オイレ・ナハト・シュライバー
ユノの様子が、さっきから明らかにおかしかった。
顔から血の気が引き、わずかに、震えているように見える。
……あのユノが、怯えている?
にわかには、信じられなかった。
確かに、目の前の老人が普通の存在でないことは、
僕にだって分かる。
この感覚は、法王様に会ったときに似ていた。
なにか――
絶対的なものを前にしたときの、言葉にならない圧。
それでも、この人は、ちゃんと話をしてくれている。
一方的に利用し、情報を引き出そうとしていた僕たちの話に、耳を傾けようとしてくれている。
「……あの」
ユノを見ていた、オイレ――いや、オイレさんに、
僕は声をかけた。
「小僧」
低く、落ち着いた声。
「なんだ。
……えっと、ユウ、と言ったな」
視線が、こちらに向く。
――なるほど。
とんでもないバケモノだ。
ユノの気持ちが、ほんの少しだけ分かった。
足が震える。
……ただ、ツワモノだらけの中に放り込まれてきた僕にとっては、すごいツワモノも、
めちゃくちゃすごいツワモノも、
もう手に負えないレベルのツワモノも――
正直、大差はなかった。
だって、そもそも、どれにも敵わないのだから。
「あの、その……ごめんなさい。
失礼なことをして」
「気にするな」
オイレさんは、即座に言った。
「さっきも言っただろう。
俺は、そんな些末なことは気にしない」
「僕たちは、貴族失踪事件の真相を追っています」
オイレさんは、ゆっくりと頷いた。
「だから、ロザリをちらつかせて、俺を釣り上げようとした……そういうことだな」
「ごめんなさい。
普通の方法で、あなたに会えるとは思えなかったから」
「もういい」
オイレさんは、話を切るように言った。
「で。
何が言いたい?」
「僕たちは、シュライバー商会が、それをやっているとは考えていません」
「……そうだろうな」
即答だった。
「僕たちに、その問題を解決させてほしい
情報を、いただけないでしょうか」
オイレさんは、しばらく何も言わず、ただ、僕を見ていた。
琥珀の液体を、ゆっくりと喉に流し込む。
少しの間を置いて、口を開く。
「確かに、多少の困りごとではある……だがな。
それは、俺に解決できないほどの話じゃない
お前たちに、借りを作るのは……俺にとっちゃ面白くない」
俺は、借りを作るのが嫌いだ。
そう言って、オイレさんは、わずかに肩をすくめた。
「……ただ」
そこで、ほんの少しだけ、口の端が上がる。
「いいだろう、今回は、俺が――
お前たちを頼ろう
その代わりに、情報をくれてやる
これで、イーブンだ、違うか?」
そう言って、老人は、静かに笑った。
オイレさんはグラスを置く。
「条件を、一つ付けよう」
そう前置きしてから、こちらを見た。
「俺の名を、使うな」
それだけだった。
ユノが、わずかに目を細める。
オイレさんは続ける。
「俺の名で脅すな。
俺の名で守られたと思うな
俺が後ろにいると、思わせるな」
淡々とした口調だった。
まるで、当然の確認事項のように。
条件としては、あまりにも軽く、期限もない。
成功しなかった場合の話も一切ない。
「……それだけ、ですか」
思わず、僕が口にした。
オイレさんは、少しだけ目を細めた。
「十分だろう
それとも――
失敗したときの話を、聞きたいか?」
僕は小さく首を横に振った。
オイレさんは満足したように頷く。
「ならいい、俺は、結果だけを見る
途中で何が起きようと、それは、お前たちの仕事だ」
そう言ってから、ふと思い出したように付け足す。
「……ああ。
一つだけ、親切に教えてやろう」
部屋の空気が、わずかに張り詰める。
「今夜、お前たちが見たものは――
俺の問題じゃない」
それだけ告げて、オイレさんは、もうこちらを見なかった。
話は終わった。




