雅子参戦
4人がけテーブルの通路側に玲也もシマオも座っていたのだが、雅子は玲也の隣の椅子を引き出して、その椅子に玲也を押したので、玲也はその椅子に座りなおさざるを得なくなった。そして、さっきまで玲也が座っていた息子の真向かいの椅子にどかっと腰を下ろした雅子は息子の目を真正面から見据える。息子、シマオは、一瞬だけ母親と目を合わせると、自分の作品へと目線を下ろす。それにつられて雅子の視線もシマオの作品に移る。
「へぇ〜」と言いながら、彼女は無遠慮にシマオのノートを自分の手前に引き寄せながら1回転させる。数瞬目を通すと「あら?この記事ならうちでとってあるわよ」と言いつつ席を立って、控室の隅に3段重ねにしてあるダンボールの中段を取り出してきた。そのダンボールをテーブルの通路側の脇に置くと、しゃがんで箱の中をまさぐり始めた。しばらくして、玲也たちが見てきたものと同じ日付の新聞と、他にも日付違いの新聞も出してきた。
地元の人達との話題合わせのためにと、自宅ではとっていない地方紙を店舗の方ではとっているのだ。客が順番待ちの間に読めるように、新聞の類と漫画雑誌類、それと美容室なので、当然、ヘアカタログとファッション雑誌も定期購入しているのだ、もちろん、経費で。さらに、地方新聞の中でも、こと、宝田町に関わる記事があるものはこのようにダンボール箱に詰めて保存していたのだ。後で因果関係の裏取りができるようにと。なんの因果関係のことなのかは企業秘密である。
当時の新聞記事の内容からすると、事件に関わっていると疑われたのは下宝田地区の子供たち8人で、その内の2人の少年と1人の少女は、当初、地元グループで一番年上の男子が死亡した少年を突き落としたと証言していたが、後に、彼らの親たちから「警察に脅されてそう言っただけで事実無根である」という異議申し立てにより、それらの証言は無効となった。その他5人の少年は黙秘を貫いたようだった。この8人の内、小学校に上がっていた子供は7人で、もう一人は翌年就学予定の未就学児だった。それ以外の村の子供1人は2歳で、当時は親と一緒Mにいた。
8人の子供のうち、小学1年生の2人と未就学児1人の証言が事実であるとすれば、田島本家(田島守親の末裔)の長男が首謀者であり、突き落としの実行犯であったことになるが、他の7人は被害者が逃げられないように取り囲んだり、本家の長男が被害者を川に落とすのを見守っていた共犯者ということになる。そして、去年死んだのは長男の取り巻きだった男子3人で、今年の7月になくなったのは証言を取り消した子供で当時小学1年生だった少年だ。先日亡くなったのは首謀者と目されていた田島本家の長男。なぜそういうことが分かったかというと、亡くなった少年たちの死体発見当時の年齢から逆算したからだ。
例の事件に関わっていた若者が死に、その葬式を済ませて職場に戻ると、例の事件を嗅ぎ回っている子供がいる、関係者にとってこれほど不都合なことはないはずだ。田島主任司書はそういう理由で豹変したのだろうと雅子は自分の推理を述べた。得意気に語る雅子はどう見てもノリノリだったので、玲也は不思議そうな面持ちで彼女の顔を見ていた。「あなた達のおかげで、なんで地元の人が『祟だ』って言うのかわかったわ!」などと、とても嬉しそうに話を続ける雅子は「江戸時代のときの事件とほとんど同じじゃない?流石レイヤくん!」と付け加えてレイヤのことを煽てた。
そこに「それだけでは殺した理由にはならないよ」と水を差すシマオ、「村の子たちの動機は?彼らと川村君との間に何があった?村の人たちと川村君のお母さんとの関係は?」「川村さんは7年前のあの事件の前まではウチを利用してたのよ、でも、あの事件以降来なくなったわね。あ、彼女は”上宝田村”の出身なのよ。ただ、小さい子供と赤ちゃんを連れて上宝田に行くのは難しいから、盆の祭りの手伝いは下宝田村の方・・・」と最後に言いよどむ雅子。「上宝田村の人たちは、大昔、下宝田村の人と喧嘩して別れたんじゃなかった?」と割り込む玲也に「喧嘩じゃなくて、代官の田島に反発して出て行ったんだよ。それに、上宝田村の人たちは清右衛門や早希を慕っていたし、その息子の吉祥天が粗末に扱われたことにも反感を持っていたと思う」と正確な分析を述べるシマオ。雅子は物凄く得意気な顔をしていた。『やっぱうちの子は天才だわ~~~』と。
