夕暮れの山道
お待たせしております。約4か月ぶりの更新です
いつの間にか、沢からの上り路と合流するところまで歩いてきていたらしい。
声がしたのはその坂からだった。
坂を上ってきたのは、一組の老夫婦だった。
登山用のウィンドブレーカーを身にまとい、しっかりとした足取りでこちらに上ってくる。二人とも流彦たちと同じように背負子を担いでいる。その上にあるのは氷炭ではなく大きなポリタンクだ。液面の様子から、タンクの8割程度まで液体で満たされているのがわかる。
ヒマラヤのシェルパもかくや、というほどの重い荷を背負いながら、顔に汗ひとつかかずに笑っている。
「二木さん、お久しぶりです」
と、流彦は夫婦に声をかけた。夫はにこやかに手を振り、妻のほうも笑みを浮かべながら深く頭を下げた。
ほどなく上ってきた二人を、流彦は沙羅に紹介する。
「こちらは樫尾野家に仕える銃者の、二木さんだ」
「二木和則と申します」
「妻の未雪と申します」
老夫婦がそう言って丁寧に頭を下げると、沙羅も慌ててお辞儀をした。
「は、はじめまして、紅沙原沙羅といいますっ!」
背負子の氷炭がギシギシと鳴って、今にも取り落としはしないかと流彦はヒヤリとする。
「はじめまして。可愛らしい新人さんね」
と未雪が笑う。全身から滝のように汗を流していることで、もろバレのようだ。
「今日はどちらまで?」
と流彦が聞くと、和則は自分の荷物を見上げながら
「三山水を採ってきました。奥様がご所望ということで」
と答える。三山水というのは最近この辺りで見つかった湧き水のことだ。
樫尾野家当主の夫人、華乃絵は名の知られた美容家で、とにかく自分の美貌を保つためなら努力は惜しまない(惜しませない)という性質で、自身の使う化粧品はもちろん、毎日の食事の食材や調理法の一つ一つまで指定しなければ気が済まないという話だった。
「へぇ、お化粧水にでも使われるんでしょうか?」
沙羅が首を傾げると、
「さぁ?もしかしたらうどんを茹でる水かもしれません」
和則がそう言って軽やかに笑うと、「え」と沙羅は目を丸くした。たったそれだけのことにも手間をかけさせるのか、と。
「それが火族ってもんさ……それでは、俺たちはこれで」
流彦が沙羅を促して立ち去ろうとすると、
「あぁ、良かったら、少し休んでいかれませんか?近くに私どもが使っている小屋がありますから」
と二木和則は呼び止めた。
このあたりの山はいわゆる入会地で、特定の火族の領地というわけではない。
山道の管理・整備に複数の火族が資金を出し合い、それぞれの家の銃者たちが見回りなどを行っている。そのための山小屋もいくつか点在している。ひとつの家ごとに一軒以上は山小屋を建てており、この道の近くには樫尾野家の山小屋があるというわけである。
「いえ、せっかくですが」
流彦は即座に断ろうとするが、
「お茶も用意しますよ、そっちの新人さんもお疲れでしょう?」
未雪の言葉に、沙羅のほうを見やる。
「いえ、私は特にっ……」
一応、遠慮するようなそぶりを見せるが、彼女の瞳には、好意に甘えられたらという期待の色が浮かんで見える。
(まぁ、いいか。寄り道した方が距離が増えて反ってトレーニングになるだろう)
そう考えた流彦は、
「わかりました、ではお言葉に甘えて……」
と答えた。
「―えぇ、ですから、かれこれ30年は樫尾野家にお仕えしていることになりますかねぇ」
「ふぇ~、そんなに!」
沙羅は二木夫妻の経歴を聞きながら、感心したようにうなずいている。
大きく日が傾いた尾根道を流彦たちは歩いている。
先を歩く三人の後から、沙羅を見守るように流彦はついていく。
沙羅は相変わらず影法師をひきずるような足取りだが、先ほどよりかはマシになったようにも見える。
「あぁ、あそこに見える、あれが休憩小屋です」
二木が右手で指し示す先、急角度で上る山道の果てに赤い屋根が見えた。
「え、あれですかぁ?」
腰でも抜かしたようなマヌケな声を上げる沙羅の様子に、
「……」
流彦はイラっとした表情をする。
(これくらいこなせないでどうする。やっぱりスパルタでやらないとダメか)
そう決意した流彦は少女の横をすり抜けながら
「置いていくぞ俺の後についてこい。3分以上遅れたら、帰りの荷物を倍にするぞ」
「え、えぇ~っ!」
速足で歩き始めた流彦の後を雛鳥のように沙羅は必死で追いかけ始める。
その様子を老夫婦は暖かく見守る。
「ふふ、これはまた」
「仲が良いことですねぇ」




