三.真夜中の城門─語─
小高い丘の上に、その城は建っていた。いや、城と言うにはそれはあまりに物々しいだろうか。優雅、荘厳と言うより粗野な武人を連想させるその建物は堅牢な要塞の体を成していた。
辺りは闇に呑まれていた。城を囲むいくらかの篝火だけが闇の中に頼りなく揺らめいている。
娘は薄く笑う。その笑みがどういう類のものかは判然としない。或いは、どこか冷めたそれは無意識のうちに漏れたものかもしれない。
──ざりっ
娘は城へと歩き出した。この時間、城の門守が二人であることは、情報として既に知っている。
「問題は、無い」
左手で腰の刀の柄頭に軽く触れた。
※※※
「隆さん、あれは何でしょうかね。」
最初にそれに気づいたのは、最近奉公に入ったばかりの若い新参の兵だった。
隆さんと呼ばれた中年の兵は、新参の若いのが指さした先に目を凝らす。しかしいくら注意してみても、そこにあるのは濃い闇だけである。
「何を言っているんだ坊主。何も無いではないか」
そんなははずは、と若いのは口ごもる。
「確かに緋色の何かが」
「顔を洗って来い。眠気があるから無いものを見るのだ」
「あっ」
「どうした」
「やっぱり」
「何なんだ。わからぬ。言うてみろ」
「見間違いなどではありませんでした」
「緋色か」「緋色です」
「どこに」
「前方に。こちらへ向かっています」
「見えぬ」
「見えませぬか。闇が濃ぅございますから。そのせいでございましょう」
「見えた」
「見えましたか」
「緋色だ」
「鮮やかな」
「あぁ。大層鮮やかな緋だ」
「こちらへ来ます。あぁ、篝火に照らされてなんと鮮やかな」
「女だ」
「はい。足軽の風体ではございますが、確かに女。いや、娘と言った方が正しいかと」
「狐狸妖怪の類だろうか」
「どうでございましょう。確かに妖艶ではございますが」
娘の顔がはっきりと見える程に近くに来たとき、二人は息を飲んだ。
娘は鮮やかな緋色の衣を纏っていた。裾は膝丈ほど。衣の上には足軽のそれのような簡易な黒い鎧を身につけ、腰に差した二本の刀はすらりと長い。結われていない長い黒髪が篝火に照らされて漆の黒のように艶やかで美しかった。
「──紅の姫」
若いのがそう呟くと、娘は形のよい唇の端を少し上げて、微笑んだ。
「かの有名な紅の姫が我らが城に何用か」
中年の兵が槍を握る手に力を込めた。
「交渉に」
娘は笑みを湛えたまま言う。
「交渉」
「はい。高宮家が主、高宮龍巳様に河野忠友様より和解の御提案ございまして、お伝えしたく参上いたした次第。龍巳様に謁見願いたく存じます」
「文であれば預かろう」
「文はありませぬ。私の口から直接お耳に入れよとの仰せ故」
二人の兵は顔を見合わせる。娘の表情からは話の真偽は計れなかった。
「俺が聞くのでは駄目か」
若いのが少し困ったように言う。油断はできない。槍を握る手に嫌な汗がべたつく。
「おそれながら」
「あなたには悪いが城の中にそう簡単に素性のしれぬ者を入れるわけにはいかん」
できれば争いたくはない。噂に聞く彼女は、自分のような新参者ではとうてい適わない──
槍を持つ手にいっそう力を込める。込めてから彼は、それは自分の震えを悟られまいとする無意識の行為なのだと気づく。
目の前の娘は困ったように、しかし余裕の表情で綺麗に笑った。