表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者の首が落ちる朝 ~魔王を倒した男は、なぜ処刑されたのか~  作者: たま8


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/8

四章 第3話 告発の手紙

 クラウスは、手紙を机の上に置かなかった。


 ただ、持っていた。


 そのことが余計に気になった。あいつは物を隠すのが下手だ。言うべきことがあるときは、正面から言う。だから手紙を持っているなら、いずれ見せるつもりなのだろう。俺にか、王にか、神殿にか。どちらにせよ、そこには俺にとって都合の悪いことが書かれている。


 俺は、そう決めつけた。


「二人ともいたか」


 クラウスは部屋に入ると、セレナを見て少しだけうなずいた。


「ちょうどいい。エスカも呼んである」


「何の話だ」


 俺の声は、自分でも分かるほど硬かった。


 クラウスは俺を見た。


「お前の話だ」


 その一言で、部屋の空気が変わった。


 セレナは目を伏せた。彼女も、ある程度分かっていたのだろう。クラウスが何を言おうとしているのか。俺だけが認めたくなかった。いや、俺も分かっていた。分かっていて、認めないための言葉を探していた。


 少しして、エスカが入ってきた。


 彼女は廊下の外にいたらしい。顔色は悪く、扉のそばからあまり動こうとしなかった。


「……失礼します」


「入れ」


 クラウスが言った。


 エスカはおずおずと部屋の隅へ立った。四人が揃った。魔王を倒した四人。王都に迎えられた英雄の一行。祝宴の席で称えられ、王から褒賞を約束された仲間たち。


 その同じ四人が、今はまるで敵同士のように立っている。


 いや、敵ではなかった。


 敵にしたのは俺だ。


「ユリス」


 クラウスが言った。


「お前の勇者の証について、疑義がある」


 まっすぐな言葉だった。


 俺は笑おうとした。だが笑えなかった。


「神殿でも説明した。魔王の瘴気だ」


「その可能性はある」


「なら――」


「だが、それだけでは説明できない点がある」


 クラウスは俺の言葉を遮った。


 あいつにしては珍しいことだった。普段なら、最後まで聞いてから反論する。今は違う。もう、覚悟を決めているのだろう。


 セレナが手帳を開いた。


「魔王戦以前にも、勇者の証の反応には不安定な点がありました」


 俺は彼女を見た。


「いつから調べていた」


「調べていたというより、記録していました。魔術師として」


「俺を疑っていたのか」


「最初は違います」


 セレナは静かに言った。


「あなたの負担を知るためでした。勇者の証がどれほど消耗しているか、魔力の流れに異常がないか。それを記録していました。でも、魔王戦後の反応で、無視できなくなりました」


 無視できなくなった。


 その言い方が嫌だった。


「クラウスもか」


 俺はクラウスを見た。


 彼は少しだけ目を伏せた。


「俺は、もっと前から気になっていた」


 胸の奥に、冷たいものが落ちた。


「いつからだ」


「確信はなかった。今も、すべて分かっているわけではない」


「いつからだと聞いてる」


 声が荒くなった。


 エスカが肩を震わせた。


 クラウスは動じなかった。


「北境の砦で、お前が聖別の門を通ったときだ」


 あのとき。


 俺は覚えていた。北境の砦には、古い神殿式の門があった。魔物の侵入を防ぐため、神聖な力に反応するという古い仕掛け。俺が通ったとき、門はわずかに遅れて光った。皆は魔王の瘴気のせいだと思った。俺もそう言った。


 クラウスは、あのときから疑っていたのか。


「なぜ黙っていた」


「お前が、俺たちを助けたからだ」


 クラウスは言った。


 その答えは、俺の怒りを鈍らせた。


「あの砦で、お前は民を逃がすために殿を務めた。誰よりも傷を負った。偽物ができることではないと思った。いや、そう思いたかった」


「なら、今もそう思えばいい」


「思いたいだけでは済まないところまで来た」


 クラウスは、手に持っていた手紙を見下ろした。


「俺はこれを、王と神殿に出すつもりだった」


 やはり。俺の中で何かが固まった。


「告発状か」


「違う」


「何が違う」


「読めば分かる」


 クラウスは手紙を机に置いた。


 封はまだされていない。端の方に、几帳面な字が見えた。


 ――勇者ユリスの証には疑義がある。


 その一文だけで、頭の奥が白くなった。


「読む必要はない」


 俺は即座に言った。


 その先に何が書かれていようと、同じだった。疑義がある。正式な検分を願う。アルスの死を調べ直す。そんな言葉が王や神殿に届いた時点で、俺は終わる。クラウスがどんなつもりで書いたかなど、関係なかった。


「俺を売る紙だ」


「ユリス、違う。俺はお前を――」


「違わない」


 俺は机の上の手紙を見なかった。見れば、そこにある文字が全部本当になってしまう気がした。


 クラウスが苛立ったように息を吐いた。


「売るつもりなら、俺は昨日の神殿で声を上げている」


 俺は黙った。


「俺は、お前を無罪にするつもりはない。もし本当に何か罪があるなら、それは明らかにしなければならない。だが――」


「黙れ」


 俺は言った。


 自分でも驚くほど冷たい声だった。


 クラウスは目を細めた。


 セレナが一歩前に出た。


「ユリス、聞いてください」


「お前もか」


「私も、知りたいんです」


「知ってどうする」


「一緒に償いましょう」


 俺は彼女を見た。


 セレナは手帳を閉じ、胸の前で握っていた。いつも冷静な彼女が、今はひどく不安そうだった。顔色が悪い。唇も白い。だが、それでも俺から目を逸らさなかった。


「あなたが何をしたのか、私たちはまだ全部を知りません。知るのが怖いです。でも、あなたがしてきたことも、私は知っています。あなたが人を救ったこと。逃げなかったこと。私たちを守ったこと。それまで嘘だったとは思いません」


