3話 記憶の書――ゾンネ
耳の奥で潮騒が聴こえる。どうやら浜辺に倒れているようだった。
「う……ん……」
まだ頭はすっきりとはしない。しかしとりあえずシュリは体を起こし、服についた砂を払った。
「ここは……?」
見覚えのない場所だった。蒼月の島の海岸とは感じが全く違う。あの島は周囲を断崖絶壁で囲まれていたはずだ。
「ムネモシュネの言う通りなら、ここはゾンネの、フィンスの記憶の中ってことだな」
「シュネル。他のみんなも」
仲間達も気がついたようで海岸を歩いてシュリの方へと向かってくる。
「ここは……俺の記憶が確かなら……南洋諸島部のどこかの小島じゃないかな?俺のいた島と違って緑に溢れてるみたいだけど」
マトリの言葉に、クルクも頷く。
「そうね。このエメラルドグリーンの海は南の地域に特有のものよ。マトリも南洋諸島部の出身だったのね」
「一応はね。ここと違って砂漠が広がってる様な島だったけど」
そう言って少し懐かしそうにマトリは海を見つめた。そして岩場に目を遣った時に、あるものに気付いた。
「あ、見て。あの岩場のところ。小舟が引っかかってるな」
マトリに促されるようにシュリ達が岩場に向かうとそこに小さな小舟があり、その中に子どもが二人横たわっていた。舟の損傷は激しかったが、中の子どもには傷一つない。微かに上下する胸で息があることもわかる。
「リヒトに……フィンス?」
金色の髪と銀色の髪の子ども達は幼い頃のリヒトとフィンスに間違いないようだった。成長した今でもこの頃の面影は残っている。 ただシュリ達はフィンスの髪の色に違和感を覚えた。彼らが出会った時の彼の髪は夜のような漆黒だったからだ。
「フィンスさんの髪の色、綺麗な銀色ですよね。月の光みたいな……あたしの髪よりは少し暗い色ですけど」
アルヒェが呟く。
「となると元々フィンスの髪は銀色だったのか。それがどうして漆黒に?記憶を辿ればわかるんだろうけど」
シュネルがそう呟いた時だった。
「う……生きてるの……?僕たち……あんな嵐に巻き込まれたのに……ゾンネ!大丈夫?」
「……兄さん?うん、大丈夫だよ……」
リヒトとゾンネが目を開いた。ふたりは状況が呑み込めないと言った様子で辺りをきょろきょろ見回している。
「ここ、どこなのかな?」
「わからないよ……けど、兄さんがいてくれて良かった……離ればなれになったらどうしようって……ぼく……」
思わず瞳を潤ませるゾンネをリヒトはそっと抱きしめる。
「大丈夫。離ればなれになったりしないよ。ほら、僕はこうしてゾンネと一緒にいるんだから」
「うん。約束して、兄さん……どこにもいかないって。ずっと一緒にいるって」
**
急に、景色が暗転した。
「フィンスって昔からブラコンだったんだな……」
シュネルが少し圧倒されたように呟く。ふたりの会話はまるで恋人のようだったからだ。
「俺はフィンス君の気持ちわかる気がするな。だってほら、見た感じ8才くらいだけど……もうバルドルさんはいなかったってことだろ? 兄弟ふたりで必死に生きてきたなら依存し合うのはわかる気がするよ」
そう呟くマトリの瞳は少し寂しそうだった。
「……そうね。けど気になるのはなんで嵐なんかに巻き込まれてたのかってことよね。この辺りはバルドル様に聞いた方が早いかもだけど」
クルクがそう言って考え込んだ時――
再び、景色が揺らいだ。
**
「疫病神め!」
罵声と共に鞭のようなものが振り下ろされる様な音がした。
「あうっ!」「……っ!」
その鞭の先で踞っているのは少しだけ成長したリヒトとゾンネ。彼らの白い肌には赤い痕がはっきりと残っていて、痛々しかった。
「海岸に流れ着いたお前達ふたりを拾い、精霊の子として育てて来た。初めの年はよかったが、今年はどうじゃ! 飢饉に旱魃……この村は滅びるしかない状態にまでなった!」
どうやらふたりに罵声と鞭を浴びせているのは村長らしかった。
「そんな……僕は……僕たちはここ2年間貴方達のいうように一日も欠かさず祈りと儀式を行ってきました!僕たちのせいじゃない!」
「そうだよ!兄さんの言う通りだ。僕たちには禍を招く力なんてない……言いがかりだ!」
「言いがかりだと!?」
村長は手にした儀式用の刀をリヒトに向かって振るう。その斬撃で服が裂かれ、彼の左胸にある刻印のような痣が露になった。
「あ……ああ……」
「ほら、私たちにないその刻印こそその証ではないか。十字架……それが意味するものは墓――すなわち死であろう?」
「兄さんに何するんだよ!別にそれだけを意味するわけじゃない!大陽の女神様に祈りを捧げる時のシンボルでもあるでしょう?」
ゾンネは心配そうに兄を見つめ、それから村長を睨みつけた。
「ゾンネ……僕は大丈夫だよ。服だけだから、ね?」
リヒトはゾンネを安心させるように優しく言うが、その肩は小刻みに震えていた。
「そこでじゃ。精霊の子であるお前達を雨乞いの儀式の生け贄にすれば神もこの村に慈悲を下さるかと思うてな。やれ!」
村長がそう言うと後ろから屈強な男達が現れ、リヒトとゾンネの体を縛り上げた。そしてリヒトを儀式場へと引きずって行く。
「縄ほどけよ……兄さん!兄さんっ!」
「待って!待って下さい!」
「ほう?命乞いか?」
「……いいえ。僕は貴方の望む通りに生け贄になりましょう。だけど……ゾンネは……あの子だけは助けてあげてください!お願いします……」
リヒトは強い瞳で村長を真っ直ぐに見つめて言った。
「……嫌だよ!兄さん……兄さんがいなくなったら僕は……そうなるぐらいなら僕も……僕も一緒に!」
泣き叫ぶゾンネにリヒトは優しく笑って言った。
「ごめんね。だけどゾンネは生きて。そして幸せになってね」
そして再びリヒトが儀式場に連れて行かれそうになった時だった。
ドオン!
