五.真夜中の城門─乱─
紅い閃光が走った。否、そのように見えた。
それは一瞬の出来事だった。無数の矢が放たれると同時に、娘は門に向かって走り出したのだ。先程伝令に出した男が閉め忘れたのであろう、大きな門の片隅に備え付けてある小さな戸が僅かに開いていて、そこに向かって娘は飛ぶように走る。
娘が戸をくぐろうかというすんでのところで、中年の兵が槍を構えて立ちふさがった。
娘は何の躊躇もなく刀を抜く。抜いた刀で槍の柄を断ち切り、一歩踏み込み返す刀で中年の兵の首筋に刃を滑らせた。
ぐにゃりと中年の兵の身体が力を失いずしゃっと音を立ててその場に崩れ落ちる。若いのは恐怖でその場から動けず、ただ目を見開いてその様子を凝視していた。
娘は一瞬若いのに微笑みかけて、戸を音もなく走り抜けていった。
若いのはしばらく呆然としていたが、ふと、自分が見つめるものに違和感を覚えた。
──血が
確かに刃筋が滑ったであろう中年の兵の首筋には、血どころか痣ひとつ見受けられなかった。
若いのはそろそろと倒れている中年の兵に四つん這いの状態で近づき、その肩を恐々揺すってみる。
「──隆、さん」
中年の兵の身体がびくんと震えた。
──峰打ちか
「あの人は」
若いのは呟いて、ただ呆然と娘の去った方を見つめていた。
※※※
「出合えぇぇぇぇっ」
城内にひっきりなしに響く声、声、声。甲冑や刀の擦れ合う鈍い音、男達の雄叫び、無数の断末魔──
娘はその中を顔色一つ変えずに、平然と走り抜ける。それはさながら紅い閃光のよう。手には既に血で濡れ、てらてらと篝火の光を鈍く反射するそれを握りしめる。向かってくる兵を娘は手に握るそれで鮮やかに、滑らかに斬り倒す。娘がそれを操る度に、朱色が舞う。そしてその朱は、娘の顔をどす黒い紅で染め上げてゆく。
走りながら、娘はにやりと薄く笑う。
──紅の姫とは、よく言ったものだ
娘は向かってくる人間を斬りながら、そんなことを思った。兵の振り上げる刀に、ちらりと映った己の姿はさながら血に飢えた修羅のようだった。歪んだ笑みを湛えた己の顔に、一瞬肌が粟立つ。
馬鹿でかい城に土足で踏み込み、障子やら襖やらを乱暴に蹴倒しながら進む。持っていた刀は、けっこうな人数を斬ったせいでだいぶ傷みが激しかった。それを走りながら鞘に収め、二本目をすらりと抜刀する。抜刀しながら、一人斬った。
早々に逃げたのか、さすがに女子供の姿は見当たらなかった。もとより、今回の命はこの城の君主を殺すこと。女子供に用はない。命令外だ。だから女子供が居ようと居まいと、娘には関係なかった。今回は君主一人を斬れば良い。
──甘かった。やはりこうなるか
君主一人を斬れば良いとは言うものの、向かってくる者はやはり斬らねばならぬ。斬らねばこちらがやられる。
──さっさと和解に応じてくれれば良かったのに
『和解に応じれば、危害を加えてはならぬ。応じぬと言うのなら頭目を──斬れ。臆病者のあ奴のこと、応じるとも思えぬがな』
己の雇い主の、醜く笑った顔を思い出して娘は嘆息した。
城の内部、一際荘厳な装飾がしてある襖を無感情に切り裂いた先に、この城が主、高宮 龍巳は甲冑に身を包み、刀を抜刀し、立っていた。
──合戦に行くのでもあるまいに
室内で刀を振り回すとなれば、当然身軽な方が有利である。にもかかわらず、この男は重い甲冑など身につけ、何をしようと言うのだろう。娘は再び嘆息する。噂に聞く通りの臆病者だからなのだろうか、それとも死を前にする武士の最後の矜持なのだろうか。
「──どうでも、良いことだな」
娘は音もなく、速やかに己の任務をこなした。