1話 しりとりパラドックス
2人の日常を書いただけのお話。
人生というものは、いつの間にか隣にいる人が決まってしまうらしい。───────────
別に約束をしたわけでもない。好きだと言ったわけでもない。
そう考えると、人付き合いというのは意外と流動的なもので、
だからこそ、自らその道を外れる為には大きな勇気と欠損を伴うのかもしれない。
授業をサボって屋上へと続く階段を駆け上がる。とは言っても、ベタな漫画やアニメじゃないんだから、もちろん屋上へ通ずる扉は施錠されている。自由へと繋がる扉と階段の間に存在する小さな静謐な空間。
隅には蜘蛛の巣が張られていて、扉の隙間から入り込む陽の光を反射している。ここは私が唯一自分でいられる場所だ。
今日もここで時間を潰そうか、それとも帰って天井でも眺めようか。決して意味のあるとは言えない思考が水となって脳みその中に流れ込む。そのうち、水槽の中の水が溢れ出して、底にいる魚まで溢れ出してしまいそうだ。
教室から漏れる大人たちの無意味な声がbgmと化して、私の耳元に届く。
「よ!しのみや」
予想外の声に背筋が伸びる。
その声の正体は私の知り合い、夜凪だ。
「お、驚かせないでよ…」
「別に私は驚かせるつもり無かったんだけど」
夜凪と出会ったのは確か3ヶ月ほど前だろう。
彼女も私と同じここの住人だ。世界には数え切れないほどの人がいるのだから、私と同じような人がいても別に不思議だとは思わない。だからといってわざわざ深堀りをしたりなんて面倒な事はしない。
九月下旬。ポロシャツを脱ぎ捨て、ワイシャツに腕を通す時期。少し乾いた風が吹き始めるものの、まだ少し暑さは残る。万年冷え性の私には過ごしやすい環境だ。
「そーいえば、なんでいつもこんなとこにいんの?」
季節の移り変わりを感じていると、夜凪が聞いてきた。
「特に理由は無い。強いて言うなら居心地が良いことかな」
なんじゃそりゃ、と夜凪が言う。
「逆に同じ問いを返そうか」
私だって思春期真っ只中の一般高校生だ。気になったことは聞いてみるのが礼儀だ。
「ここにしのみやが居そうだったから。」
どうやら夜凪の体には私を追尾するレーダーでも付いているらしい。
「キーンコーンカーンコーン」
6限の終わりを告げるチャイムが耳を刺す。辺りが騒がしくなってきた。生徒の生産性の無い声が蔓延している。この後どこに遊びに行こうかだとか、居残りして勉強しようだとか、いかにも高校生らしい会話だ。
「サボってんのバレたりしないかな」
今になって何を心配してるだと若干の呆れが喉から出そうになったが、ギリギリのところで飲み込んだ。
その時はその時だよ。と脊髄で言葉を投げ返す。
もうそろそろ帰りのSHRが終わり、帰り始める人が出てくる頃だろう。それでも騒音は鳴り止まない。人間の耳にもノイズキャンセリング機能が搭載されていればどれだけ楽だろうか。
「みんな中々帰らないね、どうしようか」
「頼むから早く帰ってくれ。暇人なのかな」
一体どの口が言っているんだ。
隣で丸くなっている夜凪に目をやる。夜凪は外見だけ見ればただの優等生だ。髪は紺と黒の間くらいで、肩につかない程度。髪こそ染めてない訳では無いけど、染めてると言わな限りバレることはないだろう。
少し撫で肩な容姿はいかにも賢い系女子って感じだ。でも実際はそんなこと無いし、私よりもちょっと馬鹿、というか天然なところがある。身長は私より指関節ひとつ分ほど高く、いつもそれでマウントを取ってくる。
外見によらず子供っぽいところがあって妹の相手をしている気分だ。本人はダウナー系お姉さんを目指してるらしいが。
一方私はと言うと、先生公認の万年サボり魔。勉強は嫌いだけど、要領はいい方だからちょっとやればできてしまう。まあ、やらないんだけど。
髪の毛は茶色っぽいクリーム色に染めてある。昔は水泳をやっていた。その頃は塩素の影響で髪の色素が抜けて茶髪だった。
これが意外と似合っていて黒髪にはしたくないという謎のプライドがあった。髪を染めること自体、校則上セーフだから誰も文句は言わない。自分で言うのも何だが、かなり色白で痩せているほうだ。これが美と見られるか不健康と見られるかは分からない。多分後者だろう。
「暇だし、しりとりしようよ!」
なんの前置き無しに、夜凪が切り出す。
「夜凪ってホントしりとり好きだよね。普通そんな好んでやるもんじゃないでしょ」
私たちの間でしりとりは日常のようになっていた。
「だって程よく頭使えるし、意外と時間潰せるじゃん。しりとり」
唐突に戦いの火蓋が落とされた。
「リンゴ」
「ゴマ」
「漫画」
「ガス」
「スイカ」
「カラス」
「炭」
「ミス」
「スマホ」
「ホイヘンス」
「彗星」
「いくら」
「ライス」
「スクランブル」
「留守」
やたらと『す』が回ってくるな。
夜凪の『す』攻めは鳴り止む気配が無い。
「また『す』〜?あ、!スイス」
「ステゴサウルス」
してやったり、と言わんばかりのドヤ顔でこちらを見つめてくる。夜凪はいつも何かしらの言葉で攻めてくる。今日は『す』らしい。いつもそれで負けているのだ。たまにはこちらからも攻撃を仕掛けてみようか。頭が過熱し過ぎない程度に働かせる。