激しい爆発音が部屋の外で響いた。
「何だ?今の音は?」
「村長!大変です……村の広場で爆発が!そして謎の集団が村人達を次々と……!」
「何だと?こうしちゃおれん……逃げるぞ!」
村長と屈強な男達は足早にその場を立ち去って行った。
「兄さん!すぐにほどくから……」
村長達がいなくなったのを見計らってから床の剣で自らの縄を切ったゾンネは、すぐにリヒトの縄もほどいた。
「ありがとう。でも、何がどうなってるの?」
「わからない。けどここから出ない方がいいような気がするんだ……」
ゾンネがそう言った時だった。
「誰かいるのか?」
そう声がして黒衣に身を包んだ人物が現れた。性別はよくわからない。
「……」
ふたりは息を殺してじっとしていたが、声の主は真っ直ぐ近付いてくる。そして足を止めた。
「……子ども?……残念だがこの村の者は全て皆殺しにしろとのことだ。悪く思うな」
声の主は冷たくそう言うと手にした鎌を振り上げる。
「……させない!僕たちはお前なんかに殺されたりはしない……!理不尽な理由で殺されてたまるもんかぁっ!」
リヒトは震える手で剣を掴むと、声の主に向けて力任せに振るった。
「そうだ!勝手に精霊の子として崇められて、かと思えば身に覚えのない罪を被せられて生け贄にされるなんて……認めないよっ!」
ゾンネも床にあった短剣を投げつける。声の主はそれらを軽々と避けたが、鎌を静かに降ろし、収めた。
「お前達はこの村の者ではないのか?」
ふたりは小さく頷く。
「僕たちはたまたまこの村に流れ着いただけです」
「……そうだったのか。私はこの村の村長が儀式に我らの同胞や罪のない村人達を生け贄として捧げていると聞いて断罪に来たのだ。あやうく、お前達もそうなるところだったのだな。お前達、名前は何と言う?」
「僕はリヒト、そして弟のゾンネです。僕らは双子です。貴方は?」
「ナハトだ。……こちらへおいで。間もなくこの村は完全に焼けてしまう」
「……はい」「……うん」
ふたりは立ち上がるとナハトの手を取った。
**
村の沖合に泊められた船の一室でリヒトとゾンネは自分たちがいた村が焼け落ちて灰になるのを見ていた。それはまるで村長のしてきたことに対する罰であり、報いであるかのように。
「……もう、あの村長はいないんだよね。僕も兄さんも……生け贄になんかされないんだよね?」
「うん。そうだよ。ゾンネ。僕たちはこうして生きてるんだ」
リヒトがそう言った瞬間、ゾンネの目から大粒の涙が零れ落ちた。
「怖かった……怖かったよおっ……兄さん……兄さんっ……」
「僕も……怖かったよ……父さんがいなくなって……怖い目にばかりあって……ゾンネ……ゾンネっ……」
緊張の糸が切れたのかリヒトの瞳からも大粒の涙が零れた。ふたりは抱き合ったまま、ただ泣いていた。色々な感情が混ざり合ってよくわからないままに。
「……眠ってしまったのか」
泣きつかれて手を繋いだまま眠っている双子に、部屋に入って来たナハトが毛布をかけて優しく微笑んだ。
「……ナハト。どうだろうか。先程の話。この双子を俺とともに結界に護られた蒼月の島で育てるという」
ナハトの後ろに立っていた男性がおもむろに言った。
「ああ。そうしよう。この子達はあまり両親の愛情というものを知らないみたいだからな。出来る限りのことはしよう。頼むぞ」
「こちらこそよろしく頼む。……よろしくな、リヒト、ゾンネ。」
こうしてナハトと蒼月の島の結界守護者の男は蒼月の島でひっそりと暮らしはじめることになる。 ナハトはエーレ、守護者はムートと名前を偽りながら。 この平和な日々はふたりが15才になるまで――あの夜が来るまで続くことになる。
**
再び周囲が暗転し、銀色の鍵が光を失ってシュリの手元に戻った。
「これでゾンネーフィンスの記憶の再生は終わったってことかな?」
「……しっかし苦労してたんだな。リヒトもフィンスも……」
シュリ達はリヒトとフィンスの過去の重さに言葉を失っていた。
「しかもちょうど10年前でしょ?あの事件との関係もあるのかも知れないわね……」
「それはそれとして、だ。ゾンネの記憶の書の段階ではまだ彼の髪の色は銀色のままだったし、リヒトにも何かが起こった感じはなかった」
マトリが話を元に戻すように切り出す。
「だとすると、リヒトの記憶の書の方にその事件があるってことだよね……もしかしたらそれが記憶を無くした原因なのかもしれない事件が……」
シュリがそう呟いた時、金色の鍵が浮かび上がり光を放った。再び周囲の景色が揺らぎ、そして暗転した。
――時計の針は巻き戻される。全てが崩壊し、奪われ、喪われたあの惨劇の夜へと――




