第30話「ZEROの鎧」
白夢のライブから数日が経った。
夜叉羅刻の練習は、いつもより静かだった。
全員が、それぞれに何か考えていた。凱は普段より集中して弾いていた。JUNEはいつもより丁寧にベースを追っていた。DEADのドラムが、少しだけ重くなっていた。
ZEROだけが、いつも通りだった。
「俺たち、もっと上行けるで」と練習中に何度も言った。「白夢も見たやろ。あれはあれで本物やった。でも俺たちは俺たちのやり方で勝負する」
自信満々だった。いつものZEROだった。
でも、俺はなんとなく違和感があった。
自信満々すぎた。
いつものナルシストも、今日はちょっと過剰な気がした。
練習が終わって、片付けをしているとき、ZEROが俺に近づいてきた。
「蓮、帰り一緒に歩こうや」
「ええで」
凱は今日は用事があるらしく、先に帰った。
JUNEとDEADは別方向だった。
俺とZEROで、二人で歩いた。
スタジオを出て、しばらくは普通の話をした。来週のライブの話、新しい曲の話、白夢のロープがどうやって首にかかってたのかという話。
でも、川沿いの道に出たあたりで、ZEROが急に黙った。
「蓮」
「なんや」
「ちょっと、座らへんか」
川沿いのベンチに、二人で座った。
夜の川が流れていた。月が水面に映っていた。
ZEROはしばらく黙っていた。
俺も何も言わずに、川を見ていた。
「俺な」とZEROが言った。
「うん」
「中学の頃、学校に行ってへんかったんや」
(え。)
俺はZEROを見た。
ZEROは川を見ていた。
「不登校やったんか」
「一年半くらい」
静かな声だった。いつものナルシストの声じゃなかった。
「なんで」
ZEROはしばらく黙ってから言った。
「いじめられてたんや」
夜風が吹いた。
「中学入った頃、俺、今と全然違う人間やった。
地味で、大人しくて、目立たへん奴やった。たぶん、それがよかったんやろな。反応がええ、でも反撃せん。格好のターゲットやった」
「そうか」
「最初は無視されて、それから悪口言われるようになって、物が隠されて、それで」
ZEROが言葉を切った。
「殴られるようになった」
俺は黙って聞いていた。
「毎日、学校行くのが怖くなって、ある日、行けんくなった。朝、制服に着替えようとしたら、体が動かんくて、玄関の前で泣いてた。母親が何も言わずに、俺を部屋に戻してくれた」
「それから、一年半、学校に行かんかった」
川の音が聞こえた。
「その間、何してたと思う」
「わからん」
「歌、聴いてた。部屋で、毎日、ずっと」
ZEROは川を見ていた。
「親父がレコードをいっぱい持ってた人やったから、家にはレコードがたくさんあってな。親父は仕事で忙しくて、あんまり家におらんかったけど、レコードだけは好きに聴いてええって言ってくれた。だから、ずっと聴いてた」
「どんな曲聴いてたんや」
「最初は、親父が持ってたやつを、手当たり次第に」
ZEROは少し笑った。
「洋楽も邦楽も、ジャズも演歌も、全部聴いた。でも、ある日、親父のレコードの中にデヴィッド・ボウイがあったんや」
(ボウイか。)
「ジギー・スターダスト。あれを聴いた瞬間、なんか、わかった気がした」
「何が」
「この人、普通の人間じゃない。自分以外の誰かになって、歌ってる。でも、それが本当の自分みたいな顔してる」
ZEROは川から目を離して、俺を見た。
「俺も、そうなりたいと思った」
「なる、って」
「今の自分じゃない、別の誰かに」
ZEROは少し笑った。
「それから、親父のギターを勝手に触るようになって、歌も歌うようになった。最初は下手やった。でも、歌ってる時だけ、自分が自分でおれた。地味で、いじめられてた自分じゃない、何か別の自分になれた」
