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藍色の宝物

産声はもう止んでいた。赤子は今、真珠の腕の中で、夢のような安堵の呼吸を繰り返している。


まだしわくちゃで、真っ赤で、濡れた小さな髪が額に張りついている。それなのに――こんなにも愛しい。


真珠はそっと、目元をのぞきこんだ。


「……きれい」


まだうっすらとしか開かないその瞳は、深い青だった。ウルの瞳と同じ……いや、それよりも少しだけ深くて、濃い。その瞬間、言葉が自然とこぼれた。


「……アイ……」


ポツリと呟いたその声に、ウルの鋭い目が動く。


「アイ?」


「うん」


真珠は目を離さず、そっと赤子の頬をなぞった。


「この子の瞳……すごく深い青なの。あのね、藍ってアイって読むけど、ランとも読むのよ」


「……ラン」


低く、確かに、ウルはその名を繰り返した。その響きが気に入ったように、口元に僅かに笑みが浮かぶ。


「男の子にも合いそうでしょ?」


その言葉に、隣の椅子に座っていたウルが、すぐさま反応した。真珠が顔を向けると、すでに彼は何かの書状を手にしている。――まさかとは思ったが、次の瞬間、その書状が真珠の膝に乗せられた。


「採用だ。正式に記す。名は──」


彼の低く響く声が、言葉を紡いでいく。


「エル=ザラディア=ナーム=ランレイズ・アメニア」


「……ええと、何語……?」


「正式名だ。これを名乗らせる」


真珠は受け取り、目を通した。その瞬間、彼女の眉が跳ね上がった。


そこに記されていたのは――


「……長っ!!」


この国の王族は、名前が長いのは知っていたが。真珠は一瞬固まり、巻紙を見下ろしたまま声を漏らした。それはまさに王族の名。複雑な古語の連なりと意味を持つ、威厳と歴史の重みが詰まったフルネームだった。


「は……? エル……? ザラディ……? なんかもう途中で舌噛みそうなんだけど」


「アメニア王族の名だ。古語を継ぎ、意味を繋ぐ。慣例だ」


「いや、慣例って……絶対これ、一発じゃ呼べないでしょ。ていうか、略してもエルとかザラとか、ラン要素ないじゃない……」


ウルはその愚痴すら満足げに聞き流し、片肘をついて真珠を見下ろした。


「ランレイズ、お前が“ラン”と呼ぶなら、それが通称になるだけだ」


「……もう、最初からそう言ってよ」


少し安心して、腕の中にいる小さな命に目を向ける。


「ランレイズ……」


真珠が口にすると、ウルがわずかに頷いた。


「“ラン”は、藍。“レイズ”はアメニアの古語で“光を継ぐもの”。この子の名は、“藍の光を継ぐ”を意味する。藍は深く澄み、そして強い。お前の目に映るその色を、俺はこの子に託した」


「……」


「エル=ザラディアは“神に愛された血”。ナーム・アメニアは“アメニア王統の名において”。」


「いや、重いな……すごく重いわ……」


真珠は苦笑をこぼしつつも、その名に宿る想いの深さを感じ取っていた。藍――それは、彼女がぽつりと口にしただけの名だった。だが、ウルはそこに意味を持たせ、伝統を紡いだ。


「でも……やっぱり私は“ラン”って呼ぶわ。短いし、かわいいし」


「好きにしろ。だが――王の名としては“ランレイズ”と記される。正式記録に」


「うわ、決定事項なのねそれ」


真珠は肩を落としながらも、小さく笑った。


「まぁいいわ。最初に名前を呼んだのは、私だから」


そのひとことに、ウルは目を細めた。その後も赤ん坊を見つめる真珠の横顔を、黙って長く見つめたまま――何も言わずに、ただ頷いた。


「俺とお前の、藍色の証だ」


「詩人みたいなこと言うじゃない……」


「事実だ。ランは、俺の血と、お前の命でできている」


真珠はもう何も言わなかった。ただ胸の中の小さな命を抱きしめ、そっと目を閉じた。


この子が――ランが、これからの世界で、どんな運命を歩んでいくのか。その始まりの一歩が、今、名によって刻まれた。


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