73 主
老人は流石に女の私を見てステッキをおろした。
短い白髪をきっちりと後ろへ撫でつけ黒い背広を着た出で立ちはどう見ても貴族に付き従う執事の姿だ。
彼は私をじっと見て視線を下げるとパフをじっと見た。パフがピクッと羽を動かす。
「じっとしてて」
「ポッポ」(気をつけろ、手強いぞ)
どんな魔物を見てもそんな事を言わないパフから緊張が伝わる。ファイアードラゴンの時もデカいドカゲだと思えって言ってた。
「お嬢さん、失礼だがここは個人の屋敷だ。勝手に入られては困る」
私はゆっくりと老人の前に近づいた。
パフを持ったままだがしっかりと礼を取る。
「大変失礼致しました。このお屋敷に誰かお住まいだとは思わなかったもので。わたくしはロージーと申します」
彼は少し目を見開き厳しい表情を少し和らげた。
「お嬢さん、どうやら話は通じるようですね。どうかこのまま立ち去って頂きたい。ここには誰も住んではおりませんが私の主の屋敷を荒らされるのは忍びない。
主の為に屋敷を居心地良く整えるのが私の役目、いずれ私にも彼の地より迎えが来るでしょうが、その時に見知らぬ誰かに荒され朽ち果てた屋敷であっては主に面目が立ちません」
そう言って完璧な角度で頭を垂れた。
「そうでしたか。事情を知らなかったとはいえ大変失礼致しました」
「わかって頂けますか」
老人はホッとしたようだ。
「ですがわたくし屋敷の中に入ってしまい結界が解けてしまっているのです。もとに戻すことは……出来ると思いますから少しお待ち頂けますか?」
パフをちらりと見たが無反応だ。どうせ出来るだろう。
「な……なんですと!結界を……」
老人は握っていたステッキから手を離すと震える手をグッと握った。
「お嬢様が解いたのですか!?」
「はい」
「魔術師なのですね」
「はい」
「多種多様な魔術を制する優秀な魔術師……」
老人は唇を震わせポツリと呟く。
「優秀かどうかはわかりませんがこの子のおかげで何とか幾つかの魔術を使えます」
そう言ってニッコリとパフを持ち上げて見せた。
老人は一瞬呆気に取られたようだがヨロヨロと歩みを進め私の横を通ると屋敷の玄関へと向かった。
両開きの扉の前に立つと乱れていない背広の襟を整え付いていない上着のホコリを払うとドアノブへ手をかけゆっくりと両手で扉を押し開いた。
「おぉ……」
声を震わせ中へ入っていく。先程と同じ様にドアが起こした風にホコリが舞う玄関ホールを、首を巡らせぐるりと見渡す。
「なんという……」
老人は言葉にならない感動に身を震わせているようだ。これはしばらくそっとして置くべきだろうと静かに離れようとした時、彼は振り返った。
「お嬢様……どうやら私はお礼を申し上げないといけないようです」
「お礼ですか?」
勝手に結界解いて入っちゃって叱られるかと思っていたが彼は目を潤ませ私を見つめる。
「はい、ここへ入ることが出来たのは十年以上前。無理だと諦め毎日門の外から朽ちる屋敷を眺める日々でした」
十年間、毎日ここを訪れていたのか。
「もうここへ入ることは叶わぬ夢と諦めておりましたが……長生きはするものですな」
「いえ、望みがかなったのでしたら良かったですね。では結界はせずこのままでいつでも入れるようにしておいたほうが良いですか?」
「はい、お嬢様。結界があれば出入りに不便故解いたままが宜しいかと」
「そうですね、ではわたくしはこれで失礼致します」
「お嬢様、どこへお出かけですか?」
「そうですね、取りあえずは元国境の街バルクへ向かおうかと」
そう言うと老人はニッコリと微笑み頷く。
「そうですか、であれば街の東にあるガロという宿に行って店主のガロへここへ人を寄越すように言っていただけませんか?屋敷内を整えないといけません」
「構いませんがお名前を伺っても宜しいですか?」
老人は少し驚き慇懃に頭を下げた。
「これは、私としたことが失礼致しました。ヘクターと申します。宜しくお願い致します」
「はい、承りました。では……」
私はくるりと振り返りヘクターに背を向けた。
「お嬢様、お戻りはいつでございましょう?」
え?
