第30話 目の前にいるのは誰でしょう
「ん……」
目を開けて、リンは天井を見上げた。
そこは見覚えがあるような、ないような不思議な感じだ。
けれど、もうあの忌まわしい場所ではないことは分かる。
――ちょっと重い。
気を失う前、あれだけ痛かったリンの身体が、今はなんともない。ただ、息苦しいとか怠いとかとは別。物理的に重苦しい気がする。
もぞ、と動けば掛けられた布団の中、自分の上に何かが乗っているとリンは気づき――。
「……おはよう、リア」
リンの頭の上から、低く甘い声がした。声は少しとろんとしていて、眠そうな響きまである。
――なんで、陛下と寝てるの!
バッとリンが起き上がりそうになったところを、グッと陛下の逞しい腕が頭と腰を掴んで、離さない。
「へ、陛下っ!?」
「まだ熱い、熱があるから寝ていないと、だめだよ、リア」
「いえ、あの、もう……っ」
どうにか拘束から逃れようとリンが動き、背中に痛みを感じて、思わず上げそうになった声をなんとか堪えた。
「ほら、痛み止めはしてあるけど。リアは怪我人なんだから」
「っ!?」
陛下の流れる手つきで、リンの体勢が横向きにされ、背中の痛みが楽になる。
結果、向かい合う形になり、リアはそのまま陛下の胸へと顔を埋めることになった。
先ほどよりも、しっかりと密着されることになる。
背中を気遣ってだろう、腰に回された手は添えるだけで、代わりにリンの頭を掴む陛下の手に、グッと力が込められてるのが伝わってくる。
顔に熱が集中して、ボッと熱くなった。リンの早鐘を打つ心臓が、バクバクと頭にまで響いてうるさい。
そんなリンと対照的に、くっついた身体から伝わる陛下の鼓動は、とくとくと落ち着いたリズムを刻んでいる。
とても心地いいとさえ、リンは思ってしまう。
――いや、おかしいから。
ぐるぐると目が回る中、リンは自分の立場を言い聞かせる。
従騎士とはいえ、ただの一般兵だ。一国の王である陛下と一緒のベッドは、どう考えてもダメだろう。
――さっきは、陛下しか居なかったから。
怪しい施設での出来事を思い出して、リンはハッと陛下を見上げた。
淡紫の髪が少し乱れ、穏やかな金の瞳が熱を帯びて、リンを見つめている。
整った顔立ちが崩れ色気のある、いかにも寝起きな男が、そこにいた。
そのあまりにも無防備な姿に、リンは思わず言葉を失った。
――陛、下?
リンは一瞬、戸惑った。
なんとか気力を奮い立たせ、ただの兵のリンに聞く資格はない、けれど聞かなくてはと意気込んだ。
「陛下、あの子どもたちは!」
「んー? ……ああ、リアがロスって呼んでくれたら、答えてあげる」
リンの頭頂部に、すりすりと陛下は頬擦りしている。そのひどく甘えた声は、いったいどこから発せられているのか。
静かで、温かみのある木のような匂いは、彼の香水だろうか。
陛下から香る匂いに包まれて、その優しいお願いを、リンはつい聞いてしまいそうになる。
陛下との間にある手を、グッと彼の胸へと押し当ててリンは精一杯声を出す。ジクリと手の傷が痛んだ。
「あの、私はリンです。アスフォデルの従騎士です。陛下は、誰かとお間違いになっておられます!」
「……。そうだね、私の配下のリンだ。だったら、私のお願いは聞けるよね?」
やや間があって、陛下の声が幾らか低いものへと変わる。
衣擦れの音ともに、陛下の両手がリンの頬を掴んで上へと向かされる。
その金の瞳が、僅かにスッと細められた。
「――」
さあっと血の気が引いた。熱かったはずの体温が、手足の先まで凍えるように冷たくなる。
――なんで、怖い。
冷酷王としては、それでもまだ優しい眼差しだ。けれど、その冷えた目は――。
かつて、カメリアへと手を伸ばしてきた男たちの目と重なった。
「――、リア」
再びぎゅうと抱きしめられ、目の前が真っ暗に変わる。冷えた身体が温められていくのを感じてホッとリンは息を吐き出した。
陛下も、深く息を吐いていた。
それにビクリと、リンが肩を揺らすと、陛下はその肩を撫でてくれた。
「ごめん、泣かないで。意地悪が過ぎた」
――泣いて、なんか。
リンは喉がからからに乾いて声が出せず、代わりにふるふると首を横に小さく振った。
「……リア、ゆっくり息を吐いて、吸って……そう、いい子だね」
ゆっくりと、優しく低い声が頭の上に落ちてくる。
陛下に言われるがまま、深呼吸すればリンは自分が震えていたことに気づいた。
――なんで。
「子どもたちは無事だよ。
カメリアは椿。ジェンティアンは竜胆。
……従騎士リン、今はただ、それだけを覚えて、眠りなさい。君には休息が必要だから」
陛下がリンの頭に顔を埋め、小さく呟いた。
リンの頭を、優しく優しく陛下の大きな手が何度も撫でる。そのリズムはリンを眠りへと促していく。
――花の名前を、どうして……?
気がつけばリンは震えが止まり、温かな温もりの中、再び眠りに落ちていった。