 思いません。


 その言葉に縋りたくなった。なら、黙っていてくれ。そう言いたくなった。


 俺が何をしたか知らないなら、知らないままでいてくれ。調べるな。手紙を書くな。神殿に行くな。俺を勇者のままでいさせてくれ。俺が救ったものを信じているなら、なぜ最初の罪まで掘り返そうとする。


 セレナは一歩近づいた。


「逃げないでください」


 俺の喉が詰まった。


「今なら、まだ間に合うかもしれません。全部が元に戻るわけではありません。でも、ここで逃げたら、本当に戻れなくなります」


「何から逃げると言うんだ」


 俺は低く言った。声が自分のものではないようだった。


「俺は魔王から逃げなかった。お前たちを守った。王都を救った。なのに今さら、何から逃げるって言うんだ」


「過去からです」


 セレナの放ったその言葉は、まっすぐ胸に刺さった。


「あなたは、何かから逃げています」


「知ったようなことを言うな」


「知りたいから言っています」


 セレナは言った。


 彼女は手帳を握る手に力を込めた。


「私、あなたに言わなければならないこともあります。だから、お願いです。ここで終わらせないでください」


 それは、勇者の証の話ではない。


 俺には分かった。だが分かりたくなかった。聞きたくなかった。


 セレナが言おうとしていることを聞けば、俺はさらに動けなくなるかもしれない。俺を縛るものが増える。罪だけでなく、未来まで突きつけられる。そんな気がした。


 エスカが、小さな声で言った。


「ユリスさん」


 エスカは震えていた。いつもよりさらに青白い顔で、扉の近くに立っている。逃げたいのだろう。逃げたいのに、ここにいる。


「怖いです」


「何が」


「今のユリスさんが」


 部屋が静まり返った。エスカは泣きそうな顔で続けた。


「でも、私も逃げたくないです。クラウスさんもセレナさんも、逃げないって言ってます。だから、ユリスさんも……今度だけは、逃げないでください」


 今度だけは。


 その言葉で、何かが切れかけた。


 俺は机の上の手紙を見た。


 クラウスの手紙。

 冒頭には、俺の終わりが書かれていた。


 セレナの手帳。

 勇者の証の不整合と、おそらく彼女自身の言わなければならないことを書いた手帳。


 エスカの震える手。

 臆病者が、逃げずに俺の前に立っている。


 彼らは、俺を救おうとしている。


 だからこそ、俺は追い詰められた。


 敵ならよかった。俺を断罪し、罵り、剣を向けてくる敵ならよかった。そうすれば俺は、自分を守るために戦える。俺が積み上げたものを奪いに来る者として、彼らを憎める。


 だが、彼らは手を差し出している。


 その手を取れば、俺は生きられるかもしれない。極刑は避けられるかもしれない。クラウスの言う通り、償いの道があるのかもしれない。


 でも、その道は勇者ユリスとしての俺を終わらせる。


 民衆の目も、王の褒賞も、魔王を倒した英雄としての名も、セレナの隣に立つ未来も、全部が変わる。俺は人々の前で、自分がアルスを殺したと認めなければならない。あの光を奪ったと、あの親友を押したと、勇者の道を盗んだと。


 俺は、それに耐えられなかった。


「ユリス」


 クラウスが一歩近づいた。


 彼の手は剣に触れていなかった。


「一緒に行こう。俺も証言する。お前がしたことを、全部悪にして終わらせはしない」


 その言葉は、たぶん本物だった。


 クラウスは本当にそうするつもりだった。セレナも、エスカも。三人は俺を完全には捨てないつもりでいた。罪を明らかにし、それでも俺が成したことを守ろうとしてくれていた。


 俺はその優しさを、裏切りとして受け取った。


 いや、違う。


 優しさだと分かっていた。分かっていたから、もっと恐ろしくなった。


 俺は立ち上がった。


「少し、考えさせてくれ」


 自分でも驚くほど静かな声だった。


 クラウスの眉が動いた。


「逃げるつもりか」


「逃げない」


 嘘だった。


 いや、その瞬間はまだ分からなかった。俺は本当に考えるつもりだったのかもしれない。剣を置き、王の前へ行き、全部を話す未来を、ほんの一瞬だけ見たのかもしれない。


 だが、その未来には俺の居場所がなかった。俺が欲しかったものが、何一つ残らなかった。


「ユリス」


 セレナがまた言った。


 彼女は、先ほど言いかけたことをもう一度言おうとしているようだった。


「私、あなたに――」


「黙れ」


 部屋が凍った。


 セレナの目が見開かれる。


 俺は、自分の声があまりにも冷たかったことに気づいた。だが、もう戻せなかった。クラウスが一歩前へ出る。エスカが扉の横で身を固める。セレナはまだ俺を見ている。何かを言わなければならないという顔をしている。


 聞いてはいけない。俺はそう思った。


 これ以上、俺を縛る言葉を聞いてはいけない。償いだとか、一緒にだとか、真実だとか、そんな言葉を聞けば聞くほど、俺は逃げられなくなる。


 だから、まだ間に合ううちに。


 俺は机の上の手紙へ手を伸ばした。


 それをクラウスが止めようとした。


 その瞬間、俺の体はもう動いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