夏の夜は
6月初旬の朝だった
まだ夜の名残が残る4時頃、桜はふと目を覚ました。目覚ましが鳴ったわけでもなく、物音がしたわけでもない。ただ自然に意識が浮かび上がったのだ
静かな部屋の中で身を起こし、窓の外を見る
空はまだ完全には明るくない。けれど、東の空の端には淡い光が滲み始めていた。夜と朝の境目がゆっくりとほどけていくような、不思議な時間だった
「もう明るくなってる……」
少し前まで、この時間はまだ真っ暗だったはずだ。春が過ぎ、季節は確実に夏へ向かっている
桜は窓を少し開けた
ひんやりとした朝の空気が頬を撫でる。遠くで鳥の声が聞こえ始め、街もゆっくり目覚めようとしていた
そんな景色を眺めながら、桜は自然と1首の和歌を口ずさむ
「夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月やどるらむ」
百人一首にも収められている、清原深養父の歌だ
夏の夜は短く、まだ宵だと思っているうちに夜が明けてしまう。では、夜空にあった月は、いったいどこの雲に隠れてしまったのだろう――
桜は小さく微笑んだ
「昔の人も同じこと考えてたんだなぁ」
今のように時計も電気もない時代。けれど、夜明けの早さに驚く気持ちは変わらなかったのだろう
空は少しずつ青みを増していく
夜の静けさと朝の気配が同居する、ほんの短い時間。桜はその移ろいをぼんやりと眺めた
6月はまだ夏ではない
それでも日の出はどんどん早くなり、日差しは強くなり、草木は勢いを増していく
季節は、誰にも気づかれないほどゆっくりと、それでいて確実に前へ進んでいる
「もうすぐ本格的な夏か……」
そう呟いて、桜は再び空を見上げた
月はもう見えない。けれど、和歌の中の人と同じように、その行方を少しだけ想像してみる
たぶん、これからもっと朝日は早く昇るだろう
夏は確実に近づいているのだから
・和歌
夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを
雲のいづこに月やどるらむ
(古今和歌集 清原深養父)




