7 終わって、始まる
錆びた鉄の階段をいつになくタンタンタンと勢いよく駆け上がる。
その振動でパラパラパラ……と赤茶けた粉が落ちていく。
一息ついて、自分の家のドアを見る。戸と壁の間に、わずかに隙間ができていた。
このアパートはかなり古く、どうも歪んできているようだ。鍵をかけていないとドアがわずかに隙間ができてしまう。
……まぁ、つまり親父が家にいるってことだな。
俺は溜息を一つ吐くと、ゆっくりと玄関のドアを開けた。
案の定、親父はもう帰ってきていた。
そして……玄関で、鬼のような形相をして立っていた。
玄関前の様子で俺が帰ってきたことがわかって、待ち伏せしていたようだ。
「……ただいま」
「ただいまじゃねぇ! ウカれやがって……どこをほっつき歩いてたんだ!」
何だよ……。また競馬でスッちまったのかな。
ヤケ酒でもしたのか、立派な酔っ払いだ。
「……別に……」
「辛気臭い顔をしやがって。……ったくよぉ、あの女、こんな面倒な奴を置いて出ていくなんてよぉ!」
「……何年前の話をしてるんだよ」
母さんが親父を置いて出て行ったのなんか、もう五年も前じゃないか。
馬鹿馬鹿しい……。
「ああん? 何だと?」
親父がギロリと睨む。
そうだ……いつもはダンマリでやり過ごしていたっけ。
あのゲームのおかげかな。何だか、喉につかえていたものが取れたみたいだ。
「これだけ酒癖の悪い奴、見放されて当然だよ。おまけにギャンブルはする、スナックの女に手を出す……。良いところなんて一つもないだろ」
今まで言いたくても言えなかったことが、嘘みたいにスラスラと出てくる。
……コレのおかげかな。
俺は右の奥歯をそっと噛みしめた。
「このクソガキャあ! 誰が養ってると思ってんだ!」
「あんたが毎月置いていくたかだか一万円ぽっちで生活してんだよ、こっちは! エラそうにすんな!」
「何だとお!?」
この古びたアパートでは、俺たちの怒鳴り合いは近所にも筒抜けだろう。
……予想通り、微かに隣の家の扉が開いた音が聞こえた。
「このガキ……ふざけんな!」
親父はそう怒鳴ると、ぶんと拳を振り回してきた。
……よく見たら、酒も回ってよれよれじゃねぇか。当たりもしねぇよ。
さっとよけると、親父の拳は俺の右側の壁にゴツーンと当たってのめり込んだ。パラパラパラ……と細かい屑が降ってくる。
「この……避けるな!」
俺がすました顔で躱したのがイラついたのか、ギリギリと歯ぎしりをしている。
拳を握りしめ、次のパンチを放ってくる。
避けるなって言うのなら……と、俺は手に持っていたカバンで受け止めた。思ったより威力があり、バッグが飛ばされてしまう。
壁に当たってバッと中身が散らばり……中からサバイバルナイフが転がり出てきた。
休みの日は近くの山に行って山草を採ったり、小川で魚を釣ったりしているから、これ一本あればいろいろと役に立つ。俺の愛用の品だ。
昨日研ぎ直したばかりだから、刃がギラリと光っていた。
それを見つけた親父は、恐る恐るサバイバルナイフを拾い上げた。唇がわなわなと震える。
「……っ、何だ、コレは……。お前、俺を殺す気だったのか!」
「違っ……!」
大声で叫んだあと
「……んな訳ねぇだろ。本当に馬鹿じゃねぇのか?」
と小声で呟く。
それは、ちゃんと親父に聞こえたらしい。みるみるうちに顔が赤くなるのが見えた。
「こ、このやろ――!」
完全に頭に血が昇ったらしい親父が、サバイバルナイフをグッと握りしめ……俺に切っ先を差し向けた。
「殺してやる!!」
* * *
「それで……キミはどうしたんだい?」
「……お、俺……」
ベッドに寝そべったまま、声を震わせつつお腹を押さえる。何重にも巻かれた包帯の上から。
まだ傷口を縫ったばかりだ。かなり痛い。
「あ、あいつ……出てくるんですか!? 俺……俺が、死んでないから?」
「き、キミ……」
「嫌です。俺、いつか本当にあいつに殺される!」
「落ち着いて。大丈夫、ちゃんと守るから」
「……うっ……」
俺は両目から大粒の涙をこぼした。
「退院したら、キミは養護施設に預けられる。それに、「殺してやる!」という父親の台詞も近所の人が聞いているし、これは明らかな殺人未遂だ」
「……」
「普段から暴力を振るっていたという証言も取れているし……懲役は免れない。大丈夫だよ」
「うっ、うっ……」
ボロボロと涙を流す俺に、人の良さそうな警察のオジさんはポンと優しく肩を叩いた。
そして、少し困ったように溜息を漏らす。
「ただ……どうしても彼は刺してない、と言うんだ。キミがナイフに突っ込んできた、と……」
警察のオジさんの言葉に、俺は「信じられない」という顔をしつつ、首を横に振った。
「そ……そんな訳……ない……あ、あいつ……」
「ああ……うん……」
そうだよな、というように警察のオジさんは頷いた。
「すまなかったね。とにかく今は……ゆっくり休んで」
「は、はい……」
俺は涙を拭うと、軽く会釈をした。
警察のオジさんは「お大事に」と言うと、病室を足早に出て行った。
……よかった……本当に……。
ちょっとホッとして……俺はゆっくりと目を閉じた。
ふと、エリカの姿を思い出す。
……大丈夫だ。もう、悲しくならない。苦しくもならないよ。




