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8 何かが、見えた気がする

 あれは、俺が小学6年生に進級する春休み。

 広い空き地だったところに、ある日突然、工事が始まった。

 ……立派な一軒家だった。


「どんな人が越してくるのかしらねぇ」

とか近所のオバサンたちの噂になっていた。


 そうして建てられた、白い壁に赤茶けた屋根のオシャレな洋風の家には、その家にとてもよく似合う家族がやってきた。

 有名な外資家の企業に勤める父親(近所のオバサン情報)。若くて綺麗でいつも髪を巻いている、専業主婦の母親(これも近所のオバサン情報……若干のやっかみ入り)。

 そして……俺と同い年の美少女、エリカ。


 古びた汚いアパートで飲んだくれの親父と二人暮らしをしていた俺にとっては、雲の上のような存在。

 エリカの父親は仕事が忙しいらしく、平日の夜は遅くまで帰ってこない。

 しかし休日になると、必ず家族三人でどこかに出かけている。


 きっとすごく幸せな家庭なんだろうな。

 ……俺はずっと、そう思っていた。


   * * *


 中学生になって、エリカは学習塾に通うようになった。駅の近くのその塾は、俺とエリカが住んでいる学区からは歩いて20分ほどだった。

 夜にコンビニにいると、そんなエリカの姿は毎日のように見かけた。

 毎日塾に行くなんて熱心だな……と思いつつ、送り迎えもないなんて危ないな、とも思っていた。

 気になったけど、俺が声をかけてもビビらせるだけだろうな……と、遠巻きに眺めていた。

 そのうち、エリカが塾から帰る時間はだんだん遅くなり……心配になった俺は、エリカに気づかれないほど遠く離れて勝手に家まで送っていくようになった。


 そんな俺に、エリカが声をかけたのが――中1の冬。


「あの……シマダくん。今日……一緒に帰ってくれないかな」

「えっ……」

「あのね……。気のせいかもしれないけど、ずっと後をつけられている気がするの」


 それは、俺……と思ったが、頼られたのが嬉しかった。

 この日から……俺とエリカの往復40分の付き合いが始まった。


 最初はたわいない会話。そのうち……お互いの家のこと。

 エリカが俺を「タクちゃん」と呼ぶ頃には、もうお互いのことで知らないことはなかったように思う。 


   * * * 


「……幸せな家庭なんて、嘘よ」


 いつもの塾の帰り道。エリカが淋しそうに首を横に振った。


「パパには……もう長い間、もう1つの家庭があるの。ママは、私が小学生の間は週末はちゃんと家族サービスをしてくれ、とパパに頼んで演じていただけ……」

「……」

「認知は認める、でも絶対に離婚はしない。その代わりに、私が中学生になったら自由にしていい。……それが、ママがパパに出した条件。……だから、今は……」


 エリカの家の前に着いた。灯りが一つも灯っていない……ただ真っ暗で虚ろな、大きな闇と化した家を見上げる。


「……母親も自由に、か」

「お友達のお仕事を手伝っているうちに……夢中になっちゃって。カレシでもできたのか、最近は殆ど午前様よ。結局パパと変わらないわ。似た者夫婦だったのね」

「……」

「エリカももう大丈夫よねって……。大丈夫って何? 私の、何が大丈夫なの?」

「……親は……選べないからなあ」


 そう言うと、俺はエリカの背中をそっと押した。


「ほら、早く入れ。近所のオバサンに噂されたら、面倒だろ」

「……うん」


 俺が言うと、エリカはおとなしく頷いて、白い門に手をかけた。

 しかし「あ」と呟くと、くるりと俺の方に振り返った。


「でもタクちゃん、タクちゃんもちゃんと家に帰るのよ。このままコンビニに逆戻りしないでね」


   * * *


 季節が廻る。春が来て、夏が来て、秋が来て……。

 エリカに初めて声をかけられてから2年経った――ある冬の夜。


 その日もいつものように塾帰りのエリカと歩いていた。

 酔っ払い運転の車が歩道に突っ込んできて、俺を庇ったエリカは重傷を負った。

 やがて……手術の甲斐なく、エリカは死んでしまった。


「お前なんかと一緒に歩いていたから」

「タクシーに乗るお金は十分に渡してあったのに」

「お前がエリカから巻き上げたのか」


 エリカの両親はひどく俺を詰った。

 俺は一言も――返さなかった。


 酔っ払い親父に日常的に殴られ、痣のある顔を見られるのが嫌で学校も休みがち。

 そんな俺が金持ちのお嬢のエリカと一緒に居れば、そういう風にしか見えないか。

 育ちが悪い――その一言でバッサリ切り捨てられる。


 もうどこにも、俺の居場所はなくなった。俺の生きる意味はなくなった。

 そう思い、ビルの屋上へ向かい――テーヘンに会ったんだ。


   * * *


 ――どうします? 『タカフミ』になりますか?


 真っ暗闇の中、テーヘンの声がわんわんと響く。

 ああ……と言いかけて蘇ったのは、ユキの最後の言葉。

 恐らく――シナリオにはなかったはずの、台詞。


 ――必ず帰ってください!


 エリカの家の門からではなくエリカの部屋から帰るようになっても……俺を見送るとき、エリカは必ず「ちゃんと家に帰るのよ」と俺に言った。

 「わかってるよ」と笑いながら返すのが、お決まりになっていた。


 エリカだ。『ユキ』はエリカ。

 直感的に、そう思った。

 そして、この場合の「帰れ」は――元の世界に帰れ、と。

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