「え~、じゃ、サキのたたりじゃないんだ・・・」と言う玲也の発言を聞くと、雅子ははっとした表情になる。「なんか知ってるの?」とシマオが母に問うと、「川村さんの下の名前は”早希”よ」と言う雅子の顔色が暗くなる。「えっ!!せーえもんさんのお嫁さんと同じ名前じゃん!」とはしゃぐ玲也。「だからって”祟り”だって言うのは科学的じゃない」とシマオがクールなツッコミを入れるも、「実は、同じ名前を付けるとエドジダイの祟りが起こるのじゃぁ~」とふざけ始める玲也は「玲也くん、不謹慎ですよ」と雅子に咎められるのであった。
「祟りを知ってるなら同じ名前を付けないだろ」と、いつも通り、容赦なくシマオにぶった切られる。「逆なんだよ、多分」と続けるシマオの言に「逆?」と、玲也と雅子がハモる。「うん、恩人の名前を忘れないように、自分の家に生まれた女子の名前は”早希”にする、とかね」とシマオが推理を述べる。「江戸時代の話が本当なら、そういう考えになるのもおかしくはないわね」と雅子が同意する。「どういうこと?」と自分だけのけ者になったような感覚になりながら玲也がぼやくと、シマオが説明する「前に下宝田の農家の人が言ってたんだ「すえよしの家のあの伝統、やめてもらいたいもんだよねぇ、100年以上前に死んだ人の名前を自分の子供につけるから祟られるんだよ」ってね」
「”末吉”って”まつきち”とも読めるし、”すえよし”とも読めるわね、そうだとすれば、川村さんのお母さんが上宝田村の”すえよし”の出身だということになるわね。つまり、彼女が上宝田村の人と言うのは確かね」と雅子が考察を述べた。「え~、やっぱりたたりなんじゃないの?」と、あくまでも”祟り”説を推す玲也に向かって「それはない」と表情を変えずに断じるシマオ「祟りなんて言い訳だ、人間のやることなんだから、やった人たちに動機がある、絶対に」と。「それもそうね、”祟り”のせいにしてうやむやにした方が、悪いことをする人にとっては都合が良いものね」と雅子も納得する。だが、その実、彼女は自分の息子の聡明さに空恐ろしくなりながらも非常に喜ばしくもあり、少し複雑な心境だった。
問題は、新聞にも子どもたちの名前はおろか、親の名前すら載っていないということだ。そもそも親の苗字だけなら全員”田島”なので、苗字だけで名前を出す意味がない。”和彦殺し”に関わっていた子どもたちの名前がわかれば、今までに”不慮の事故で溺死した”若者たちが”和彦殺し”と関係が有るか、無いかが分かる。それがわからないことには、彼ら故人たちが無作為に事故死したのか、殺されたのかもよくわからない。もし、”和彦殺し”と関係なく”殺された”とすれば、それはただの無差別連続殺人事件ということになる。それでは、川村早希の容疑は薄くなる。彼女が無差別連続殺人をするメリットは殆どないし、リスクのほうが高いからだ。十代半ばの少年とはいえ男なのだ、成人しているとはいえ女性では返り討ちに遭う危険性が非常に高いのでとてもリスキーであるという理由だ。
”和彦殺し”の犯人を隠匿するには、去年から起こっている連続溺死事故は祟りによる事故だとしたほうが”下宝田村民にとって”都合が良いということになる。自分の子供が殺人者であるという事実が世間に知られることで親にまでが監督責任や人殺しの親という誹りを受けるくらいなら、いっそ、人殺しの息子たちが死んでくれたほうがありがたいのかもしれない。自分の子供の殺人を隠蔽しようとするような人間なのであれば、それくらいの考え方はするだろう。というのがシマオの推理だ。ただし、これはあくまでもシマオの考察に基づく推理なので”事実”として考えたり、ましてや、他の人たちには吹聴しないようにと、雅子に強く念押しされて、その日は解散となった。