「うん」
「中二の終わり頃、少し学校に行けるようになった。でも、もう前の俺には戻れへんかった。俺は、歌ってる自分しか肯定できんかったから」
「だから、あのキャラなんか」
「そうや」
ZEROは川を見た。
「今のZEROは、鎧や。中学でいじめられてた木下勇を守るために作った鎧や。でも、鎧着てる時だけ、俺は息ができる」
俺は何も言えなかった。
いつも自信満々で、ナルシストで、思い込みが激しくて、独りよがりなZERO。
その裏側に、こんなものがあったなんて知らなかった。
「高校は違う地区の学校に進学した」とZEROは続けた。「誰も中学の俺を知らん場所で、やり直したかったから」
「うん」
「だから、高校では最初から今のキャラやった。誰も中学の俺を知らんから、俺はZEROのままでおれた」
ZEROは少し笑った。
「でも、お前には話したかった。なんでか知らんけど」
「なんで俺に」
ZEROはしばらく考えた。
「お前も、どこか本当の自分を隠してる気がするから」
(え。)
ドキッとした。
ZEROは俺を見た。
「白夢のボーカル、お前にあんなこと言うてたやろ。『何抱えてる?』って」
俺は黙った。
「あれ、俺もずっと感じてた。ただ、お前から言われるまで聞かんとこうって思ってただけや」
「そうか」
「でも、白夢のボーカルが言うたから、俺も言うわ」
ZEROは少し笑った。
「お前も、何か持ってるやろ」
俺は答えなかった。
否定もできなかった。山田蓮を演じながら生きている。それを誰にも言えない。ZEROが感じ取っていないはずの何かを、ZEROはなんとなく感じ取っていた。
「持ってるかもな」と俺は正直に言った。
「そうやと思った」
「でも、言えへん」
「ええよ。言わんでええ」
ZEROは川に視線を戻した。
「俺も、全部話したわけやない。中学で何があったかは、本当はもっと酷かった。でも、それも言わへん。お前も、言いたくないことは言わんでええ」
「うん」
「でも、お互い鎧着てるって、知っといてほしかっただけや」
夜風が川面を揺らした。
俺はしばらく、川を見ていた。
ZEROが鎧を着ている。
俺も鎧を着ている。
凱も、自分だけの動機で鎧を着ている。
みんな、何かを抱えて、それでもこのバンドに集まっている。
(俺たち、似た者同士なんかもな。)
「なあ、ZERO」と俺は言った。
「なんや」
「ありがとうな」
「何が」
「話してくれて」
ZEROは少し笑った。
「気持ち悪いこと言うな」
「凱と同じこと言うな」
「あいつと一緒にするな」
二人で少し笑った。
それから、また黙って川を見た。
「ZERO」
「なんや」
「お前の歌、俺は本物やと思う」
ZEROはしばらく黙った。
「そうか」
「鎧着てても、歌だけは本物や。あれは嘘つけへん」
ZEROは川を見たまま、小さく言った。
「…ありがとう」
ナルシストの言葉じゃなかった。
中学でいじめられてた木下勇の言葉だった。
俺はそれが、嬉しかった。
しばらくして、二人で立ち上がった。
「帰るか」
「帰ろ」
並んで歩き始めた。
「明日、練習あるからな」とZEROが言った。
「わかってる」
「サボったら殴る」
「誰も殴られへんわ」
ZEROが少し笑った。
いつもの笑いに戻っていた。でも、少しだけ、前より柔らかかった。
夜の川が、静かに流れていた。
月が水面で揺れていた。
(ZEROが鎧を着ててくれてよかった。)
その鎧のおかげで、木下勇は生きてこられた。その鎧のおかげで、夜叉羅刻のボーカルになれた。
その鎧のおかげで、今、俺の隣を歩いている。
鎧は、悪いものじゃない。
自分を守るための、大事なものだ。
俺も、俺の鎧を大事にしよう。
いつか、脱げる日まで。




