↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
金曜日に贈る和歌  作者: 朝凪


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/36

立ち別れ

7月下旬。学校が夏休みに入り、蝉の声が朝から賑やかに響く頃


大学生の琴葉は、部屋の隅に置かれた大きなキャリーケースを見つめていた

来月から半年間、海外へ留学することになっている。ずっと憧れていた留学だ。語学を学び、知らない文化に触れ、今まで見たことのない世界を見る。合格通知を受け取った日は、飛び上がるほど嬉しかった

――けれど、出発が近づくにつれ、楽しみより寂しさのほうが大きくなっていた


「半年かぁ……」


琴葉はため息をつく

両親や友人と離れることも寂しい。けれど、一番気がかりなのは、祖父母の家で飼っている柴犬の小春だった


「小春、私のこと忘れないかな……」


子犬の頃から可愛がってきた、大切な家族だ

そんな琴葉に、母が「金曜日に贈る和歌」というサービスを教えてくれた


「別れの歌をお願いしてみたら?」

「別れって……縁起悪くない?」

「でも、昔の人だって旅に出たでしょう? いい歌があるかもしれないよ」


その言葉に背中を押され、琴葉は申し込んでみることにした


『半年間、海外へ留学します。家族と、可愛がっている犬と離れるのが寂しいです』


ーーーーー


金曜日

届いたのは、夏の若葉を思わせる緑色の封筒だった

中には松の枝が描かれた一筆箋。そこには、深い緑色の文字で一首が記されていた



立ち別れいなばの山の峰に生ふる

まつとし聞かば今帰り来む



琴葉はスマホで意味を調べる


「あなたたちと別れて因幡国へ行っても、稲羽山の松のように、あなたたちが私を“待つ”と聞いたなら、すぐに帰ってこよう……」


遠くへ行く人の歌なのに、不思議と寂しくない

別れることより、その先にある「帰ること」を詠んでいるからだ


「そっか。帰ってくればいいんだ」


半年間離れる。でも、永遠の別れではない


ーーーーー


出発の日

祖父母の家へ挨拶に行くと、小春は琴葉の足元をぐるぐる回り、尻尾を振っていた


「小春」


琴葉はしゃがみ、その体をぎゅっと抱きしめる


「半年だけ待っててね」


小春は意味など分からないだろう。それでも琴葉の頬をぺろりと舐めた

祖母が笑う


「小春も、私たちも待ってるからね」


琴葉は一瞬だけ泣きそうになって、それから笑った


「うん。ちゃんと帰ってくる」


待ってくれる人がいる

それだけで、遠くへ行くことが少し怖くなくなった

キャリーケースには、あの一筆箋を忍ばせてある


――まつとし聞かば、今帰り来む


新しい世界へ向かう琴葉の背中を、千年以上前の「いってらっしゃい」が、そっと押してくれているようだった




・和歌

立ち別れいなばの山の峰に生ふる

まつとし聞かば今帰り来む

(古今和歌集 中納言行平)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。