副僧院長シン(3)
( ゜ー゜)テケテケ(更新でございます)
リィフとの戦いに敗れ、気を失ったシンが目覚めたのは、その翌日のことだった。
ベリスに押しつける形になっていた侯爵ジュノー快癒祈願の祈祷の声は聞こえない。
まだ夜明け前、縁側に出ると、ベリスが庭で木槍を振っていた。
「気がついたみたいね。気分はどう?」
「悪くはない」
良くもないが、悪くもない。
落ち着いた気分ではあった。
盛大に漏らした糞便は清められていた。
「そこに座ってなさい。白湯をもらってくるわ」
そう告げたベリスは厨房から白湯の湯飲みを取ってきて、シンに渡した。
「ボロ負けしたみたいね」
「ボロ負けはしていない」
「違うの?」
「勝負にさえならなかった」
恐らくは、倒そうとすらされていなかった。
ただ、排除された。
僧堂に入り込んだ虫でも追い出すように。
「強かったでしょ? 私より」
「ああ」
あれでは、ベリスでも勝てないだろう。
人の技がおよぶ存在ではない。
それでもベリスなら、と思うところはあるが、ベリス自身が言うとおり、「色々見直す」必要はあるだろう。
「認められるのもちょっとシャクね」
「貴様が言ったことだ」
シンはにやりとして、夜明け前の空を見る。
「他の連中はどうしている?」
「死人と怪我人は出てないわ。何人か逃げたけど」
「逃げた?」
「貴方を放って逃げた連中。貴方が生きて帰っちゃったから、粛正されると思ったんじゃない?」
「そうか」
それ以上の言葉は出てこなかった。
昨日までのシンならば怒り狂っていたところだが、今のシンには「仕方がない」と思えた。
取り巻きの僧達が逃げたのは、シンという男が、信じるに値せぬ男だったからだ。
命を預けるに値するものを、見せることができなかったからだ。
「一体、なんだ? あのお力は」
「なにかの紋章を持ってるのは間違いないわね。なにか相当ヤバいのを」
「リィフ様は、紋なしだったはずだ」
「……さま?」
「おかしくはあるまい。リィフ様は還俗して、リトルバードの領主となられた。立派な貴族だ」
「そう」
ベリスは微苦笑するような表情を見せた。
「紋章は、持ってたと思うわ。最初からおかしかったのよ、目とカンのよさと、実際の強さがかみ合ってなかった」
「どういうことだ?」
「聞いた話だけど、紋章の力を封印する方法があるみたいなのよね。たぶん、それだと思うわ。なにかの原因で、その封印が解けた」
「なにかの原因?」
「魔道とか」
「混ぜ返すな」
シンは憤然と言った。
魔道に落ちたのは、リィフではなく、自分だった。
他人を邪悪だと、魔道だと決めつけることこそが、真の魔道なのだろう。
リィフと向き合い、敗北した今は、それを自覚することができた。
「まぁ冗談はおいといて、そのへんのことはわからないわ。リィフ自身も教えてくれなかったし、ただ」
「ただ?」
「リィフの紋章が封印されていたなら、怪しいのは侯爵様でしょうね」
「かも知れんな」
リィフが強い力を持つことで不利益を被るものがいるとすれば『戦士紋』を持つ次期侯爵カイトだ。
リィフより五歳上の一九歳だが、人格も能力も、今のリィフには全く及ばない。カイトの父であるジュノーからすれば、脅威以外の何者でもないだろう。
「それで、相談があるのだけれど」
「なんだ」
「リィフの紋章のことを、黙っていてくれないかしら」
「意味が無いだろう。目撃者が多い」
リィフが見せた力は、シンが連れて行った僧侶達、それにカマルの住人たちが見ている。
シンが黙っていたところで、いずれ噂は広がるだろう。
「それでも、私や貴方が報告をあげるよりは時間が稼げるはずよ。僧院の皆には、私から口止めをしてあるしね」
「なにがしたい」
「侯爵様に、リィフを追わせたくないの」
「侯爵家の手の者に、今のリィフ様を止められる奴がいるとは思えんが」
マールゥト侯爵家最強の戦士と言えば、『戦士紋』を持つ長子カイト。
あとは『剣客紋』を持つ使い手がいるという話を聞いたが、女房と間男に寝首をかかれて死んだらしい。
なんにせよ、今のリィフには歯が立たないだろう。
「ええ」
ベリスは首肯する。
「ただ、彼を失望させるだけのことになるわ。侯爵家や世の中に。それで彼が魔道に走るとは思わないけど、世捨て人にはなっちゃうかも知れない。それはちょっと、勿体ないと思うの。きっと彼は、この世界を変えてくれる」
「どんな風にだ?」
「わからないけれど、きっと、なにかが変わるわ。この国も、侯爵領も、この僧院も、きっと、もっと面白くなる」
「ここもか」
「ええ」
ベリスは微笑む。
「わかったでしょう? この僧院の秩序なんて、ちょっと大きな風が吹いたら簡単に壊れる。気に入らない相手が現れたら力で圧殺しようとする。だけど、本当に強い相手が出てきたら、仲間も捨てて逃げ散っていく。それが立派な僧院の、いい大人たちのあり方だと思う? そんなのしか育てられなかったのよ、私も貴方も」
「おまえに後進を育てる意志があったのか?」
「なかったわ、ぜんぜん」
ベリスは肩をすくめて言った。
「いい男がいて、自分が強くなれれば、それだけで良かった。でも、リィフに負けて、恥ずかしくなった。彼が今の私くらいになったら、ちゃんと周りを導くんだろうなって思って。だから、もうちょっと、ちゃんとしなくちゃって思うの」
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