はじめての仕事
紅茶。とわたしはつぶやく。うん、オーガニックのやつ。
「いただきます」
「やけどしないでね」
「うん。熱っ!」
「ほら!」
「いてて」
「冷やさないと」清彦くんはキッチンから氷を持ってくる。わたしは氷を口に含む。
「やけろしちゃっらかも」
「見せて」
「え」
「ほら」わたしの口元に清彦くんの顔が近づく。真剣な瞳だ。わたしはためらいながらおずおずと口を開く。清彦くんはじっとわたしの口の中を見つめる。何を考えているのだろう。恥ずかしい。わたしの唇と舌は、今とても冷えている。
「赤くてよくわからないな」
「そう」
「アイスティーにしてあげる」清彦くんはカップを持ってキッチンに行く。
わたしたちは紅茶を静かに飲んでいる。緊張感が薄く棚引いている。清彦くんはわたしに触れたいのだろうか。いつからか、そんなことを紅茶を飲みながらわたしは考えている。そんなことあるだろうか。あるのかもしれない。仕事に疲れているようだし、癒されたいのかもしれない。ただ衝動のはけ口を求めているのかもしれない。
わたしは今、自由であり、そのどちらでも嫌ではなかった。そして清彦くんは有名人でもある。そこにはどこか惹かれるものがあった。傷つきがちだったこころが柔らかい水鳥の羽でくすぐられるような。でもそれはわたしたち図書委員が親しんできた清彦くんではなくて、作家、佐々木清彦なのだった。それは関係の後退だった。そして、わたしとそんなことをしたらよくわからないが、捕まってしまうのではないだろうか。そこでわたしのもう一面がつぶやくのだった。「聞いてみたいものだ、捕まってもいいと」羽毛の数が増えるような気がするから。
でもそんなことはしない。わたしは立ちあがる。
「清彦くん、今度はわたしが朗読してあげる」わたしは本棚に近づく。整然と並べられた背表紙たちに気まぐれに指をかざす。ど、れ、に、し、よ、う、か、な。か、み、さ、ま、の、い、う、と、お、り。その一冊を引き抜く。ぱらぱらとめくる。気まぐれに目にした一節を読む。
「パールはたたっと走り出し、つい顔をほころばせたヘスターが見ている目の先で、たしかに陽光をつかまえ、瞬時の動きに飛び散ったような光を一身に浴びて笑いながら燦然と輝いていた。光もまた遊び相手が来たことを喜ぶかのように……」わたしは読んでいく。朗読会で清彦くんがやっていたような穏やかな速度で。これは小説かな。わたしの知らない本だった。聞いている清彦くんは知っているだろう。
ずいぶん長く読んだ。ふと清彦くんを見ると彼は眠っている。わたしは読むのを止める。安らかに寝ているように見える。これも朗読の効果だろうか。わたしのはじめての仕事。本を棚に戻し、コップを流しに置きわんこを抱きかかえる。おやすみ、と清彦くんにつぶやく。静かに玄関へと向かう。
「ざらざらかじょりじょりなのか確かめたいわたしの知らないひげの手触り」とわたしは詠う。
引用した小説はホーソーン作、小川高義訳、光文社発行「緋文字」です。




