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初孫を抱かせてあげたい

ランの体をしっかりと両腕に抱きながら、真珠はふと、遠くを見つめた。王宮の天窓から差し込む光が、赤子の頬を柔らかく照らしている。小さな手が真珠の胸元をぎゅっと掴んでいる感触が、なんともいえない温もりとともに胸に満ちていく。


「……ほんとうに、小さいね」


ふと、ぽつりと呟く声は、誰に向けられたものでもなかった。


そっと、自分の頬に触れるランの指。くすぐったい感触に笑ってみせながらも、その瞳にはにじむような想いがあった。


日本にいる父と母の顔が浮かんでくる。


あの二人が、どれだけ心配してくれていたか。どれだけ――恋しかったか。ウルに攫われ、アメニアという異国に閉じ込められてからの日々は、まるで遠い過去のようにも、つい昨日のことのようにも思える。


でも今はもう、こうして、ランがここにいる。ウルと、自分の――息子。たった三ヶ月しか経っていないのに、真珠の中で世界の見え方はまるきり変わってしまっていた。


それでも。


「会ってもらいたな……お父さん、お母さんに」


小さく、かすれるような声でつぶやいた。ただ、それだけ。たったそれだけのことなのに、真珠の喉の奥が詰まり、目元がじんと熱くなる。


ランを抱き上げ、額にそっと自分の額を寄せる。まだあどけないその顔。ウルに似た濃い青の瞳が、どこまでもまっすぐで、澄んでいて、眩しいほど美しい。


こんなにも、いとしい命。この子のことを、父と母に――見せてあげたい。触れてもらいたい。どれだけ立派な服を着せて、広報写真を送っても、声は届かない。どれだけメディアが騒いでも、ニュースで流れても、それじゃダメなんだ。


「この手で……抱いてほしいの。お父さんにも、お母さんにも。ランのこと、触れて、笑って、泣いて、たくさん撫でてあげてほしい」


王族としての立場も、外交上の制約も、セキュリティの問題も――全部、わかってる。でも、そんなの全部関係ないくらいに、ただの娘として、母として、真珠は願っていた。


帰りたいんじゃない。逃げたいんじゃない。ただ、見せたい。命を繋いできたその先が、ここにいるんだって。あなたたちの孫が、ここにいるんだって――伝えたい。


「……わがままかな」


そう言いながら、胸の中でランがふにゃ、と小さく声をあげた。


その声に、真珠はふっと笑った。


「ううん……でも、きっと、言ってみる価値はある。お願いしてみるよ」


遠くで、あの人の足音がしたような気がした。ランをそっと抱き直し、真珠はそちらを見つめた。


この願いが、どうか――届きますように。ランの初めての「家族への旅立ち」が、許されますように。


そして。


あの頑固で、偏執的で、狂愛の王太子が――このたった一度の帰郷を、許してくれることを。


(……説得、死ぬほど難しそう)


だけど、負けてられない。だって今の真珠は、母親なんだから。


「……日本に、行きたい?」


真珠の言葉に、ウルは少しだけ目を細めた。だが、その顔に怒気や拒絶はなかった。むしろ、その逆。

王宮の書斎。帳面に視線を落としていた王太子が、ぴたりと筆を止める。


「俺の子を、あの島国の夫婦に見せたいと?」


「……うん。少しだけでいいの。赤ちゃんを抱かせてあげたくて」


躊躇いがちにそう告げた真珠の声音は、紛れもなく母のものだった。一国の王妃としてではなく、ただの「娘」としての願い。


だがウルは、その言葉を危険信号として受け取っていた。


(つまり、他者にランを触れさせたいという意思。外界に興味を示した兆候か)


「いいだろう」


返ってきたのは、あまりにあっさりとした了承。


「――え?」


真珠は、耳を疑った。あのウルが、こんなにすんなり?え、何かの罠??


「当然、俺も同行する」


ああやっぱり。


「お前と、ランを、野放しにできるとでも?」


机に肘をつきながら、ウルがにやりと笑った。その目は最愛と監視対象と所有物をすべて一つの視線で射抜く、執着の塊。


「滞在期間は未定。移動時は王族仕様のプライベート機を使う。先遣隊を日本に送って滞在先を確保させよう。親族との接触は俺が許可した範囲内に限る」


「……そこまで!? いや、私はただ……」


「ただ、だと?」


ウルの声が、一段低くなった。


「俺はお前を絶対に傷つけさせない。ただの帰省でも、何があるかわからん。お前がランを連れて出る、それだけで世界がざわつく」


彼の脳内ではすでに作戦会議が展開されていた。セキュリティ、随行チーム、医療班、万が一に備えた緊急搬送プラン――日本国内の移動手段は完全封鎖。


「滞在中は、お前のご両親とだけ面会を許可する。メディアは完全排除。食事は持ち込み。お前は外出不可」


「……それ、帰省って言えるの?」


「言える。俺とランと共にあるという条件でのみ、認めている」


そこにあったのは、怒りでも高圧でもなく、当然という王族の論理だった。真珠が帰りたいのなら、それに最適化した状態で帰らせる。それがウルの思考だ。


「お前の願いを聞いた。俺なりに、最大限に叶える。それが、どうして文句を言われる?」


「……その最大限の方向性が間違ってるっていうか、濃すぎるっていうか」


「俺はお前の夫であり、王太子であり、この子の父だ。――何が悪い?」


堂々とした言い分に、思わず言葉を失う真珠。だが、ほんの少し、嬉しくもあった。ちゃんと聞いてくれたこと、受け入れてくれたこと――そこには、確かに愛がある。間違った形かもしれないけど、ものすごくめんどくさい形かもしれないけど――


「……ありがと、ウル」


ふと、ウルの眉がわずかに動いた。


「礼は、夜に」


「もうそれ言わないって決めたでしょ!?」


「言ってない」


即答。


こうして――アメニア王室の「親子初帰国プロジェクト」は、外交課、警備課、報道規制班を巻き込み、いま静かに始動し始めた。もちろん、そのすべての裏にあるのは、


「真珠が少しでも帰ってよかったと思えるように」――などという、甘い願いでは決してない。


「どこにいても、誰といても、絶対に俺のものだと、刻み込むため」


それが、ウルの答えだった。


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