作戦会議
3人の話は親の許可を取り付ける算段に移った。「川の向こう側に入っちゃダメって言われるんだろうなぁ」とレイヤがぼやくと、フジショーが「黙っていけば大丈夫だよ」とへらへら笑いながら楽観論を述べる。フジショーこと藤田勝介はいつも楽観的な男の子だが、楽観的過ぎて時として無鉄砲なところがある。同じく、衝動的に無鉄砲なレイヤとは気が合うのだが、シマオに抑えられていなければ、今頃2人とも大けがしたり、最悪、死んでいたかもしれない、というのが大げさではないくらい、いろいろやらかしている。人見知りで慎重なシマオが仲間になってから、この2人はだいぶおとなしくなったといってもよいだろう。
3人で口裏合わせをすることにした。シナリオを作ったのはシマオだが、概ね以下の通りだ。
「山に囲まれていて、海がすぐ近くにあるというわけでもないのに、この地区の地元の人には”田島”という名字が多い。その理由として、宝田地区に土地の名前として”島”がつく場所があるのではないか?あるとしたら、そこはどこなのか、ということを調べるのを夏休みの自由研究の課題にしたので、調査のために川の向こう側に行きたい」というものだ。
読者も心配したであろう通り、もちろん、フジショーもレイヤも覚えきれなかった。「やっぱり無理かぁ」と眉間を右手の中指でほぐしながらシマオはうなる。しばらく考え込んでからシマオは口を開いた。「うん、じゃ、『僕の自由研究の課題で川の向こう側に行かなきゃいけなくなったので、それに付き合う』、と言えばいいよ」
その日の晩、それぞれは自分たちの両親に夕飯の食卓の席で川向うに行く許可を取った。シマオの両親は、河原に入ったり、田んぼの中に入ったりはしないように、また、地元の人に会ったら元気よく挨拶するようにと念を押してからシマオが多嘉良川の向こう側に行くことを許した。
フジショーとレイヤの親は、「シマオの自由研究に付き合う」というところらへんだけで、「わかった、気を付けるんだよ、あと、正雄君の言うことをよく聞くのよ?」と念を押すだけで、あっさりと許可を出した。シマオはフジショーとレイヤの親からも信用されているのだった。自分の息子以上に。
翌日、9時前頃に3人は中央広場の柱時計の前で集まった。時間を決めて集まるときは大体ここだ。
いつも一番早いのはフジショーで、一番遅いのはいつもレイヤだ。シマオはいつも時間ぴったりに来る。
レイヤとシマオは10分前行動はできないだろう。レイヤは時間にルーズなので10分前は無理で、シマオはやればできるが「時間の無駄だ」と言って10分前行動を嫌がるのだ。
それはさておき、いつもは帽子をかぶらないフジショーも、昼までに戻らない場合に備えて麦わら帽子をかぶってきていた。レイヤとシマオはいつも通り学校の黄色いキャップをかぶってきた。
フジショーが帽子をかぶるのは珍しいので、それを見ると、いつもレイヤは「うわっ!、だれかと思ったらフジショーかよ、どこの田舎のガキかと思ったぜ」とからかい、「またそれかよ、だれが田舎のガキんちょだよ」とフジショーが返す夏の風物詩のような小芝居の後、「フフッ、じゃ、行こう」というシマオの号令で3人は中央広場から南南東の方向にある中央公園の遊歩道に向かった。