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金曜日に贈る和歌  作者: 朝凪


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28/30

桜の仕事 夏編

7月上旬の朝5時

桜はゆっくりと目を覚ました

カーテンの隙間から差し込む朝日はすでに明るく、部屋の中を柔らかな金色に染めている。少し前までなら、この時間はまだ薄暗かったはずだ


「もう明るいなぁ……」


小さく呟きながら起き上がる

夏は確実に来ていた

まずは電気ケトルに水を入れ、お湯を沸かす。静かな朝の台所に、湯が沸く音が心地よく響いた

桜はお気に入りの急須に茶葉を入れ、ほうじ茶を淹れる

湯気とともに立ち上る香ばしい香り


「ふぅ……」


ひと口飲むと、体の中にじんわりと温かさが広がった

朝のお茶は格別だ

まだ誰にも邪魔されない時間。世界が目覚める前の静けさを味わいながら飲む一杯には、特別な美味しさがある

お茶を飲み終えると顔を洗い、着替えを済ませる。簡単な朝食も終えた頃には、空はすっかり青くなっていた

桜は玄関を出る。そして、いつもの場所へ向かった

家の前からは富士山が見える

冬には真っ白だった山頂も、今は雪がほとんど溶けていた。青空を背に堂々とそびえるその姿は、季節が変わっても変わらない

桜は静かに手を合わせる

毎朝続けている日課だった

特別な願いをするわけではない

ただ今日も無事に始まったことへの感謝を伝えるように

しばらくして目を開き、小さく頷く


「よし!」


気持ちがしゃんと整った

家へ戻った桜は、今度は紅茶を淹れた。朝のほうじ茶とは違う、少し華やかな香りが部屋に広がる

カップを片手にスマホを開き、「金曜日に贈る和歌」の依頼を確認する

今日届いていた依頼は1件だけだった

桜は内容を読み、ふむ、と考え込む


「帰りの遅い旦那さんに宛てた和歌、ねぇ……」


仕事で帰宅が遅い夫

その帰りを待ちながら、1人で眠る妻

そんな光景が自然と頭に浮かんだ


「寂しいけど、好きなんだろうな」


桜は机へ向かう

封筒と便箋を用意し、筆記用具を選ぶ

今日はガラスペン。インクは夜空のような青を選んだ

準備を整えると、桜は静かに歌を書き始める

さらさら、とペン先が紙の上を滑る



思ひつつ寝ればや人の見えつらむ

夢と知りせば覚めざらましを



恋しい人を想いながら眠ったから夢に現れたのだろうか。夢だと分かっていたなら、目覚めなかったのにーー

恋しい人を待つ気持ちに寄り添う1首だった


「うん、これかな」


桜は満足そうに頷く

便箋を乾かしている間に宛名を書く

インクが完全に乾いたのを確認し、便箋を丁寧に折る

封筒へ入れ、切手を貼れば完成だ


「よし」


机の上に残るのは紅茶の香りだけ

桜はスマホを確認する

今日は他に依頼は入っていない


「今日はもう依頼がないから、出して来ちゃおう」


帽子をかぶり、手紙を持って家を出た

郵便局までの道は、すっかり夏の空気だった

朝だというのに日差しは強く、アスファルトから熱気が立ち上り始めている

桜はポストに手紙を投函した

小さな音を立てて封筒が落ちる


「届くといいな」


誰かの夜を少しだけ温かくするための1首

その役目を終えたような気持ちで、桜は空を見上げた

眩しい青空が広がっている


「暑い……もう夏だなぁ」


そう呟くと、自然と夕飯のことを考え始めた


「今日のお夕飯は、冷やし中華にしよう」


夏らしい献立を思い浮かべながら、桜は軽い足取りで家路につく

空の青さも、強い日差しも、季節の移ろいも

すべてが、夏の訪れを告げていた




・和歌

思ひつつ寝ればや人の見えつらむ

夢と知りせば覚めざらましを

(古今和歌集 小野小町)

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