないほど大きな建物、高い塔、広い道路。そして何よりもそこに並ぶ群衆、人、人、人。見たこともないほど大勢の人間が魔物を倒した騎士達を見るために沿道へと殺到していた。
凱旋のパレードは街の入口から始まりルナの屋敷に着くまで続くのだが、どれだけ進もうともその人垣が途切れることはなかった。
どこを見ても人、どれだけ行こうとも人、夥しいほどの人。
皆が騎士団達に賛辞の声を送っている。もちろんその後ろにいる少年達にもだ。
だがその声を聞きながら彼は徐々に怖くなり始めていた。
まさか世界にこれほど大勢の人間がいるなどと考えたこともなかったからだ。
彼は力が強い。
魔物が相手でも素手で殴り殺すことが出来る。
騎士が10人相手でも勝つ自信がある。
魔物が100匹いても勝つ自信がある。
だがそれが500なら、1000なら、10000なら。
以前、彼は教師である老人に「そんなに大きな数字の数え方なんて覚えてどうするんだ?」と聞いたことがあったが、その老人も知っていたのだろう。
世界にはこれだけ沢山の人間が存在する。
それは視覚を通した圧倒的な暴力となって、彼の心を蹂躙した。
そう、この世界は広いのだ。
彼の強い力が及ばないほどに。
◇
ザカードの部屋を出たダボンは自室に戻る前にフラリと外に出た。
今いる場所は、この王都で最も高い場所。つまり王城の中央にある尖塔の上だ。眼下に視線を送れば夜の街が一望出来る。魔道具の作り出した人工的な灯りに照らされた街はまるで宝石箱のようだった。
この景色をシルフィーと一緒に見てみたいと、彼は思ったのだが、それはすぐに諦める。
この尖塔は城の中央にある。
つまり最も警備の厳重な部分だ。自分ひとりならどうと言うこともないが、さすがに彼女を抱えたまま飛び回ればシルフィーの細い身体では耐えきることが出来ないだろう。
街を眺めてダボンは呟く。
「やっぱり父さんの言った通り、世界には沢山の人間がいるよ」
王都にいる人間の数は、かつて見たルナの都のそれを軽く凌ぐだろう。世界にはダボンの想像もつかないほどの数の人間が存在する。どれだけ力が強くても抗しきれないほどの数の人間がだ。
闘神の血を引く戦士達は強いが無敵の存在ではない。
ダボンはかつて魔物の毒に侵された経験がある。
父は病で死んだ。
そして今回、策謀という新たな毒をダボンは知った。
力の強い人間を殺す方法など、この世界には山のように存在するのだ。
「僕はやっぱり、あの小さな世界の中でしか生きられない」
最初に彼がシルフィーからアリスの話を聞いたとき、不安で不快な気分になったことを覚えている。彼女には運命を見る力があり、彼女に触れたものは新たな価値観に目覚めていくと聞いたときだ。
以前グレイルと喋ったときに口にしたが、彼は本当ならシルフィーに対してアリスのようにしてあげるべきなのだろう。ボロボロに傷ついて、自信を失い、自身を見失い、自失してしまった彼女に新たな道なり可能性なりを指し示してあげることが本当は良いのだろう。だがダボンはそれを絶対にしない。出来ないし、出来たとしても絶対にしない。もうそんなことをすれば、彼女は自分の手の中から飛び出してしまうだろう。
だからダボンがするのは傷ついたシルフィーに優しくして甘やかすだけだ。
彼は自分の力で立ち上がれなくなった美しいお姫様を小さな世界に閉じ込めて独占したいのだ。
「僕はやっぱり悪人だ」
自虐的な笑みを浮かべる。
その後、ダボンは頬を叩いて表情を普段のものに戻し、夜の王都へと飛び去った。
大群/了




