始まり
それからの私は、余り書斎に籠ることがなくなった。書斎にいれば、自然と沖田君のことを思い出す。お元気で、と最後に言った彼の笑顔は晴れ晴れとして爽やかだった。悲壮感がないことが、尚更に私の胸に沁みた。もっとたくさん、話していれば良かった。卓球にだって行けば良かった。沖田君に圧勝されても、彼がいればそれで良かったんだ。
暗い気持ちを引き摺る私を、妻は黙って見守っていてくれた。いつものように美味しいおやつや食事を作ってくれた。いや、今まで以上に、頑張ってくれていた。私は、そんな妻の為にも浮上しなくてはと思った。季節は夏から秋に移り変わり、紅葉が美しい季節を迎えていた。沖田君とはもう会えない、と芽依子に告げると、芽依子はふうん、そっかあと言った。意外にも乾いた口調だった。そんな私の気持ちが表情に出たのだろう。芽依子は笑った。だっておっきー、いつかふらっといなくなりそうな気がしたもの。そう言った。
歴史とは何だろう。
残された文献で、一体どれだけの真実が解り得るだろう。沖田君たちは生きた歴史だった。彼らの存在そのものが、一つの時間軸だったのだ。私は歴史そのものと、向き合い、語らい、食事を共にした。久し振りに書斎に籠り、私はそんなことを日記に書きつけた。日記を開いたのは、沖田君が消えて以来だ。ダイエットの必要もなく、私の体重は自然と落ちた。久し振りにスイートポテトとココアを賞味しながら、私は思いの丈をつらつらと書きつけていた。
だから、土方君に気付くのが少し遅れた。
「よう」
「うわあああっ」
「人を幽霊でも見たかのように……」
「幽霊そのものじゃないか!」
文句を言いながら、私は喜んでいた。土方君にも、もう二度と会えないと思っていたのだ。
「もうすぐ、総司が戻るぞ」
「え?」
にやり、と土方君が、彼特有のニヒルな笑いをする。
「沖田君、また来るのかい?」
「あ――――……。ちょっと違うな。戻るってえのは、つまり……。まあ、その内解るさ」
「けちんぼ!」
「けちんぼて……」
「今、教えてくれたって良いじゃないか」
「さぷらいず、とか言うんだろ? 驚かせて、喜ばせるのを」
いらん知識を身に着けたな。そういうのは可愛い女子とかがするものじゃないのか。私は情報を出し惜しみする土方君にぷりぷり怒っていた。土方君が愉快そうに笑う。優男がこんな風に全開で笑うと、本当に楽しそうで見ているほうまで嬉しくなり、私は不機嫌を忘れた。土方君がこう言うからには、身近なところで私はまた、沖田君と逢えるのだ。今度こそ卓球で雪辱したりするんだ!
意気揚々とする私を見る土方君の目はまるで父親のようだった。
スーツだけでは寒い季節になってきた。私は家路を辿りながら石焼き芋を売る車の横を通り過ぎた。多少、後ろ髪を引かれながら。日が暮れるのも早くなり、暮色が空を染めている。民家の石塀に留まった烏が、があ、と鳴いた。あの烏だろうか。
「終わったな」
実にしみじみ、と言った調子で烏が喋ったので、私は少し驚いた。もっと性悪かと思っていた。
「終わって、始まる」
「始まる? 何が?」
「直に解る」
土方君も烏も、どうしてこう、人を焦らせるのか。
私はむっつりした顔で家に向かう。
朗報が待っていると知らず。
妻が妊娠したと、紅潮した頬で告げた時、私は言葉を失くした。それから、妻の身体を抱き上げてくるくる回った。土方君と烏の意味深な言葉の意味を察した。生まれてくる赤ん坊は、誰であるのか。
やがて生まれてくる子供が男子であると知った時、私と妻は一緒に名前を考えた。
蒼。
蒼にしよう、と二人で決めた。
だから子供の名前は沖田蒼になる。
私の姓は沖田と言う。沖田君、と呼ぶ度、実はちょっとややこしかったのは、ここだけの話だ。
歴史は巡る。人も巡る。
広大な世界の隅で、今日も誰かが笑い、泣いている。
妻が昔、誰であったのか、私にはおおよその察しがついたが、それは言わぬが花というものだろう。
<完>
これにて本作品は最終話です。
ここまでお読みくださった皆さまには感謝の念が尽きません。
調べが甘いところもあり、未熟な点も多い作品ですが、少しでもお楽しみいただけたなら幸いです。
妻が果たして誰の生まれ変わりだったのか。
もう、多くの方がお気づきだと思います。
ありがとうございました。





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