一歩進めた足を止め振り返ると首を傾げた。
「お戻りって……ここへですか?」
「はい、出来るだけ急いでここを元のように整えるつもりでありますが年ゆえなかなか捗らないと思われます。昨今の人手不足もありガロへ依頼しても人が集まるかどうかわかりません。お嬢様のお使いになられるところを優先的に仕度致しますが少し猶予を頂けると助かります」
当たり前のようにここを整え、まるで私を主かのように扱うヘクターにちょっと驚いた。
「わたくしがここへ戻るのですか?」
不審な顔をしてしまったと思う。
「はい、もちろんです。お嬢様、もしかして奥様でしたか?」
「いいえ、そこではありません。わたくしがここへ戻って来ていいのでしょうか?」
ヘクターは再び慇懃に頭を垂れる。
「もちろん、このお屋敷へお住まいになられる為にいらしたのでしょう?」
「そうですけど……そうですか。ではそうさせて頂きますが、ヘクターさんがここを整えるというのはどうしてなのですか?」
「私はロージーお嬢様の執事ゆえ当たり前でございます」
はっ!?
開いた口が塞がらないとはこのことだったか。
「いつそうなったのでしょう?」
首を傾げ考えたがよくわからない。
「先程自己紹介させて頂き『宜しくお願い致します』と申し上げましたら『承りました』とお答えになったではありませんか。貴族のお嬢様が一度承けられた事を安々と破棄してはなりませんぞ」
先程までの優しい感じから一転、ギラリとした目を向けられ一歩退いた。
「ポッポ」(諦めるのだな。此奴はしつこい。問答も聞かぬ頑固者だ)
手の中のパフが悟ったように言った。
「わ、わかり……ました。ヘクターをわたくしの執事と致します。ですが、わたくしは既に本家から勘当されておりますから貴族と呼べるかどうか。今は平民として暮らしております」
それを聞いたヘクターは顔をしかめた。
「ポッポ」(始まるぞ)
パフがなんの感情も無く呟く。
「何を仰いますかお嬢様。貴族というのは矜持です。自分自身の心根です、それは人の身分ではなく生き様です。持てるものが持たざるものを助け皆の手本となる生き様を示すのが貴族と呼ばれるものの義務です。お嬢様がどのような理由で本家を出られたかは存じませんが私にはお嬢様に貴族の矜持が欠けているようには思えません。これからも誇り高くお進み下さい」
そう言って一層深く頭を垂れた。言い知れぬ圧のようなものを感じたじろぐ。
「わ……わかりました。出来るだけそのように……いえ、わたくしはわたくしの信じる矜持を目指します。貴方の言うそれと同じでなくとも譲るわけにはいきません」
ここで負けてはまた流される日々が来るような気がする。
ヘクターは頭を上げるとすっと目を細めた。
「ポッポ」(やってしまったな)
もう、なに!
「左様でございますか、ではお嬢様の生き様を私がこの目で確かめさせて頂きましょう。
人の道を誤る事なくお進み頂ますよう、いつでも私が見ております事をお忘れなく」
何なのこのお父様とはまた違う威圧感。怖いんだけど……
私は逃げるように馬車へ行くとジルドとルーにこの屋敷に住めること、ヘクターを執事として雇った事を話した。
「雇った?あの爺さんを?大丈夫か、大分耄碌してそうだったぞ」
「最初のヨロヨロした老人とは別物よ。バルクへ行って人を手配するように頼まれたから今から行くけどルーはどうする?ヘクターはもうここに残って仕度を始めるみたい」
ルーはホッとした表情で荷物を荷台から降ろすと残って屋敷の準備を進めると言った。
やっぱり馬車泊がきつかったのね。