少し間を置いてから重たい体を動かす。横でぽつりと座っている夜凪の耳元に顔を近づける。彼女の体温が若干伝わってくる。私は冷え性なのでちょっとだけ心地が良い。どんな反応をするのか、脳内でシミュレートしながら吐息混じりの声で囁く。
「好き、w」
「ひょうあ!?」
と夜凪の腰が跳ねる。大成功。にしてもなんだその反応は。猫が胡瓜を見た時みたいだ。
「何語ですか笑」
ヘラヘラしながら問うてみる。
「…………」
予想外な事に沈黙が続く。
「え、?何か言ってよ」
夜凪の顔を覗いてみる。赤い。赤いなんて生易しいものではなかった。完全に沸騰している。茹で上がったカニだってここまで見事な朱色は再現できないだろう。
私の突発的な悪戯は、彼女の処理能力を瞬時に超越して、その優等生然とした脳内を思考停止させてしまったらしい。ダウナー系お姉さんの役はどこへ行ったのか、これではただの不審なトマトだ。
「……な、なに、それ」
消え入りそうな声で夜凪が言う。両手で顔を覆おうとして、でも手を開く隙間から、潤んだ瞳がじっと私を睨むように見つめてきた。体温の上昇と共に彼女の甘く、どこか安心感のある香りが漂ってくる。
「しりとりだよ。ほら、「す」で攻められたから、「す」で返しただけなんだけど」
ヘラヘラした仮面が剥がれ落ちないように固定しながら、私は言葉を返す。
今回は完全なる勝利だ。ドヤ顔のお返しとしては百点満点だろう。ただ、どうして夜凪はこんなにも顔を赤くしているのだろう。何を感じて、何を考えたのだろうか。
一方、夜凪の脳内の水槽からは、なんだか変に熱い水が溢れ出しそうになっていた。
夜凪は膝に顔を埋め、小さく丸くなってしまった。カバンを背負えるか怪しいほどの撫で肩が、心なしかいつもより余計に縮こまって見える。
「降参するー? それとも『き』で続ける?」
「…ま、負けました」
人間の耳にはノイズキャンセリング機能なんて便利な搭載されていないから、静謐な階段の踊り場に、夜凪の少し早い呼吸の音だけがやけに大きく響いていた。
「そ、そ、そろそろ帰ろっか、!」
「そうだね。ここら辺でお暇しますか」
私は別に、変化を好んでいるわけでは無いし、現状維持をしたいわけでもない、特定の誰かと一緒にいたいなんて以ての外だ。でも、一人でいることは何よりも苦痛だ。
水の流れに抗うこともなく、行き着いた先で時間を過ごす。誰かと空間を共有するというのは、要するにそういうことだ。
相手の呼吸を測り、言葉のキャッチボールの軌道を予測し、社会的な生き物としての自分を常に外側へ向けてメンテナンスし続けなければならない。それは自分の心という、空っぽな容器を無理やり彩って、周りと同じ色に染め上げることと変わらない。
一人でいれば、私は私のままで、深く深く沈んでいけるのに。他者というノイズが目の前にあるだけで、感覚のアンテナは強制的に外側へと固定される。自分自身に没頭する自由を制限されるそのもどかしさが、人といる時間をほんの少しだけ、だけど確実に、息苦しくさせている。
それでも、私はまた誰かの隣を探してしまう。本当に人間というのは、どこまでも愚かで面倒な生き物だと思う。
「なんて、どうでもいいか」────────
私たちが通っている高校は5階建てで、下駄箱は2階に存在する。自分で言うのもなんだが、この高校は少し特殊な構造をしている。
入学時はよく迷子になったものだ。懐かしい。
ゴールの下駄箱に行くために体を起こし、足を動かす。
コツコツ、と2人の足音が反響する。4階、3階、と1つずつステージをクリアしていく。
あとはこの階段を下るだけ。このゲームももうもうすぐクリアと言ったところだろうか。
その時、コツコツ、と私たちのものでは無い音が聞こえる。
「足音、こっち来てるね」
その声には、まるで遊園地のアトラクションの順番を待っているかのような、不謹慎な愉悦が混じっていた。
夜凪が声を潜めて、ニマーっと目を細める。
ニマーって感じ。絵に書いたようなニマーって表情。おっと話が脱線した。
どうも大半のゲームというのは、簡単にはゴールさせてくれるほど親切ではないらしい。
「見つかったらゲームオーバーだね。」
私が夜凪の腕を引っ張るようにして、音を立てずに階段を駆け下りた。一階分降りたところで、上から
誰かいるのか、と大人の声が響く。
「うわ、担任だ。バレたら生徒指導行きだね。」
と言った私の表情も、気づけばニマーっとなっていた。
私たちは顔を見合わせ、声を殺して笑いながら、そのまま昇降口へと滑り込んだ。自転車を回収して放課後の校門を抜けると、九月の濁った夕方が私たちを包み込んだ。
「あー、緊張した。心臓バクバク言ってる」
夜凪が胸に手を当てて、肺に溜め込んだ酸素を吐き出す。
「自業自得でしょ。サボり魔のくせにチキンなんだから」
「しのみやだって、結構なスピードで私の手引っ張ってたじゃん」
「それはそれ、これはこれ」
ここまで来たら私たちの勝ちだ。各々自転車を回収し、自宅の方向へと重たい自転車のペダルを漕ぎ始める。
【夜凪と篠宮】1話を読んで頂き、ありがとうございました!
気が向いたらに、また読みに来ていただけたら嬉しいです。




